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「八百長」とは何か、「勝負」とは何か

ところで、これは前から思っているけどなかなか言語化しにくい所なのですが、
「勝つための勝負」と「真剣勝負」と「観客の期待に応える勝負」
って、全部が全部重なり合っているわけではなく、重なっている所があると同時に相反している部分があり、「勝負」という言葉を用いる時にどこに力点を置くかで、微妙にその意味が変わってきます。
厄介なのは、それは同時に「八百長」という言葉の意味にも変化を与えるという事であり、乱暴な言い方をすれば、
「全てのプロスポーツには八百長の要素がある」
といえない事もないとは思っています。
許すとか許されないとかではなく、角度によってそういう捉え方も出来る、という事。
ゆえに「八百長」というのを、意味論にしてしまうと、なかなか面倒な事にはなる。
あくまで事象の話にしておかないと。
どうも一部親方の言動が「八百長」の意味論に傾いているようで、あまり良くないなぁと思う一方で、協会を責める側もあまりに純真な正論は巡り巡って自らの首を絞めるのでは、とはちょっと思う。
120%、相撲協会の擁護などしている訳では全くないのですが、この感覚がどうにも言語で説明しにくい。