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六月の勝利の歌を懐かしむ〜トルシエ会見全文集より〜:9

〔スポーツナビ | サッカー|日本代表 | トルシエ会見全文アーカイヴ〕


〔2001.4.16 トルシエ監督スペイン戦直前会見全文〕より
このスペイン戦というのは、私たちにしてみれば「またここでもしっかりと情報を取って来るんだぞ」というひとつの段階としての試合であるわけです。要するにカザフスタン、タイと戦って取る情報よりも、フランス、スペインを相手に戦う試合のほうが私たちにとってもたくさんの情報が得られると思っています。
トルシエが口を酸っぱくして繰り返していたわけですが、これもジーコ時代に皆無かった事にされたというか、ジーコ批判をしないが為に、“こういう思想そのものが無い”事にされて、結果、全て「負けられない戦い」(だけどアジアもレベル上がっているよね)にしてしまった傷跡は果てしなく深い。

私たちは今回、「第2の実験室に入った」ということになるわけで、それがアジアの外での実験室になります。そこでは日本の選手たちとともに「ディフェンス」というカルチャーを醸成していかなくてはいけないわけで、それによって自分たちの力でしっかりと試合が支配できるように、そして自分たちの思ったやり方で試合が運べるようになっていかなくていけない。そうしたことがワールドカップできちんとした結果を出すために求められていることだと思うのです。

〔2001.5.20 コンフェデレーションズカップ直前会見全文〕より
トルシエ劇場」か「トルシエ激情」なのか。20日、日本サッカー協会コンフェデレーションズカップを直前に控えたトルシエ監督は、会見場で再び赤鬼と化し、記者団と丁々発止を繰り広げた。取材陣が聞きたかったこと、トルシエ監督が訴えたかったことは微妙に意図がズレ(あるいは意図的にはぐらかされ)、質疑応答は迷宮の中にはまっていった。揚げ句の果てにはスペイン戦での敗戦を選手名指しで戦犯扱いし、自らの責任を回避――会見場での両者のジレンマは、そのまま日本代表が置かれた状況にあてはまる。この道はいつか来た道なのか、それともトルシエ監督の言うとおり、コンフェデレーションズカップが「新たな進歩、新たな自信を求める大会」となるのか? 新聞のベタ記事からは決して伝わることのない、会見から垣間見える真意を全文から読み取れ!
↑本文入る前に、この煽り(笑)

今回のコンフェデレーションズカップは、日本代表のW杯へ向けてのプリペレイションつまり準備という枠内に入ってくるものです。つまりコンフェデレーションズカップをワールドカップだと思っている方のためにこのお話をさせてもらいました。
いきなり先制攻撃だ!(笑)
面白すぎる。

今回のコンフェデレーションズカップというトーナメントですが、あくまでも私たち代表チームにとっては現在行っている過程、プロセスの延長線上に位置するものです。つまりこのトーナメントを戦うことにより、よりたくさんのデータというものを収集していくわけです。それが選手に、わが代表チームに役立っていく。と、同時にこのカップが経験となって私たちの前進に役立ってくれるものと思います。

素晴らしいサッカーが見れるコンフェデレーションズカップになってほしいと思いますし、日本代表チームも人々に夢を与えることができ、積極的なプレーがしっかりと出せる試合をしてほしいと思います。

ディフェンシブに戦うということはありましたけど、このことについてかなり混乱があったようなので、お話させていただきたいと思います。スペイン戦の前に3時間15分かけて、いろいろとポイントについてご説明させてもらったと思ってますが、やはり、分かってほしいのは、世界中のどの監督が、負けようと思って戦いにいくのかということです。そんな監督はだれもいません。対戦相手がいる、そして、対戦相手と自分たちの力関係というものが対戦相手で決まってくるのです。例えば、そういった力関係というものが私たちにいろいろな設定条件というものを決めてくるわけで、例えば「明日台風だよ」と言われたらみなさん窓をお閉めになりますよね。でも、本当は窓なんか閉めたくない。でも、どうしても雨戸を閉めなければいけない。そういう条件になると思います。つまり、ディフェンシブに戦うとボールが自分たちの手中にはないということなんです。ボールが自分たちの足元にないということは別にほしくないからじゃなくて、ほしいけどこないということになるわけです。

どうか、稲本(潤一)にバイエルン・ミュンヘンでプレーする機会を与えてあげてください。伊東(輝悦)にレアル・マドリーで、高原(直泰)にアーセナルで、松田(直樹)にマンチェスター・ユナイテッドで。そして、森岡(隆三)にモナコで戦う機会を与えてやってください。同じ、この選手で構成されたチームでも、もしこういった経験というのが一人ひとりの選手で、それも、この「上」の経験を積むことによって、もっと個人個人の表現というものが違った、同じ選手でも同じチームでも違ったものになるんです。つまり、私たちにはそうした経験というものが不足しています。

個人一人ひとりのイマジネーションを考えた場合には、フランスとスペインという2戦を戦って、選手たちは前と同じ選手ではありません。彼らはもっと自分たちの表現力というものを身につけて、そして、もっと10メートル先に行ける、そして、3秒長くボールをキープできるようになる。

私が魔法の杖(つえ)を持っているんじゃないです。私が何か杖を振ればすべてがガラッと変わるものではないということをしっかりとくみ取ってもらえたらと思います。

3人の監督がいて、それぞれやってきたことがうまくいかなかったわけで、となったらじゃあ選手のせいだと思わないんでしょうか。または(国内)リーグ戦のレベルが低いとは思わないんでしょうか。

唯一のハンディというのは、日本の選手の成熟度と経験が、そして、最後に自分の中でどっちにするかという決定力がない、ということです。

スコットランドなりイングランドなりオランダなりスペインなりフランスなり、3部リーグでいいんです。3部リーグでも経験を積めば、つまり自分自身がそうした体験を積むことによって、98年の同じチームでも、同じ選手で構成された同じチームでも、きっと、それがあればクロアチアにだって勝てると思います。

それだけレベルの低い選手、経験のない選手、ヨーロッパというものを知らない選手たちと共にやっていくためにはいい監督が必要なんです。僕みたいな(笑)。経験が足りない、そうした時にどうやってやっていくのか、もう必死になって選手のジャージを引っぱってああやるんだ、こうやるんだ、そして、ビデオを見てああなんだ、こうなんだ、と。「お前、こうやらなきゃいけないんだ」ということを実際にチームの皆に対して分かってもらえるように、挑むように言って、そして、一人ひとりの選手が自分自身でヨーロッパに行くことでしか経験できないようなことをチームの中で学んでもらおうとしているんです。

皆さんが代表に勝ってほしいという気持ちは分かります。でも、本当に強くなっていく代償を今、われわれは支払っています。1時間でラウルを凌駕できるプレーができるかといえばそうではないんです。そのためにも、現在、前進しているのです。
これでこの後、コンフェデ杯で結果出せなければただの大放言というか、解雇或いはそれこそ辞表を出すという歴史もあったかもしれませんが、結果は準優勝。かくて冒険は続く。
それにしても、サッカーマスコミの方々は、この頃と今だったら、実はどっちが楽しかったんだろう? というのは、ちょっと聞いてみたくはある。