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大トミノ祭:『無敵鋼人ダイターン3』最終話感想

ほぼ、最終回ダイジェストなので、ラストシーンまで完全紹介などご了承下さい。
◆最終話「万丈、暁に消ゆ」
火星の宮殿、ドン・ザウサーに語りかけるコロス。
「おっしゃってましたね、あなた。メガノイドの力があれば、人類は地球以外の星に進出していけると。そうなれば、地球上で人間が殺し合ったり、戦いを起こしたりすることが無くなり、人類は永遠に平和になる。それなのに、あの破嵐万丈。なぜ、メガノイドの原型サイボーグを開発した、あの破嵐創造の子供が、あなたの夢を壊そうとするの」
ドンの首にすがりつくコロス。
「あなたは、御自分の夢を私にお話になったまま、意識を無くされた。お恨みもうします。私にだけやれとおっしゃったあなた」
涙を流すコロスは、物言わぬドンを見つめる。
「女の浅知恵とお笑いください。火星を発進させ、ダイターンもろとも、万丈を倒します」
同時に、残存のメガノイド戦力により地球人類を一気に狩り集めようという一大作戦を展開するコロス。
最終回にして、ドン・ザウサーは意識を失っており、コロスはドンの代弁者ではなく、根本の思想こそドンのものであるものの、全ての指揮を自分で執っていた事が判明。
もっともこれまでの言動を考えると、ドンの意を汲んだように見せかけて完全に自分の意を通しているというよりは、ドンならこう言うであろうと推し量った末の指令を出している節もあり、その辺りが後半で万丈の指摘するコロスの「愛情ゆえの狂気」という感じがします。
またここで面白いのは、コロスが「万丈がわかってくれない」と嘆くところ。
優秀な人材をメガノイドとして登用したいが為に、万丈に対してもここまで殺害よりも捕獲を優先してきたメガノイドですが、全編通してそれが、メガノイド組織の構造的欠陥にして万丈の付け目となっている。
結局のところ己で成長できないメガノイドは、我欲に溺れる者の中にもともと優秀な者が居る事に期待するか、優秀な素体をソルジャーとしてうまく扱うかしかない。
人間を侮りながら一面で人間を必要とするスーパー人間の矛盾、その行き詰まりがコロスの失策であり、彼女に最後の作戦を決断させる。
近づく火星=メガノイド軍団、を待ち受ける万丈達。
「今回の戦いは、晩餐までに蹴りをつけるというわけにも行きそうにないなぁ、ギャリソン」
「はい。お弁当持ちと、いうことになりますな」
とこの期に及んでも、あくまで軽妙。
しかしながら、そんな空気に耐えられないトッポは、呑気にソフトクリームを食べているビューティに真剣味がかけると苛立つ。いよいよ出撃という万丈についてくるトッポに、海底基地へのエレベーターの中で万丈は語りかける。

「僕だって怖いのさ。やせ我慢はやめるんだな、トッポ」
「やせがまんじゃないやい!」
「なら、イライラするな。ビューティはビューティ、あれでいい。……わかったな」

ここで、男と男の会話、が用意されているのが巧い。
「ふん……わかるもんかい!」
カプセルに乗ってマサアへ向かう万丈の背を見ながら、毒づくトッポ。その時、彼の背後の扉が開いて、レイカとビューティが姿を見せる。

イカ「見納めね……」
ビューティ「およしなさい。未練よ」

ここが、滅茶苦茶格好いい。
古今、最終決戦におけるヒーローの出撃シーンは色々ありますが、直前まで全くいつも通りだったヒロイン(一応)二人が、意図して直接顔を合わせずにヒーローの背中だけを見送って、交わす言葉が「見納めね……」「およしなさい。未練よ」と、凄まじく格好いい。
二人のやり取りに、「ええ?」と改めて万丈の乗ったカプセルへ視線を動かすトッポは、ここでエレベーターの中での会話が、万丈の遺言であったかもしれない、と理解する。
ヒロイン二人とトッポの大人と子供の差を出しつつ、トッポを一つ前進させ、そして女達が最終回に来て実に格好良い。
そしてBGMともに万丈を乗せ、出撃するマサア宇宙船。
この最終回は、皆がラストで“格好良さ”を見せる所に集約されるという、『ダイターン3』という作品の格好良さ。
地球に迫る火星では、コロスがメガノイド軍団に号令をかけていた。重力の影響による潮汐の関係かと思われるのですが、火星の接近により地球上で気象異変が起き、人類がパニックになっているというのがSF的で良い。
ボディスーツに身を包み(ギャリソンは、上着を脱いでガンベルト)、先行した万丈の後を追って出撃する仲間達。仲間達にもBGMと共に出陣シーン。
マサア型宇宙船を4機製造するのが精一杯だったというギャリソンに対し、

