1557年、手に入れた肝付城に主力を移し、軍備の拡充をはかった島津家は、伊東家の支配下にある港を攻撃し、この奪取に成功。
これで領地は、城2・支城1・港2、となりました。
兵力かつかつだし、配下武将の能力値は高いものの、人数が不足気味だしで、あんまり強くなった気はしませんが。
このゲームの場合、領地が増えて金銭的に安定して、兵力補充用の領地とか、技術開発の為に学舎を建てまくる領地とか、そういった物が出来てからがどうも本番ぽい。幸い、島津家は金山のお陰でお金には困っていないので、兵糧とか鉄砲を札束で頬をはたく作戦で買い付けまくりですが。
金は城 金は石垣 金は堀!(おぃ)
さてさて、伊東家本城へ攻め込む為に、再び軍備をみちみち増強……していたらここで事件が発生。
本拠南西にある、後方だったので兵も武将も置かずに放置していた港に、敵国から侵略です!
ここで、港から港へ海路で攻め込めるという事、発覚。だから説明書を(以下略)
いやでもね、『天下創世』の時もそうでしたが、正直、説明書、わかりにくいと思うのですよ。
まあそれはさておき、港を奪われると本城も手薄にしている為、連鎖的に危険が増大です。慌てて、かき集めた兵力をそこそこの能力値の武将に率いさせ、援軍を派遣。幸い、敵(有馬家)も一生懸命、船で来るので、時間的に間に合いました。
一方その頃、知らない内にだいぶ勢力を拡大していた大友家が南進し、伊東家の支城を攻撃。これをあっさりと落としてしまいます。東部戦線は早くも、伊東家の本拠を挟んで、大友家と接触間近となってしまいました。
大友怖いよ。
とか言っている内に、西部では港の防衛戦が展開。
その頃、北九州はこんな感じになっていました。
戦国、怖い。
海路で攻め込まれるなど夢にも思わずに手薄にしていた島津家の港に有馬家が主力で侵攻
↓
島津、それを必死に迎撃
↓
その機会を逃さずに龍造寺家が有馬家に侵攻
↓
で、龍造寺の主力が抜けたその隙に、大友家が龍造寺家に侵攻
更に更に、戸次鑑連(立花道雪)率いる大友家もう一方の主力は、支城を陥としただけでは飽きたらず、そのまま伊東家の本拠に侵攻。放っておくと間違いなく次の標的は我が島津家。
そうはさせじと、ここが勝負所とみて、城攻めしている大友家の部隊を島津家の主力で背後から襲撃(笑)
この戦略が絶妙なタイミングで思いの外はまり、大友家の大部隊をほぼ壊滅に追い込むと同時に、落城寸前だった伊東家の本拠にとどめだけさして城まで手に入れるという、会心の展開に。
そしてここまでやってわかったのですが、このゲーム、敵の城を落とす、というのが最も兵力を手に入れる手段みたいです(笑) 城攻めすると、攻撃を受けた兵が「傷兵」(負傷兵)扱いとなり、戦争が終了すると徐々に回復していって正規兵に加わります。で、この際に城を落とすと、負傷兵ごと城が手に入ります。
回復した分、丸儲け。
これにより一気に兵力が1万以上、増大しました。島津家、飛躍の瞬間です。
いやはやしかし、展開が多重かつ早くて、全国モードだったらこれに四国の状況までとりあえずは気にしないといけないのかと思うと、非常にどきどきです。
このゲームにふさわしいと思うキャッチコピーは今の所、
「それどころではない」
何とか港も守りきり、伊東家を滅亡に追いやりつつも、遂に九州最強の大友家と領土を接してしまった島津家の明日はどっちだ?! 北九州も激動の中、次回に続く。