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『シャーロック・ホームズ最後の解決』(マイケル・シェイボン)、読了

シャーロック・ホームズ最後の解決 (新潮文庫)

シャーロック・ホームズ最後の解決 (新潮文庫)

ユダヤ警官同盟』で、日本でも一躍名を馳せた、マイケル・シェイボンによるホームズものパスティーシュ
英国南部の片田舎、親と祖国を失い、司祭館に引き取られた口のきけない少年には、親友のオウムが居た。だがある日、そのオウムが姿を消す。そして司祭館に姿を見せた一人の客が、死体となって発見される。果たしてオウムの行方は、そして殺人事件の犯人は――? ふとした事から少年と知り合った、養蜂家の老人が、事件の解決の為に動き出す。
ネタばれでも何でもないというか、読む上でもはや前提になっているので書いておくと、この“養蜂家の老人”が、既に探偵を引退して久しいホームズその人です。いわゆる“正典”で、ホームズの余生がそういう設定になっております。
ユダヤ警官同盟』がちょっと気になっていたので、その肩慣らしにしようと読んでみたのですが、出来の方は今ひとつ。特別面白くもなかったのですが、これは、立派な長編でござい、と文庫1冊(約150ページですが)で出した出版社にも、幾分の責任はあると思います。分量的にも中編、内容的にも、短編集やアンソロジーの一本だったら許せるかな、といった程度。どう贔屓目に見ても、『ユダヤ警官同盟』が予想以上に売れたので、翻訳権その他を手早くクリアできそうなやつを、鉄の熱い内に出してしまえ、と大急ぎで出した感じ。
そんなわけでお薦めはしませんが、本編よりも、訳者あとがきで引用された作者のエッセイからの言葉が面白かったので、ご紹介。

シェイボンは、およそ小説というものは、程度の差こそあれ、すべて“ファン・フィクション”ではないかと言う。
パスティーシュやパロディの形をとらなくても、先行作品に言及したり、オマージュを捧げたり、一見それとはわからない形である要素を取り入れたりするほか、本人が気づかないうちに先人の影響を受けていることもある、というのだ。
人によっては独創性にこだわるあまり、知らないうちに誰かの影響を受けているのではないかとか、誰かの真似だと非難されないかなどと不安を覚える向きもあるようだが、その不安は自分には理解できない、とシェイボンは言い、そのエッセーをこう締めくくる。


“すべての小説は続篇であり、影響を受けることは至福である”
これは、実作をやっている人間としては、共感のできる言葉。
やや極論(恐らく意図的に)ではありますが、実作をしている人間は、大なり小なり、こういう意識はどこかに持っていると思います。というか、嫌でも思い知るというか。
まあ往々にして不寛容なのは、実作をしない人と相場は決まっている。
ユダヤ警官同盟』は、その内、時間が出来たら読んでみたい。