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仮説M

講談社ノベルスの新刊で、本格ミステリ05〜2005年本格短編ベスト・セレクション〜』というのが入ってきまして、それの帯に
「凝縮された本格魂 ミステリの最前線がここにある!」
と書いてありました。
で、それを見て、ああ結局私はこの“本格魂”というやつがわからないんだよなぁ残念ながら……とかふと思ったわけです。
たぶん、好きとか嫌いとかそういう事を超越した所で。
何故なら、嫌いではないしむしろミステリは好きなのですから。しかしこの、“本格魂”というものを受け入れるには決定的に何かが欠けているのです多分。
いわゆる本格の、その筋の正統派作品の、解説で同好の使徒達が「これぞ本格!」と舞台装置の数々に涎を垂らさないばかりの勢いでそれが如何に素晴らしいのかを説いているのを読んでもピンと来なかったのは結局、この魂の部分と何らかの隔絶があるのでしょうきっと。
しかしそれを否定する気は無いのです。
何故なら、私は自分を“SF者”と規定しているから。
正直、「本格」のところを「SF」に置き換えるとほぼ納得が行ってしまうわけですよ。我が事ながらこれは少々痛いというか痛烈に皮肉めいているなとは思うのですが、「“魂”という言葉で定義するしかない何か」が存在するという事は理解できてしまうわけなのです。
まあSFの場合、ジャンル的に肩身が狭いという事もあって看板としてあまり好まれない為に、SFとSFぽい物、の区別をつけるのは結局「書いた当人がそれをSFだと思っているか」による、という事情もあるにはありますが、結局それが“魂”というわけで*1
で、何が言いたいのかというと、“魂”という言葉を持ち出す或いは持ち出さざるを得ない状況にあるジャンルというのは、結局、カルトになるのであろうな、と。
無論、ジャンル分けという行為そのものがそもそもカルト化(平たい表現に変えればコミュニティ化)なのですけど、それ言い出すときりがないので脇に置いておくとして。
で、そう考えると“萌え”という言葉はもしかしてもの凄く機能的なのではないだろうか、などと思い至ったわけです。
もっとも、“萌え”という言葉は当然ジャンルを区分する言葉でなく、元来が多機能なわけですが、この多機能な言葉に一切合切を収めてしまう事により、本来、もっと細分化される筈だったジャンル内ジャンルが表面的にカルト化せずに留まっているのではないだろうか、と。
そしてカルトで無いが故に、“萌え”はあらゆる物を、拡散しながら貪欲に飲み込んでいく。
ここに一つ、強さがあるのかなぁと。
もっともこの拡散は、裏を返せば均一化にも繋がるわけで、私はそういった点でも別にカルト化を否定するわけでは無いのですが。
ただしカルトは拒絶するのです。拒絶するからこそカルト、でもあるのですが。メリットもデメリットもあるので、拒絶しないのが良い、というわけでもないのですけど。
ただ勿論、拡散に対する反動としてのカルト化というのも内部で当然起こっていると思うのですけれど、“萌え”という言葉の真に恐ろしい(優れた??)機能は、そういった枝分かれするカルト、ジャンル内サブジャンルとでも呼べそうな物をすら吸収してしまう所にあるのではないかな、と。
だからどうした、と言われると特にこれ以上は無いのですが。
いやほら、仮説なので。
まあ、仕事中につらつらとそんな事を考えていたという話でありました。

*1:これは言い方を変えるなら、過去の歴史の蓄積を受け継ぐ意思が有るか無いかという事なのだろうと最近は考えているのですが、それに関しては別論になるので割愛