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神の手の平

またぞろ、トレースどうこうという話が出ているようですが、ネット上における、パクり云々に関わる話の大半は、「無知とブレンドされた正義感」か「ちょっと囓った事のある人の嫉妬」の産物だよなぁ、と思っております。
昔、島本和彦が『炎の転校生』(コミック文庫版)のあとがきマンガ(確か)で、作中の鞄の絵などに触れて、
「当時は、実物を見ないで描くのが漫画家として正しいと思っていた!」
みたいな事を書いていましたが、これ、実作をやった事のある人には「そんな無茶な!」と同時に「あー、あるある」という話で、だから笑い話として成立するのですが、逆に、実作経験の無い人には、さっぱりピンと来ない話なのかもしれません。本人の経験談でもあるように、実作していてもしばらく気付かない場合もありますし(気付かないままにいけてしまう人、も居ないとは言わない)。
例示が鞄なので、鞄ぐらい何とかなるのでは? という向きもあるかとは思いますが、逆にそこで、実物を見て練習しないと、上達しないのは確か。
勿論、あらゆる人がそこを目指す必要はないのですが、
実物を知った上で描く嘘

実物を知らないで描く嘘
というのは、全然違うものです。
そこは知っておいてほしい所ではあります。
(まんま、書き写していい、という話ではありませんが)
一方で、ちょっと囓った事のある人の、「なぜ(私は駄目で)これが人気あるんだ」的な感情に根ざしているものは、少々面倒くさい。
ただ、ある時間以上、真剣に実作をした事のある人間は、自然と安易に「パクり」という言葉を使わなくなりますが。
嫉妬とか不満はあっても、別の言い方になる。
何故なら、創作のベースは模倣にある、というのがわかってくるから。
或いは、思い知らされるから。
まあ、ほんの一握りの天才は、居るかもしれませんけど。
勿論、ゆえに全てが許されるわけではありませんが、いったい誰に線引きが決められるのか、という所は、極めて難しい問題である、という事は頭の片隅に入れておきたいものです。
一応、蛇足として書いておきますが、実作した事のない人間は何も言うな、という話ではありません、念のため。
そういうものは、常にあって当然であるし、ただそれを、正義と混同してはいけないと思うのです。とかくネットはそこを誤解させて拡張する作用がある、という点について自覚的であった方が良いのでは、という部分も含めて、そんな話。