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ロシアより四回転に愛を込めて

バンクーバー五輪、男子フュギアスケート終了後の、プルシェンコ(ロシア)。


「採点システムは変更されるべきだ。五輪王者が4回転ジャンプの跳び方を知らないならば、男子シングルではなくアイスダンスに名前を変えなくてはならない」と怒りを爆発させた。
〔プルシェンコ4回転も怒りの銀/sanspo.com〕
大方の日本人は反射的に「潔くない」と思う気がするし、かくいう私も、なんとなくプルシェンコ贔屓気味ながら、「負けた後にあんまりそういう事は言ってほしくないなぁ」とか直後には思ったのですが、よくよく考えるとそもそも採点競技はその基準や採点そのものに常に議論がつきまとう宿命ではあり、
“一つの戦いは終わった、しかし次の戦いは既に始まっている”
という事なのかなぁという気もしてきました。
勿論、単純に悔しいというのはあるでしょうけど。
実際、プルシェンコは凄く良いという感じではなかったし、あの手足だけで何点か加算されそうなライサチェクも素晴らしかったわけで。
そんな中でプルシェンコの立場としては勝てば勿論それでいいし、負けても“物議を醸す”事に、ある程度の意味はあるのだろうな、と想像してみます。彼個人の成績の事だけでなく、フィギュアスケート全体を考えた上での一つの信念なのでしょうし。
怪我持ちでもあり、4年後にも本当にスーパーロシア人が降臨するかはわかりませんが、そこへ向けて既に一つ石を打っている、と考えてみるのはまあ面白い。オリンピック以外でも滑るわけですしね。
好き嫌いはありますでしょうが、日本人はこういうアピールは不得手な印象ありますが、世界で“勝ち続ける”為には、こういう要素も、必要ではあるのだろうなぁ、とちょっと思います。
〔プルシェンコ「銀」にロシアで不満の声/sanspo.com〕
↑ここまで盛り上がってしまうと、良し悪しという感じではありますが。
ところで、冒頭に掲げた記事の写真が微妙だったり、

「(トーループより高難度の)4回転ルッツを跳べるようにする」と4回転に執着する。
「執着」というあまり響きの良くない日本語使っていたり、

だが、五輪前になって、ジャンプで得点を荒稼ぎするロシア人に、米国ジャッジが表現力のなさを指摘するメールを関係者に送っていたことが発覚。
「4回転」大論争…競技Vs芸術
強調部分は米国ジャッジがそう書いたわけではなく記者の表現だろうし(書いていたらすみません)、

大技はなくても、各要素の出来栄えで勝負。「4回転論争」にとりあえず、“決着”をつけた。
ライサチェック4回転跳ばず金
とりあえず決着つけちゃったり、
サンスポのフィギュア番(?)の人は、4回転派では無いようです(笑)
まあとりあえず、エキシビジョンが楽しみです。