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『七回死んだ男』(西澤保彦)、読了

七回死んだ男 (講談社文庫)

七回死んだ男 (講談社文庫)


時間の「反復落とし穴」に落ちる“体質”である高校生・大場久太郎。親戚の集まる新年会の二日目に反復が発生した久太郎は、思わぬ事態に遭遇する。本来の時間である第1周目に死ななかった筈の祖父が、反復の2周目に何者かによって殺害されたのだ。いったいどうしてそんな事になったのか? 久太郎は殺人を阻止するべく、反復する時間の中で孤軍奮闘するのだが――?!
ある日突然、一定回数、同じ一日を繰り返す。その時間の繰り返しを認識できるのは主人公の少年だけ。時間は基本的に“オリジナル”に沿って繰り返されるが、主人公だけはそこに意図的な変化を加える事が出来る。ただし、時間は出来る限りオリジナルに忠実になろうとする抑止力を持つ為、あまり大きな改変は望めないし、複雑な因果律が予測もつかない結末に辿り着く事も否定できない。そして最も重要な事は、反復現象はあくまで少年の“体質”であり、意図的に発生可能な“能力”ではない事。
という基本設定を背景に、その「反復する一日」の中で起こる筈が無いのに起こってしまった殺人事件の謎に迫るミステリ。
作者の後のカラーを決める事になったと同時に代表作と言われる作品だそうですが、<チョーモンイン>シリーズ(限定された超能力による犯罪をロジカルに解決していくミステリ)好きとしては、楽しく読めました。
提示され続ける微妙な違和感を、「時間の反復」という大仕掛けによってだまくらかす。
そして最後にある論理的解答により、全てがピタリと落ち着く。
細かな違和感の提示の仕方、主人公の感じる不思議の正体、それらの糸が解きほぐされて一枚の絵になる美しさは、お見事。設定が変化球である事でかえって、パズラーを自認する作者のロジックへの嗜好が色濃く出ているように思えます。
巻末、文庫版あとがきで作者がくどくどと「私はSFではなく、本格ミステリを書いたつもりである」「これはSFではない。なぜならSFマインドが無いからだ」と述べているのですが、SF読みかそうでないかで、確かにこの作品への評価の仕方は変わってくるかもしれません。
作者は自らSF読みだそうで、どうも自作が「SF新本格」と呼ばれる事に違和感あるようなのですが、確かに少なくともこの作品はSFではない。
なぜなら、SFマインドがないから。
……となってしまうのがSF読みの悪い所(笑)なんですが、作者が自分で書いている理由付けは、SF読みにしかわからない理屈で、しかし、SF読みには凄い良くわかる理屈であるという、この抗いがたきジレンマ。
しかし西澤保彦の諸作が「SF新本格」と呼ばれていると聞くと、昔から言われている「SF読みはミステリも読むが、ミステリ読みはSFを読まない」というのはやはり真実味のある話なのかと思うわけですが、そんなミステリ読みの方々には、アイザック・アシモフ『われはロボット』辺りから是非。
SF抜きでも『黒後家蜘蛛の会』(これも面白い)という短編ミステリシリーズを書いているアシモフですが、“SFではミステリが成立しない”という(当時の)意見への反論も含め、幾つかのSFミステリも執筆しています。この辺りの短編は、『アシモフのミステリ世界』(まだ版あるのかしら)にまとめられておりますが、SFミステリとしての傑作はやはり、長編『鋼鉄都市』『はだかの太陽』のシリーズ。
立ち位置の話をすれば、SFの中でミステリを描くか、ミステリの中にSF的設定を持ち込むか、という事になって、西澤保彦は自覚的に後者である、という事なのでありましょうが。
ちなみに、“反復する時間”テーマにおける、本家SFの名品のいうと、ジョン・ヴァーリィの『今日もよき一日を』がお勧め。SFマガジンに掲載された短編なので、現在、他で読めるかはわかりませんが(^^; ヴァーリィもある時期以降、全然邦訳されてない感じだしなぁ……。
しかし、西澤保彦みたいな書き手がいて、それなりに売れているというのは良い事だなぁと改めて思う。