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(追加分)何かが道をやってくる

先日の『ハリー・ポッターと賢者の石』の感想で、スネイプ先生可哀想、と書いたのですが、よくよく考えると(ちょっと裏付け弱いですが)児童文学において“何だかよくわからないけど怖い人”というのは、その本質がどうあれ、疑われても仕方ないという一種の約束事はあるよなーと思い出しました。
子供の時分というのは、それが適切であるかはさておき、“何だかよくわからないけど怖い”という存在があるわけで、それが物や状況ばかりでなく、人が対象になる時もあるわけです。
そういう場合はだいたい、“怖い方が悪い”という論理が存在しうるんですよね(子供の世界では)。というわけで、スネイプ先生は、黒くて嫌味っぽくて顔が怖いのが良く無かったという事か。
まあ逆に、この“何だかよくわからないけど怖い人”が、希人であり、転換点となる場合も多々あるわけですが。オープニングで既にいい人である事を見せてしまってますが、ハボリック(?ハリーを連れに来る大柄な人)が、ちょっと強面なのは、そういう意味で、正しいのであるな、と。
……ああ今回のは、映画の感想ではなく物語の構造論の話です。
で、ふと自作を振り返ってみると、私の中での希人は、“女”なのかと(笑) これは男の都合のいい妄想の発露なのかしらん、とか思ってしまわなくも無いのですが、女、しかも美しい女、なのねーと。まあその辺り、ドラマツルギーの問題もありますけど。
主人公の年齢層高いですしね。
大人になる事の一つの作用とは、“得体の知れない恐怖”を想像力で補正する事によって自己解決(克服)するという事であって、“何だかよくわからないけど怖い”を減らす事であると考えるわけで。そうすると、一種の恐怖としての希人というのは、使い方が難しくなるよなぁ、とか。
……ああちなみに、「希人」という言葉は、原義とはちょっと離れた意図的な誤用(?)をしていますので、そのまんまで受け止めないで下さい(^^; 一応本来の原義としては「祝福を与えて去る」存在です。勝手に意味を拡大して使ってます(おぃ) なので、日本の民俗学的なものを用いてヨーロッパのファンタジーを語るという行為も適度に大目に見てやって下さい(^^;
正直、欧米のファンタジーの原則論ってよくわからないんですよね。有名な、童話の構造論みたいなものは、読みましたが。
とりあえず、小学生の時にあまりよくわからないまま無理矢理<ナルニア国物語>シリーズを飲み下してしまったのが良くなかったかな、と思うのですが(^^; 今思うと、図書室に在ったのも、担任の先生がやたらに推薦していたのも、微妙に謎。『指輪物語』は、4巻ぐらいで力尽きました(^^; 誰が何と言おうと、あの文章と逃亡生活は厳しい。
オトナへの割礼的なものは感じるんですけど、これは原則論なのかなーというのは気になっている所であったり。