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『サマーウォーズ』感想

ようやく見ました『サマーウォーズ』。
なお視聴したのは地上波放映のものであり、放映時間に合わせて、かなりの時間カットされていたという事なので、下記にあげた不満点などの内の幾つかは、本来は描写されている部分であった可能性がある事を、先にお断りしておきます。
また内容は本編のネタバレを多く含みます事を、ご了承下さい。
−−−−−
とりあえず、始まった途端に、画面の上下に総務省地デジコールセンター」の文字が出てきて、萎える(笑) いやもうこれは、全く本編の責任では無いのですが、ちょうど作品の導入自体が、仮想世界の紹介から入る為、画面的に「OZが地デジの宣伝してる」みたいになってしまい、地上波、酷いなぁと(笑)
で、物語入って冒頭、ヒロインが思ったより可愛くないなぁ、と(笑)
いや結局、このヒロイン(ナツキ先輩)は、なんか徹頭徹尾、琴線に全く触れなかったのですが。
というか、100%、カズマくんがヒロインにしか見えなかった。
一般的に逆に思われているかもしれませんが、実はマンガやアニメというのは、「絵」だけでは誰が美人なのかをうまく表現できないジャンルであって、あるキャラクターの美醜を表現しようと思ったら、第三者の反応か対比させる別のキャラクターを登場させなくてはなりません(その上で、対比、になるキャラクターでないと、ますますわからなくなる)。
例えば、似たような容姿の女(男でもいいのですけど)を10人並べた時に、その世界観において、「10人とも美少女」なのか「10人ともどこにでもいる程度」なのかは、外的要因がないと判別できない。
つまり、11人目、の容姿次第となる。
それが一枚絵だったら、そこから受けるイメージだけで判断して構わないのですが、そこに“世界観”と“物語”がついてくるなら、その中でどういう立ち位置なのか、は明確にされる必要が出てくる。
例えば実写(実生活)においては、もちろん個人の好みによる偏向はあるものの、ある程度の部分、“世間一般における美人の尺度”というものが存在していて、それに準ずる事が可能なわけですが、一方で、マンガやアニメにおいては、その描き手によって“世界の尺度もしくは容貌の平均値”が変化します。
わかりやすい所で例えると、よくあるのは、少女マンガのヒロインなどで、男性読者の目から見ると“普通に可愛い”のだけど、マンガの世界内においては“いいとこ10人並み”とか。
勿論、美形に見えるのは全部“美形ばかり”という世界観もあるし、それは全て作品と世界観次第で構わないのですが、その部分の説明を怠ると、話がわかり辛くなります。
二次元的なフィクションにおいては、第三者の反応があって初めて、そこに相対的な価値観が生じるし、フィクションであるからこそ、そういう、立ち位置の明確さに意味が生じる。
勿論、例えばキラキラする効果を重ねるとか、何らかの演出によって対比なしに「美人の立ち位置」を確保する事も可能です。
アニメーションにおいては、実写における「配役」と同じように、「声優のキャスト」によってそれを表現する事も可能。
しかしその両方の手段を取らなかった本作においては、その辺りが曖昧なまま、しばらく話が進んでしまいます。
そこで何が引っかかるかというと、ナツキ先輩は徹頭徹尾、“美少女ヒロイン”でなければ許されない立ち位置にいながら、しかし、作中における“美少女ヒロイン”としての描写があまりに弱すぎる。
タレント起用で声が微妙なのは色々とオトナの事情もあるのでしょうが、描こうと思えば描ける筈のキャラクターデザインの人が露骨な美少女にするわけでもなく、第三者の反応といえば主人公と友人がちょっとデレデレしているぐらいですが、あの年頃の高校生男子の反応など、まるで参考になりません(笑)
というわけで、ナツキ先輩と同年代の友人を出すなりより外部からの情報を出すなどの必要が本来ならあるわけで、途中でやっと、友人との電話で「うちの学校で一番人気」という情報が出るので、そこで「ナツキ先輩はこの世界観における美少女ヒロインという基準でOK」という事になるわけですが、そういった描写の部分を仮にカットしていたのだといたら、それは監督自ら行ったという編集としては、ミスだと思います。
いやどう考えたってヒロインの立ち位置だろ?!
と思う向きもあるでしょうし、全くその通りだとは思うのですが、その通りであるからこそ説明必須の筋、というものは作劇においてはあって、特に上述したようにナツキ先輩が、“美少女ヒロイン”でなければ許されない事、をやっている以上、それはあえて露骨でも、一番最初に、されなければならない。
さして繋がりがあるという描写もされない先輩のお願いで実家に3泊4日
という行為が物語において正当化される為には、先輩が物語世界における強権力者(=この場合は、美少女ヒロイン)である、という事が説明されなければならないのです。
それは、視聴者が勝手に納得すればいいというものではなく、語る側が表現をしなくてはいけない部分。
まあ単純に、わかりやすくヒロイン声の声優を起用しておけば万事解決、の話だったとは思いますけど。
色々とパブリシティの問題もあるでしょうし、どちらかといえば舞台俳優が本業という方もたくさん居るわけで、「声優」を絶対視・神聖視するほどウブではありませんが、一方で、今作のようなキャスティングをすると、永井一郎とか中村正とか、練達の声優の声が目立ちすぎるというのも、どうかなーとは思う。
話がちょっと逸れましたが、つまるところこの映画って、ナツキ先輩は美少女ヒロインである、というのがまず全ての前提であって、家族がどうとか、というのは後付けなわけですが、ノーカット版がどうかは知りませんが、監督はそこで躊躇してはいけないと思うのです。
そこの所は、
変態オヤジに美少女が捕まっているよ!
