今の相撲界の未来を憂えているわけでもなんでもないですが、これで昔は割と好きだったんですよね、相撲。
子供の頃は中継をよく見ていましたし、学生時代も夜の大相撲ダイジェストを普通に見ていました。
贔屓にしていた力士は、寺尾、千代ノ富士、琴ノ若、など。
ええ、どんな業界でも二枚目が好きです(笑)
まあ今の九重親方の顔つきとか見ると百年の恋も醒める感じでありますが。
「横綱の品格」を問う前に、或いは問うならば、「親方の品格」も質した方が良いのではなかろうか。
私のスタンスは、朝青龍どうこうというよりは、朝青龍と相撲協会を比べた時、相撲協会の方が明らかに胡散臭いよね、というものなのですが、“国技”の看板(自称、だそうですが)の元に漫然と見過ごされていた部分が、いやなんかおかしくないかこの世界? という疑問を持たせてくれるに至った先鞭をつけた、という部分において、朝青龍について思う一番の感情は、言葉にして一番近い所を探すと、感謝、かなぁ。
好き嫌いとは別にして。
力士としては良くも悪くも強すぎて、その全盛期における無駄のない強さが、ある種の“可愛げ”に転化されなかった事がモンゴル人力士としての朝青龍の不幸であり、そんな朝青龍を受容できなかったのが、相撲協会の限界であったのでしょう。あとは自分たちのメンツ第一の相撲協会と、その取り巻きと御用聞きの人達が、モンゴルの方に向けて変なボールを投げない事を祈るばかりです。
まあ個人的には、相撲について何か書くのもこれが最後ではなかろうか、とそんな事を思う。