- 作者: 京極夏彦
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1995/01/05
- メディア: 新書
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刑事・木場修太郎は、列車事故の現場に居合わせた事から、楠本頼子という少女と出会う。自殺かそれとも何者かに突き落とされたのか、事故の被害者は、頼子の友人、柚木加菜子。病院で加菜子の保護者を待っていた木場は、彼女の姉を名乗って現れた人物が、密かに憧れていた女優、美波絹子であった事に驚愕する。その驚愕と、そして何かの使命感に突き動かされるように、重傷を負った加菜子の搬送に付き合った木場は、巨大な筺のような形をした不思議な建物に辿り着く事になる。そして数日後、何とか一命を取り留めた加菜子が、衆人監視の中、“消え失せる”という事件が起きる――。京極堂シリーズ第2弾。
もしかしたら私の誤解かもしれないのですが、京極夏彦という人は、“小説の力を信じている”のだな、とそんな事を思いました。
まず何よりも、小説として完成している。それが貫かれている。
ここ数ヶ月、色々と彷徨っていただけに、京極夏彦への好感度がだいぶ上がりました。
さて内容の感想を一言で言うと、気持ちの悪い話。
あまり読んだ事が無いので大きな声では言えないのですが、江戸川乱歩的な気持ち悪さ、とでも言えば良いのでしょうか。乱歩はもっと酷いような気はしますけど。
あと、何というか、ゴシックホラー。
この表現もどうかと思いますが、道具立てとか表現の仕方は、恐らく故意にゴシックホラー調なのだと思うわけなのですが。そもそも、話の大筋に関わってくるバラバラ殺人なんかは、いっけん挑発的なほど、猟奇的なギミックである事を強調されていたりしますし。
で、そーいう色々なギミックを取り去った時に、もの凄いきちんと芯が通っている。
当たり前といえば当たり前な事なのですけど、何だかんだでそこがきちんと出来ている小説というのはそう多くない、というのが実際でありまして。ギミックで眩惑していないんですよ。勿論、眩惑しているんですけど、それを取り去った後にもちゃんと機能するように書かれている。
これは見事。
でも、気持ち悪い話。
それにしても、仮に映画がシリーズ化するとしたら(何故か映画『姑獲鳥の夏』のプロモーション予告編には、既に“京極堂シリーズ第1弾”とか銘打たれていたりするので、興行的に大コケとかしない限りは、どうもその気みたいですが)、この話、どうするんだろうなぁ……。
飛ばされるかな(笑)
まあ、次作以降どういう話なのか知らないので、もっと凄い事になっていたりするのかもしれませんが。