イカ「ダイターンは1台でいいのよ」
ギャリソン「ヒーローですから?」
イカ「ふふふっ、そうね」

そして先行した万丈は、メガノイドの宇宙戦闘機部隊と接敵しつつあった。
ここで万丈が、コックピットでサンドイッチを口にしているのが、物凄い富野イズム。
宇宙戦が開始。先行してきた1機(万丈機)の後から4機の同型機が出現した事で、どれが万丈かの判断に悩むコマンダー。戦力が分散した所を突いて万丈は火星へ向かい、ギャリソンの指揮の元、仲間達はメガノイドの戦闘機部隊を足止めする。
最終回という事でストッパーの無くなったギャリソン、飄々と3人を指揮して大暴れ。
火星への突入に成功した万丈は火星を動かしているロケットを破壊し、ドン・ザウサーの宮殿へと向かう。残存ソルジャー部隊の特攻によりマサアは撃墜されるが、宮殿のバリアの破壊には成功。マッハパトロールで宮殿へと迫る万丈の前に、コロスが立ちふさがる。
コロスの玉簾っぽい武器を研究したらしく(20話で一度戦った事が活きていて感心)、対抗兵器を使ってコロスの動きを封じる万丈。

「ば、万丈。な、なぜドンの心をわかってくれないのですか!」
「僕は憎む……サイボーグを作った父を。まして僕の母も、兄も、サイボーグの実験に使って殺してしまった事は許せない。ドンも貴女もメガノイドを名乗ってスーパー人間とうぬぼれる。それを憎む!」
「人類が、宇宙に飛び立つ時代には、ドンのお考えは正しいのです!」

引き金を引く万丈、銃弾を雨と浴びて倒れるコロス。

「万丈、あ、あなたって人は……」
「あなたがいい例なのだコロス。ドン・ザウサーへの想いが、愛情だけが心の中で全てを占め、他の事を何一つ考えられないメガノイドになっている」
「あの人を愛する事が、私の命なのですから」
「みんな、父の亡霊を背負って僕の前に現れるに過ぎない」

コロスの額に銃を突きつける万丈。

「ド、ドン……あ、あなた……助けて!」

コロスの額のサークレットが輝き、意識を失っていた筈のドン・ザウサーが、宮殿の奥から姿を現す。記憶では子供だった筈の万丈が青年となっている事に疑問を呈すドンに万丈は「人形のようにコロスに利用されていたのだ」と告げるが、ドンは逆に「おまえがいつもコロスを悲しませていたのか」と万丈へ襲いかかる。
宮殿の外へと出た万丈はダイターンを呼び、対してドン・ザウサーも巨大化(腕時計型メカ)。
一方、宇宙では仲間達が大暴れ。トッポ→レイカ→ビューティが次々と戦線を離脱するも、最後はギャリソンが、切り離しのブースター部分を敵機に直撃させるという荒技でメガノイドの戦闘機部隊を全滅に追い込み、地球への侵入を阻止。
ところで編集時にシーンの前後を間違えたのか(下記、ギャリソンの台詞の後にビューティが撃破していれば問題なく自然)、撃墜シーンがカットでもされたのか、
〔レイカ撤退→ビューティが1機撃破→ギャリソン「あと3機ですか」→ビューティ撤退→ギャリソン2機撃破〕
で戦闘が終了した事になっていて、メガノイドの円盤が1機、生き残っている気が。
ブレードランナー』?(笑)*1
辻褄としては、ギャリソンが敵の残機を確認した後(映像的にも3機)、ビューティが敵機にやられている間に、フレームの外でギャリソンが1機落としている、とすれば合いますが。
ここから話を膨らませると、小説『無敵鋼人ダイターン3・2 メガノイドの墓標』が書ける(笑)
火星上、手持ち武器の全く通じないドンに追い詰められるダイターン3。サン・アタックもわずかなダメージを与えたに過ぎず、コロスの復讐に猛るドンの放つエネルギー波に、さしものの万丈もコックピットで倒れ伏す。
その時、意識を失いかけた万丈の脳裏に、聞こえてくる父の声。

