はてなダイアリーのサービス終了にともなう、旧「ものかきの繰り言」の記事保管用ブログ。また、旧ダイアリー記事にアクセスされた場合、こちらにリダイレクトされています。旧ダイアリーからインポートしたそのままの状態の為、過去記事は読みやすいように徐々に手直し予定。
 現在活動中のブログはこちら→ 〔ものかきの繰り言2023〕
 特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)

スポーツマンガに関するえとせとら


「野球漫画の文法で描かれるサッカー漫画」/『昨日の風はどんなのだっけ?』
日本のスポーツマンガには、『ドカベン』以降は野球マンガの文法しかない。だから『キャプテン翼』では、基本的に野球マンガのストーリーは、投手戦にするか、シーソーゲームにするしかないんだけど、それをサッカーに当てはめるために、GKは投手、ストライカーはそれを打ち倒そうとする打者、という視点のサッカーマンガが多くなる。
凄く、『キャプテン翼』に関して、目から鱗だった話。
なんか、森崎の立場が、やっと理解できました(笑)
で、自分の読んだ事のあるサッカーマンガについてちょっと考えてみようと思ったのですが、よくよく考えてみると、ちゃんと読み終えてある程度の記憶があるサッカーマンガが、
俺たちのフィールド村枝賢一)とホイッスル!(樋口大輔)しかありませんよ私。あと、現在進行形で『GIANT KILLING』(ツジトモ綱本将也)ぐらい。
ホイッスル!』は割と普通に好きなんですが、記憶の9割が風祭兄なので、実は細かい事はよく覚えていない!(おぃ) まあ途中からスーパー中学生のスーパーサッカーになったり、選抜編に入ってからは意外と個々の勝ち負けを云々するマンガでもないというか、完全に“サッカーを素材にした青春ドラマ”になるのですけど。
『俺フィー』は、連載時にどこまで志向できていたのかはわかりませんが、最終的に、1話から最終話まで全部繋げてしまったという、大河スポーツマンガで、サッカーとか野球とかいうよりは、“大河ドラマ”の文法で書かれているので、ちょっと例外な気がしてしまう。なにしろ、高校サッカー編をコミックス2巻程度でぶっとばして、主人公がアルゼンチンへ渡ってしまうマンガ。
個々の試合に関しては今読むと、それはファウルを取られるだろう、みたいなの多いですが(笑)
とはいえ個人的に、文法云々は別にして、GKがディフェンスラインに指示を出してシュートコースを限定させて止める、みたいなシーンが描かれていた事は印象深い。
こと少年マンガにおいては、
“そのスポーツのマンガである事”
よりも
“そのスポーツを素材にした少年マンガである事”
の方が重要だと思っているのですが(少なくとも、マンガとしてのヒット率が高いと思う)、もともとの相性も良かったのだとは思いますが、水島新司が偉大であったのは、“少年マンガの文法”と“野球というスポーツ”を融合させて、そこに、おりた(id:toronei)さん言う所の野球マンガの文法”を誕生させ、それを一つの基本形として成立させた事か。
結果、

ドカベン』以降のスポーツ漫画は、みんな水島新司の文法になった
(同上)
水島新司の偉大さについては、現状が現状だけに、定期的にアピールしなくてはいけないだろうか、とか思うのですが、“凡ミス”の使い方がうまい、というイメージがあります。
スポーツマンガにおける学生スポーツとプロスポーツの差には、(マンガの)展開・構成上の、前振りなき凡ミスが許されるかどうか(その許容量の振幅含め)、というのがあると思うのですが、現実にプロフェッショナルが凡ミスをしないわけではない、とはいえ、マンガの中で物語に“プロの凡ミス”を組み込むのは、ある程度の前振りが無いと少々苦しい。ところが、学生スポーツなら“凡ミス”はむしろ有り得るべき不確定要素ともいえ、物語に組み込んでも不自然ではない。
この辺りの使い方が、水島新司は上手い。
一方で、『あぶさん』や『野球狂の詩』など、プロスポーツが中心の作品になると、比重は“勝敗”よりも“ドラマ”に置かれる。
そしてそこで水島新司の背景にある、“極道”とか“任侠”が活きる。
基本、初期水島の物語性というのはアウトロー賛歌であると思うのですが、そこに滲み出る“狂気と侠気”というのは、その後、水島新司以外の後発作品が、辿り着けなかった部分ではないかと思う。もっともこの“狂気”の部分というのは恐らく、水島が、水島以前の時代(単純には、梶原一騎)から受け継いだものだと思うのですが、今そういう“狂気”を残したスポーツマンガってあるのかなぁ。
大甲子園』時代の犬飼知三郎とか、超狂ってます(誉めています)。
水島新司の描いてきたキャラクターの中でも、ベストの一人だと思う。
素材の話に戻すと、良くも悪くもジャンプ的なスポーツマンガの場合、“素材としてのスポーツ”が前面に出過ぎた結果、スーパー選手のスーパープレイ合戦になってしまう事が多々あって、凡ミスとかどうでもよい要素になってしまったりするわけですが、そんな中で、スーパープレイ合戦をしつつもメンタルな部分を重視していた『ライジングインパクト』(鈴木央)なんかは、善戦虚しく非業の討ち死には改めて勿体なかった。近年だと、卓球マンガ『P2!』(江尻立真)なんかも、独自のスポーツ性が出せそうな所で、出す前に憤死。もうちょっと読みたかった作品。
近年、“素材としてのスポーツ”を活かしきった好例としては、“ジャンプマンガ約15年分”+“アメフトという素材”を見事に融合させた『アイシールド21』(村田雄介稲垣理一郎)でしょうか。
前にも少し書きましたが、『アイシールド21』は、現在30前後の元ジャンプっ子達の共通体験ともいえる黄金期ジャンプが土台にあって、80年代後半〜90年代のジャンプマンガを統括したマンガ、と言っても過言ではないと思っているのですが、スポーツマンガの文法という観点から考えると、一つの成功要因は、コン・ゲーム的要素、なのかもしれません。
試合の中の、騙し合い。
これぞまさしく水島新司の得意技なのですが、野球というスポーツを、物語にする時の大きな利点の一つは、多分これ。まあ、後に水島新司はこの部分に引っかかりすぎて、本末転倒するようになってしまうのですが(^^; その辺りが、全盛期水島と、もう駄目だ水島、の分かれ目だと思う。
『アイシールド21』も後半、ちょっとその要素が強くなりすぎて、マンガと読者の裏の読み合い、みたいになってしまった所はありますが。あと、この作品は、負け試合の使い方、が上手であった、という部分は特筆したい。
ジャンプにおけるその辺りは、(結果的に)『SLAM DUNK』(井上雄彦)のお陰なのでしょうけれども。
こういう論法で行くと、『GIANT KILLING』は、負けを許容されるプロリーグにおいて、監督がコン・ゲームを長期的な視野で仕掛けている、という所が一つの面白みかと思うのですが、このマンガがどこに進むのかは、今なかなか面白い。個人的には、現シーズンは優勝してほしくないのですけど。