とか
空から美少女が降ってきたよ!
とか
美少女が触手と粘液まみれだよ!
とかで、一切、手を抜かなかった先達を見習う所ではないかと。……最後の一つ除いて。
近年、先鋭化するオタク的なるものとはまた別の次元で、ヒーローにヒーロー力があるようにヒロインにはヒロイン力というものがあるのですが(故に虚構の物語は成立する)、そういうものを巧く描ける人が減っているというのか、そういうのをストレートに描くのが嫌われる時代なのか。
もっともっと、恥ずかしくて良かったのではないか、と思うこの映画は。
さて作品的に、あまりリアルでの被害を出したくはなかったのでしょうが(最後のニュースでも死傷者無しと明言していましたし)、その為にOZでの混乱が現実社会に大きな影響を与えている、というのが今ひとつわかりにくかったというか、色々と描写が挟まれていた割には、もう一つ、緊迫した雰囲気が伝わってこなかったのは、少し物足りない所。
まあそれが、危機感の薄いままの後半突入への布石にはなっているのでしょうが、情報の共有性という部分も含め、ワビスケさんの帰還から急に危機感のボルテージが上昇する辺りの流れは、ちょっと失敗している気がします。
なんというか、こう、これは全体的な事なのですけど、「家族」の話に収めようとして、色々すっきりしなくなっている。
極端な話、おおばあちゃん殺さなくても、この話、成立すると思うのです。
筋を分解して完全に組み直すほどの労力を割くエネルギーはないのですが、今作の大筋って
〔憧れの先輩と彼女の実家へ→そこで出会う大家族→OZのセキュリティを解いてしまう主人公→ハッキングウィルスがOZで大暴れして色々大変→混乱の収集→しかしまだラブマシーンは生きている→おおばあちゃんの死→立ち上がる男達→家族の力の結集〕
というものなのですが、おおばあちゃんの死というタームがある事で、「私的な敵討ち」というモチベーションへ誘導して、そこから「家族の戦い」に話をシフトしているのですが、かえって変な苦味がある上に話が小さくなってしまったような。
もっとすっきりする話の作り方は色々あったと思うのですけど、究極、ラブマシーンの暴れるのは後半のみにして、電脳上で戦う男達、おおばあちゃんの電話を中心にリアルで戦う女達、という形で後半に全てまとめても良かったのではなかろうか、と、あくまで個人の好みですが。
もう一つ引っかかったのは、キング・カズマvsラブマシーンの、戦闘シーン。
まあ、映画的見せ場の為のアクションシーン、といってしまえばそれまでなのですが、ハッキングウィルスのアバターを殴る事の意味とか、水攻めにする事の意味がわからない。
あくまであれは、閉じこめる事に意味があるのであって、他はあまり考えないべきなのかもしれませんが、あのアクション自体が、何らかのウィルス駆除作業の視覚化だと思って見ていたのは、単なる私の誤解か。
キング・カズマ自体は格好いいのですけど、ではあのシーンが必要だったのかと思うと、かえってわかりにくくなったというか、極端な話、無くても困らないなぁと。
作品的に、アクションシーンを見せ場として持ってくる、という必然性は無かったと思うのですけど、やるならやるで、殴り倒す事、にもう少し意味を持たせても良かったとは思う。フィクションでは、意味を付け加える事、が出来るわけで、格闘に意味があるのだという事にしておけば、単なる“見せ場”とか“格好いい”以外の要素を持ち込めたわけですが、それが無いなら(あったかもしれませんけど)、むしろ家族との交流シーンの方が、この作品としては重要でしょう。
それを踏まえないと、ラストの花札シーンが盛り上がらないわけですし。
で、ラストの花札がなー、演出的にまるで盛り上がらなかったのですが、あれは尺の都合で溜めのシーンをカットしたりしたのでしょうか。さすがにそうだと信じたい。
早送り過ぎ。
やろうと思えば、もっと格好良く、花札出来る筈。
その前の、世界中のアバターが、という所はさすがに盛り上がりましたが、あーいう、盛り上がって当然、の所は評価しません(笑) アバターを賭ける、の時点でわかったネタでしたし。
家族のアバターを賭ける、という所も盛り上がる、というか、あそこでやっと物語が構造的に繋がるのですが、なおの事、カットされていたというのなら、花札の伏線は確保しておくべきでした。
というかそれが無かったので、私はてっきり、キング・カズマに世界の残り60%のアバターが合体して、巨大カズマになって巨大ラブマシーンと戦うのかと思ってたんですけどね(笑)
ところどころ、いいなと思うシーンもあったのですが、総評としては、物足りず。
大きな要素としては
・ヒロイン力が足りない
・どうも構成がすっきりしない
という2点なのですが、すっきりしない、のは、まあ私個人の作劇の志向と密接に関わってくる部分だと思います。カタルシスの方向性ともでいうか。
総評としては、
もっと恥ずかしい映画でよかった
と思う。
監督が恥ずかしがったのか、お金出したり企画立てたりする人が恥ずかしがったのか、よくわかりませんが。
つまり、ヒロインが花札している間、主人公がキーボード叩いているおじさんの横、ってどうよ、と。
多分、そういう事。
余談。
まるで役得の無かった佐久間くんに、いつか幸せになってほしいです(笑)
主人公の親友は非常時に無駄にいいヤツ、を地で行くキャラクターでしたが、なぜか毎日登校(バイト?)している所も含め、大活躍、佐久間。
世の中には、下心があっても女運のいい男と、下心が見えすぎてモテない男、が居て、佐久間くんは明らかに後者に所属している感じですが、ナツキ先輩は佐久間くんに友達を紹介してあげるべきだと思います。