「我が子よ……勝てる……。コロスの必死の脳波が、ドンを一時的に目覚めさせただけだ。
人間の精神がそんな……そんな……そんな……」

その声に目を見開き、拳を握って体を起こす万丈。

「僕への謝罪のつもりかっ、と、父さん…………
今のは僕の、僕自身の力だ!
僕自身の力なんだ!!
父さんの力など、借りはしない!」

万丈の動きとシンクロするかのように、ダイターンが必殺の構えを取る。

「おぉ、まだ動けるのか」
「日輪の力を借りて、今必殺の、サンアタァーーーーック!!」

放たれる日輪の輝き。
先のサン・アタックで装甲が弱っていた頭部に再びサン・アタックを受け、絶叫とともに大爆発するドン・ザウサー。
ラストの万丈vsドンは、今回の作画監督を自ら務めたキャラクターデザインの塩山紀生が入魂で、半ば劇画調と化しています。迫力はあるのですが、反面、“情念のこもりすぎた絵”というのは、演出の側からすると、難しいな、とは思う。
素材の情念が演出を越えてしまっている。
ただそれ故に、逆にさっらとした素材を演出で見せるラストシーンとの間に濃淡がついて、よりラストが印象深くなった、とは言えます。
また、「僕への謝罪のつもりかっ」から一連の台詞は、絵の情念と演出に、役者・鈴置洋考が応えていて、凄く格好いい。
ドン・ザウサーを遂に倒し、宮殿の入り口に倒れるコロスの亡骸を見下ろすダイターン3と万丈。
「僕は……嫌だっ……」
大爆発を起こす宮殿。(恐らくは万丈の操作によって)ロケットを噴射し、元の軌道へと戻っていく火星。ひとり虚空へ浮かぶダイターン3。
こうして、人類とメガノイドの戦いは終わった――。
ラストの万丈とコロスの対峙で面白いのは、万丈がコロスに対してはある程度、その能力を認めて対等の相手として扱っているのが台詞から窺える事。
それは、コロスも同様。
コロスからすれば、ドンへの愛情とイデオロギーが既に一体化しているものの、(メガノイドの支配下とはいえ)人類の進歩の為の正義というものをコロスなりに信じており、能力を持ちながら大義より私怨を優先する万丈が理解できない(或いはそういった他者の感情そのものを理解できない)。
万丈からすれば、戦いの原動力は個人的な怒りと憎しみにあるものの、能力を持ったものが、他人の人生を支配しようとするエゴもまた許せない。
ここでのメガノイド像には、一握りのインテリが世界を導こうとする事へのメタファーが明確に含まれていて、後年の監督のテーマ性も窺えます。
そして万丈は、コロスのドンへの愛情を妄執であると断罪する。
作劇上のエクスキューズという面もありましたが、これまで例えメガノイドに堕ちた者でも、他者に対する情愛、思いやりの心があれば、人間としてやり直せるとしてきた万丈ですが、それがまた、他者を虐げる理由になるのならば、それは許せないエゴとなる。
こういった一つのテーゼの多面性に同一作品の中で触れるのは富野監督の十八番ですが、ここで更に、一つの相対化が浮上する。
かつてメガノイドとの戦いの中で
「僕はあらゆる悲しみも恐れも、メガノイドと戦う為の怒りに変えた男だ」
と言った万丈。
しかしそれは、彼自身が断罪する、「愛情だけが心の中で全てを締め、他の事を何一つ考えられないメガノイド」と同じでは無いのか。一つの想いに囚われているのは、破嵐万丈その人ではないのか。
本当に「父の亡霊を背負って」いるのは、いったい誰なのか。
故に彼は、シニカルでコミカルで格好良くある事で自分を武装し、「世のため人のため」と名乗りをあげ「日輪の力を借りて」戦い続けてきた。
しかし全てに決着を付けた時、万丈は自分の中にあるメガノイド的なる部分(それは人が誰しも抱えるものである)に気付く、或いは、認める。
倒れ伏すコロスの亡骸を見ながら、万丈は呻くように呟く。
「僕は……嫌だっ……」
……
…………というのは今なんとなく繋げてみた話で、万丈のこの最後の台詞に関しては、人それぞれ、様々な解釈が生まれるものかと思います。作り手も、それを望んでいるのでしょうし。


場面代わって、地上の万丈の屋敷。ギャリソンは屋敷の調度品に、埃よけのカバーをかけている。旅行鞄を片手に帽子を被ったレイカが、ビューティらに手を振る。
イカ「じゃあね、さよなら」
ビューティ「やにあっさりしているのね」
イカ「うーん、仕方ないわ。住む世界が違うんだから。ばーい」

