◎『機動戦士ガンダム』 42・最終話
会談に臨んだレビル将軍の連邦艦隊と、デギン・ゾド・ザビの乗るグレートデギンが、ソーラーレイの光に灼かれる。連邦vsジオン、宇宙要塞ア・バオア・クーを舞台に、最終決戦がついに始まる……。
今更なにをかいわんや、という作品ですが。
改めて見て、ちょっと気になった事など、メモ的に幾つか。
とりあえず、もっとひどいもの(ボール)に乗っている連中が居るとはいえ、あんなもの(ガンタンク)で、ア・バオア・クーに取り付くハヤトは勇者。
どんぱちやっているまっただ中で、しかも自身が戦闘指揮を執りながら、ねちねちとした言葉のやり取りで暗闘している兄妹が執拗に挟み込まれているのは印象的。
そしてキシリアはレーザーガンの引き金を引き、額を撃ち抜かれるギレン。その死体が浮き上がって、部屋の中をふわーっと漂うというのが凄く嫌な絵で、更に目前の戦闘状況でそれどころじゃないオペレーターが、浮いている死体に気付いて「ギレン総帥じゃないのか?」と、何あれ?みたいな感じで呟く、というのが戦場と乖離された政治空間が演出されていてお見事。
ただロボットアニメの中に政治的要素を持ち込んだのではなく、それをいちいち丁寧に演出していっているのが、さすが巧い。
要素を入れるだけなら誰にでも出来るわけで、それらを合わせて劇として成立させる事こそが、技術。
それにしても、テキサスコロニー以降の大佐は本当に情けない。
台詞回しにもどこか覇気がない。
そんなシャアに喝が入るのは、やはりアルテイシアとの再会。
「ガルマ、私の手向けだ。姉上と仲良く暮らすんだぞ」
というのは凄く好きな台詞でシーン。
うろ覚えだったので、正確なものを書き起こしておく。
あと、意図したのかどうかは知りませんが、最後にキシリアを撃つ時のシャアの作画がやたらヒーロー顔なのは面白い。
で、こんなにぐちゃぐちゃでどろどろなのに、多少の無理があったり辻褄の無茶はあっても、最後になんとなく綺麗にまとめて劇として片を付けるのが監督の意地というか責任感というか、美しいラストでした。
ところで、もともとそれほど作画にこだわりないし(勿論、作品の質としていいに越した事はない)作画監督とか全く気にしない方なのですが、これだけ短期間に同じ制作会社(サンライズ)の近い時期の作品を見ていると、嫌でも段々と気になるようになってきます(^^;
ああ今回は枚数きつかったんだなぁとか、ここの演出もここの演出も時間使って枚数を稼いでいるなぁとか、あがってきた絵を見て監督がカリカリしていそうだなぁとか(笑)
で、最終回前だというのに、42話が、物凄く作画がきつそう。
まあ『ガンダム』のTVシリーズといえば、安彦良和のリタイアで途中からクレジットに作画監督不在で色々大変だったりしたわけですが。
ちなみに『ザンボット3』は、最終回の2話前(21話)がかなり作画が酷くて(等身とか大きさ対比などがおかしくて単純に下手な絵が多い)、続く22話は金田パースでぐりぐり動いて、最終話は過不足なく充分、といった感じ。金田回は迫力はあるけれど、勢いでキャラの顔が変わったりとかもあるので、良し悪しというか、両刃の剣的な面もあるので、バランスとしてはうまく取れた感じ。