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ほとんど個人的なメモ

だいぶ前に、「萌え」とはコミュニティの防衛反応であり自発的カテゴライズではないかという事について書いたのですが、その延長線上でふと、
ではオタクというのは世界観ではないか
とか思いつきました。
まあこれは、世間的蔑称と違う用法による、もう一つの使い方でという意味ですが。
“中世ファンタジー”とか“本格ミステリ”とか、それと同じ意味での、世界観。
もう少し言い方を変えると、世の中にはオタク(或いは的)という世界観が存在するのでは無いかと思うわけです。
お約束、とか、約束事、とかいう、フィクションにおいてある限定されたカテゴリにおいて通用するルール。それによって構成された世界観。その一つとしてもう、“オタク”というのは成立してしまっているのではないか、と。
……これはまあ、前回同様、私が“腑に落ちる”為の論理ではあるのですが。こう考えると、昨今のサブカル系色々に、妙な壁だったり違和感を覚えるという事に納得がいくのです。
約束事が受け入れられない、或いは見えていない、のでは無いかと思うのですよね私に。となるとそれはもはや、一つのジャンルであろうと。
極端かつ大雑把に例えると、文中でいきなり「シャルロゥはポーンでブブイルするのさ」という台詞が出てきても、それがSFで私がSFものならば、その内なんかわかるだろう、と流して先に進む事が出来るわけですが(出来るんですね、これが)。
それはきっと、ジャンルのルールであり、逆の言い方をすればジャンルの壁、だと思うのですよ。他に例えば、ライトファンタジーにおいては兜を装備している描写が無くても許容すべき、とか(笑)
こういった物はそれと知らずにあちこちに色々あるものであって、結局はそういった物の集合体こそが“ジャンル”を成すのであるわけですが、とするともはや、オタクというのは世界観として成立しているのではないか、とかふとそんな事を考えたのでありました。
……これは、書き手の立場から個人的に重要な理解。
つまるところ、そういうジャンルの壁を越える技術と作品のパワーが自分には必要になるであろう、という事。まあ基本的に目指している所はそこで良いわけなのですが。