去っていくレイカ
トッポ「ふふふっ、さ、いいお婿さんを捜すんだね。じゃーねギャリソン」
ギャリソン「はい。よくお勉強なさってくださいませ」
トッポ「へーぃ」

荷物でビューティの尻を軽く叩いて、去っていくトッポ。
ビューティ「みんな、情緒もへったくれもないんだからぁ、もう! ……じゃあね」
ギャリソンに別れを告げ、外で待っていた車に乗り込むビューティ。
ビューティ「朝ご飯、パパも来てくれるって?」
走り去る車。
消えてゆく屋敷の明かり。
男児破嵐万丈の姿は――ない。
真っ暗な屋敷を後にし、門扉に南京錠を降ろすフロックコート姿のギャリソン。
降り出した雨に蝙蝠傘を広げ、バス停でバスを待つ内にその爪先がリズムを取りだし、口ずさむ。
「……わんつーすりー」
(・・ワンツースリー ・・ダイターンスリー  涙はない 涙はない 明日に微笑みあるだけ)
BGMとして流れ出すOP。
雨の中、バスを待つギャリソンと、真っ暗な屋敷の遠景が、幾つかの角度から交互に映される。
そして、やってきたバスに乗り込み、去っていくギャリソン。
薄明の中、カメラが屋敷の1階に向けられると、いつの間にか屋敷の右端の部屋に、ぽつんと明かりが点いている。
中は確認できない。
再び、屋敷の遠景。
誰も居なくなった筈の屋敷の一部屋に、確かに明かりが点いているのが確認できる……そして、幕。


最後の最後、窓の明かりを映したカメラがそのまま寄っていくのではなく、むしろロングになるという素敵さ。
凄まじい演出のダンディズム。
万丈の最後の台詞の意味は何か? なぜ仲間達は去っていくのか? なぜギャリソンは屋敷を片付けているのか? 万丈はそこに居るのか? 居ないのか? 屋敷に灯った明かりの正体は? 万丈は果たしてどうなったのか?
色々な事がはっきりとは語られないまま、しかし作品そのものは、少しばかりもの悲しいのに、確かに夜明けを感じさせるラストカットでまとめられる。
主人公の格好良さを前面に押し立ててきた作品が、最後に作品そのものの演出の格好良さで幕を閉じるという、ある種のメタ構造も取り込んだ至芸。
野暮な話をすれば、ギャリソンが屋敷を片付けている所からして、理由はわかりませんが万丈は屋敷には居ないのだろうな、と。
その上でみな、そこで万丈を待つよりも自分の道を歩む事を選ぶさっぱりした感じが、実に爽快。
ビューティとか、個人的には通常そんなに好きではない造型なのに、特に嫌いとも思わないのは、この根っこのさっぱりした所なのだろうなぁと。「情緒もへったくれもない」と言いながら、外に出た途端に父との食事に切り替わる所とか、凄い。
かといってそれが、日常/非日常、という区分ではなく、彼等の誰にとってもフラットである。
だからメガノイドとの戦いが終わったといっても、人生の次の場面に行くだけ。
誰も万丈に寄りかかっていない。
この格好良さ。
もっと感傷的なエンディングだったり、仲間達との繋がりの濃さを強調したりする物語を否定するわけではなく、ただ『ダイターン3』という作品で描いてきた“格好良さ”とは、そういったものとは別の所にあって、その格好良さが最後の最後まで貫き通されているという事が、素晴らしい。
もともと映画屋になりたかったという事を広言している監督ですが、劇場作品も含めて、富野作品で最も映画的なエンディングではないかなぁ。実際に“映画”も撮っている人に対してTV作品をして“最も映画的”というのも失礼かもしれませんが、富野の言うところの“映画”というものを考えると、このエンドはかなりそこを目指して描いたものではないかと思われます(当時、後に自分が劇場作品を手がける事になるなど思っていなかったでしょうし)。
そして主題歌の格好良さ。
『ダイターン3』の主題歌は、ぱっと聞いた時はそうでもないのだけど、聞けば聞くほどいい主題歌(敢えて2番)。



悲しくない 悲しくない 明日に希望があるだけ
カムヒヤ ダイターン・スリー ダイターン・スリー
日輪の輝きを 背に受けて 俺の体の 俺の体の 血が騒ぐ
打てよ砕けよ 地獄の底に落ちるとも
輝く銀河を突き抜けて ダイターン・スリー 我とあり
はばたけ大空へ 愛を抱いて


素晴らしい作品でした。
一話完結形式という事もあり練り不足なシナリオの回も散見されますが、軽妙なタッチで娯楽活劇を描き、ロボットアニメの古典的な一話完結フォーマットを取りながらも大きな物語を積み重ねていき、その中で1話からシリーズ通してのテーマ性と格好良さが貫き通されている、これが素晴らしい。構成的にも、終盤で物語をまとめるに際して前半における方向性の惑いをしっかりと拾い直していたり、シリーズとして一定の流れを作り上げたのは、お見事。
そして絶品の最終回。
大変楽しませていただきました。
他に追加で書きたい事など思い浮かんだら、改めてまとめの時に。

*1:シーンカットなどの都合で整合性が取れなかった「6人目のレプリカント」という有名なネタ。ちなみに1982年の映画なので『ダイターン3』の方が先