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馬は走り、金は回り、想いは踊る


競馬がブラッドスポーツであるならば、優秀な子孫を残す可能性のある馬の血を次代に紡いでいくことが一つの大きな目的ではあるわけですが、それ自体が「ゲーム」である以上、種牡馬になれないという事実はゲームに参加することすら叶わないわけ時点で、「ゲームに負けた」とも捉える事ができましょう。
ゲームの終わり、乗馬入りという名のゴール。『血統の森+はてな』

すなわち血を紡ぐゲームからリタイヤすること自体が「バッドエンド」と捉えた方がわかりやすいのかもしれません。
(同上)
という視点は、自分の中のどこをひっくり返しても出てこなかったもので、実に興味深く、面白かったです。
ブックマークなどでの様々な方のコメント含め、良い勉強になりました。
ところで、大局としての「ブラッドスポーツたる競馬」が成り立つためには、実は「目の前のレースに金を賭けてもらう」事が必要であって(多分)、さてでは、ファンがお金を賭けているのは、システムなのか? オッズなのか? ロマンなのか?
それこそ人それぞれではありましょうが、私の場合は、オッズとロマンが半々ぐらいでしょうか。
一方で、胴元が毎年流すCMは、(法律上の規制とかあるのかもしれませんが)明らかにロマンと情緒を煽っており、それならば、競馬という世界総体の中において、事ある毎に「残念だ」という吐息が出ている内が華、という考え方もあるような気はします。
勿論、その先にある種の淘汰があるとわかっているからこそ、限られた競争生活に対する感情移入の度合いが深まるという部分はあり、これは車輪の両輪というよりもむしろ、ウロボロスの輪(尻尾をくわえた蛇))のようなものかもしれませんが。
とすれば、実のところ“一時の感傷”というものも、「ゲームのルール」のピースの一つではないだろうか、と、そんな事も思ってみたり。