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もう一度だけ、ハルウララ

週末のニュースで「一週間を振り返る」的な内容の中でハルウララの話がまた取り上げられていましたが、やっぱりちょっとどうかなぁと思う事があるわけで……なんというかなぁ、やや極端な言い方になりますが、勝つことを望まないで単勝馬券を買う事は「競馬」に対する冒涜であると思うのですよ、私は。それは同時に、命がけで走っている競走馬、そして同じく命がけで跨っている騎手への侮辱であるとも思うわけなのですが。
負け続けている事で人気が出た、まあそれは良しとしましょう。最初はおそらく、そんな負け続けている馬を応援してやろう、という一部ファンの一種の稚気から始まったのでしょうから。
しかし、負け続けているけどいつか勝ってくれ、というのと、勝たなくても走っていればそれでいい、というのはまるで違います。地方競馬(高知競馬)の現状に対して正直それほど知識があるわけでないので経緯は今ひとつわからないのですが、本来、競馬というのは何十連敗もしている馬が走り続ける競技ではない筈。
競馬ファンには周知の通り、サラブレッドというのは非常に脆い生き物です。ちょっとした拍子に怪我をしてそれが悪化、予後不良、という事になりかねません。であるからこそ、勝ち目の無い馬をいつまでも走らせるという事はしないわけですが、あの日、高知競馬場に集まった人々のいったいどれぐらいがそういう事を知った上であそこに居たのかと。
ハルウララが勝つ日を望み、応援の為に馬券を買っているファンは別に構いませんが、TVインタビューに答えて「当たらなくてもいい。当たらないからお守りになる」などといっていた人は、いったいどこに、何をしに来たつもりなのでしょうか。勝つ事を求められていない馬の背に跨る羽目になった騎手の心中と来れば更に如何ばかりか。
いみじくも武豊が、自身の日記でハルウララ騎乗の感想とともに高知競馬の賞金の安さを上げ、「命がけで乗っている騎手への報酬としては安すぎる」と述べていましたが、ここには前述したような人々への婉曲な批判が含まれていると考えるのは、穿ちすぎでありましょうか。
勝つために、命を懸けて走っている馬と人。競馬は確かにギャンブルでありますが、少なくとも単勝馬券を買うならば、その馬に勝って欲しいと思うのが最低限の礼儀でありましょう。そんな礼儀も常識も持ち合わせない人々が、あの日、あの時、いったいどれほど競馬場に居たのかと、それはやはりどうにもこうにも、ハルウララの話題を聞く度に、苦々しく思ってしまう事なのです。
ビジネスとしての経済的問題というのは勿論ありますし、世の中綺麗な話で済まないのは重々承知しています。しかし私は結局、競馬が好きなのですよ。“美談”の仲間入りのつもりであの場に加わっていた人達の方がよほど綺麗事でない世界に居て、勝つ事に価値を見出す競馬の世界が好きな人々の方がある意味で青臭い事を言ってしまう、というのがこの話の一番難しくて面倒な所なのかもしれません。
最後に、3月21日付け東京スポーツ誌上の、競馬評論家・清水成駿氏のコメントを紹介します。

ハルウララを映画にしようという人の気持ちは知れない。きっと競馬に救われたことも、泣かされたこともない人たちだろう」
私はね、泣かされた事あるし、泣いている人を見た事もあるし、凄いわかるんですよこのコメント。2000年5月20日土曜日、雨の東京競馬場に居合わせた事は、多分一生忘れない思い出なので。