はてなダイアリーのサービス終了にともなう、旧「ものかきの繰り言」の記事保管用ブログ。また、旧ダイアリー記事にアクセスされた場合、こちらにリダイレクトされています。旧ダイアリーからインポートしたそのままの状態の為、過去記事は読みやすいように徐々に手直し予定。
 現在活動中のブログはこちら→ 〔ものかきの繰り言2023〕
 特撮作品の感想は、順次こちらにHTML形式でまとめています→ 〔特撮感想まとめ部屋〕 (※移転しました)

『超新星フラッシュマン』感想総括

一言でまとめしまうなら、如何にも過渡期の作品。
同時に、1年の物語を構成する難しさを、まざまざと思わせてくれるシリーズでありました。
全体的な理由付けの無さ、適当な伏線、いい加減な戦闘、などなど、以後のシリーズで徐々に改善されていく問題点が全て浮き彫りで、その中で、部分部分で光るものや試みがあるのですが、まだそれが全体には至っていない。
物足りなさと惜しさの同居するシリーズでありました。


目立つ問題としてはまず、幹部の使い分けの失敗(特にガルス!)。
それから、中盤以降顕著な、変身ブレスレットで「フラッシュ!」すると、とりあえず逃げられてしまう事。あれはあまりにも便利使いしすぎた上に、劇中でここぞという時ならともかく、乱発しまくるのにメス側も一切の対策を立てない為、非常に興ざめになってしまいました。
それから、2台のロボットの使い分けに全く理由の無い戦闘構成。後続の作品になると、今度は新ロボを出す事だけが優先になって1号ロボが理不尽に目立たなくなるという問題が出る事もあるわけですが、せっかく1号ロボも併用するという形にも関わらず、フラッシュマンがロボットを意図的に使い分けない点は非常に勿体なかったです。そこで使い分けを行えば、もう少し戦闘にドラマが出たのですが……通常戦闘でもとにかく最後に「ローリングバルカンだ!」をすれば片付いてしまう為、フラッシュマンのパワーアップイベントも今ひとつ活かされず、そういった諸々がいちいち残念でなりません(後世のシリーズ作品の踏み台になったといえば、見事になっているのですが)。
そして構成上の最大の問題点は、途中でも触れましたが、
フラッシュマン側とメス側の個人的な因縁を構築できなかった事
になると思います。
一応途中で、ジン×ワンダ、ジン×カウラーの要素を盛り込もうという気配はありましたが、失敗。
結果的に、終盤に組み込まれたメス側の内部対立である、ケフレン×カウラーの方が盛り上がってしまった。
しかも同時期に“反フラッシュ現象”が発生した事により、フラッシュマンの最大の敵はむしろ反フラッシュ現象になってしまい、vsケフレンにも、vsカウラーにも、今ひとつピントが合わなかった。
カウラーなどは、20年前にフラッシュマン達を攫ったハンター、という極めつけの因縁があるのですが、これも活かしきれずじまい。最後にサラを生家に連れて行く、という形でなんとか物語には組み込めましたが。
究極的には、フラッシュマン個々のキャラクターを立てきれなかった。
もちろん私個人の好き嫌いもありますが、2クールかけても、フラッシュマン個々に対して、嫌いではないけど愛着も持てない、というのは、やはり辛い。
結果的には、構成としては多少しつこくなっても家族関係のエピソードを積極的に盛り込んで、個々のキャラクターを立てる方向に行くべきであったかとは思います。
……まあ、復讐の超戦士としてのフラッシュマンは、それはそれで楽しいのですけど。
結局この、チームとしての立ち方と、キャラクターとしての立ち方、それが両立できなかった。
フラッシュマン』は物語としては、最大の特徴が最大の縛りになっている、というのはあって、あまりにも最初から戦士として完成されすぎている上にチームとして一蓮托生にすぎる。その為、チーム内部での個々のドラマが非常に描きにくい(せいぜい、女性陣の喧嘩が1回あったぐらい)。また、戦士としての成長を描く部分もない。
後半、サラやブンに多少の変化が描かれていきますが、もう一歩二歩、そちらに切り込めていたら、ぐっと面白くなったかもしれません。
こういった描き方の不足は、敵側にも見え、カウラーがケフレンひいてはデウスに敵対していく流れや、ケフレンのデウスへの叛意などの描写が非常におざなり為、終盤のドラマがぐだぐだになってしまったのは、勿体ない。
特にケフレンの「実は地球人」という設定が、あくまで専務個人がショックを受けただけで、大きな物語の中に全く盛り込めなかったのは、実に残念。
様々な萌芽を感じさせつつも、劇中での収穫には失敗した作品となりました。
それでも最後の最後は、それぞれのキャラクターのいい部分を前面に押し出す事で盛り上げてみせたのは、熟練の技か。


好きなエピソード・ベスト3

  1. 43話「カウラーの反逆!」
  2. 最終話「さらば!故郷の星」
  3. 6話「ほえろ!マシーン」

43話は、ブンがテロの連鎖を乗り越える、傑作回。劇中で絶対悪と規定しているメスサイドに対しても、(決裂した後とはいえ)交流が持てないとは限らない、という所にもこっそり踏み込んでおり、野心的なエピソードともいえます。まあこの路線を進めると全てひっくり返さなくてはならなくなるのでそこまでは期待していませんでしたが、単発エピソードとしても、評価できる1本。
最終話は、とにかく清水紘治(リー・ケフレン)の怪演が凄まじかった! 途中ぐだぐだになりましたが、あそこまでやってくれれば大満足です。
6話は序盤の名エピソードであるバイク回。
次点でもう一つあげると、8話「父よ!母よ!妹よ」。単体としては傑作回なのですが、話にオチをつける後編といえる9話が酷かったので、次点止まりに。9話はなぁ、引っ張るだけ引っ張って東京オリンピック見て終わりか! と(笑)
フラッシュマン』は全編通してこの、“引っ張ったネタは全て外す”というのも残念だったところです(^^;
……手厳しめの総括になりましたが、率直な所、70〜80年代の作品の多くは、今日的な視点で真剣に見ると、こういう評価になると思います。一部にミュータント的な傑作も紛れていますが、大体は、時代のマグマ的なパワーと、整合性はともかくネタとしては面白い、的な楽しみ方になるのは、致し方ない所かと。特に、東映特撮のライダー・戦隊路線は、書いてなんぼ・作ってなんぼ、というものを求められていたシリーズですし。
逆に、80年代作品にこういった評価をざっくり出来る程度に、10年・20年の蓄積を経て戦隊シリーズの構成が改善されている、そのスピリットが連綿と続いた上で、人を楽しませる為の特撮ヒーロー物、が歩みを止める事なく向上心を持って作り続けられている、その事の証左として捉えていいのではないかと、そんな事を思います。
では皆さん、最後にオチは、例のアレで。


「フラッシュ星、本当に酷い星だった……」


以上、『超新星フラッシュマン』感想でした。
構成の分析に関しては、テーブル使う関係で、HTML版まとめの方に掲載予定。