演出というのは、“空気”なんだよなー。
嘘なのは大前提で、如何に統一した嘘をつくかなのです。
虚構の世界の空気が統一されてていれば、それは許され得る嘘となる。
逆に言えば、フィクションというのは、如何に“嘘”を成立させるか、という作業もであるのですが。
しかしまあ、「ですよねー」は無いよなー。
それでも「ですよねー」やりたいなら、「ですよねー」が成立するように虚構を組まないといけない。
世の中これがわからないで脚本書いている人も監督している人も沢山いますが、それにしても、今年の大河は酷い。