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ガンダムエース9月号〔富野由悠季×安彦良和対談〕より(2)


僕はZガンダムの仕事が入った瞬間から、ガンダムのことが大嫌いになったんです。結局ガンダムの仕事しか来ないというのが本当に情けなくて……

ガンダムを好きになったのはこの7,8年です。根強いファーストのファンがいてくれて、そういう人たちはみんな30代なわけです。その人たちに向かって、俺はガンダムのせいでバカになったなんて話できますか? それは言っちゃいけないと思ったから好きになる努力をした。

嫌いなものを仕事でやるということを大人としてやってみせるしかなかった。食べていくためにね。だから、ほとんど悔しいと思いながらやっていたというのが本音です。
この辺りは、富野=ガンダム、と捉えているか、他の作品もフォローしているかで、印象が変わるかもしれません。あと、『∀の癒し』(ハルキ文庫)あたりで、似たような事を書いていたかもしれない。

第二部ではない次の作品を作るときに、それを継承することにどんな意味があります? 意識して違うものを作るのがプロフェッショナルでしょう。

大人というのはこれほど無様なんだよということを描いたという意味では、苦痛はなかった。だからZとZZを二年間やっても気が狂わないですんだんです。
そんな富野もとうとうVガンダムでキレるわけですが、前述の『∀の癒し』に書いてあったエピソードかと思いましたが、
「子供にうけるよう、大きなものを出せ」
「だったら、戦艦にタイヤつけるぞ?」
「よし、それでいけ」

と言われて、どうしようもなくなったらしい(若干、うろ覚え)。
対談では、ファースト→Z・ZZの関係性についての話がしばらく続くのですが、安彦さんが一貫して、シリーズの続編性というものの存在を主張しているのに対し、富野がそれを否定しているのが、ちょっと面白い。

安彦 ガンダムシリーズは続けられるよ、レールはあるよと、そういうふうにファーストを終わらせたんだよね。ちゃんと親切なラストカットまで作って。


だけどそれはあくまでもファーストという枠内でのことで、
(中略)
レールが敷いてあるように見えるのかもしれないけど、やっぱり完結してるね。
(中略)
継承しているように見えるのはスタイルであって、物語としては完結しています。

作品というのは基本的に孤高のものなんです。
そういう作品に対して、続編が作れると思うのが、おかしいんです。

安彦 富野さんはあの頃、もう手の内見せちゃったって言ってたよね。もう誰にでも作れるよ、だから、おやりっていう引き込み線みたいなものはあったと僕は思う。


その引き込み線というのは、簡単に言えば、ロボットものに戻す必要もないし、ジャンルとしても広がるだろうという意味で、手の内を見せたということなんです。
ファーストを「後のアニメ作品のためにレールを敷いた」と評する安彦さんと、「いや、スタイルは見せたけど同じロボットものでやる必要はないという事を含んでいる」という富野。
この対談は終始、この微妙なすれ違いと漂う緊張感がたまりません(笑)
続く。