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『ドラキュラ紀元』(キム・ニューマン)、読了

ドラキュラ紀元 (創元推理文庫)

ドラキュラ紀元 (創元推理文庫)


ヴァン・ヘルシングを退け、ヴィクトリア女王と結婚したドラキュラ伯爵が大英帝国に君臨する1888年――次々と国民がヴァンパイアへと“転化”していくロンドンにおいて、ヴァンパイアの娼婦が次々と殺されるという事件が発生。秘密組織の密命を受けた諜報員ボウルガードは、この事件の調査を命じられる。一方、トインビー・ホールで貧民の為の医療活動に従事する、外見年齢16歳にして齢450歳を超える長生者の吸血鬼ジュヌヴィエーヴも事件に巻き込まれてゆく……。
“ドラキュラが支配するヴィクトリア朝ロンドン”を舞台に、吸血鬼と人間(温血者)の混在する社会において発生した“切り裂きジャック事件”を、人間の諜報員と古き血統の美少女吸血鬼が追う、というなかなか凝った設定のファンタジー
冒頭、レストレイド警部(吸血鬼化済み!)が捜査協力を求めてジュヌヴィエーヴの元を訪れる、という時点で既に物凄いですが、これはまだ序の口。
ジキル博士とモロー博士が一緒にヴァンパイアの生態の研究をしていたり、ドクター・フー・マンチューが主人公に接触したり、ブラム・ストーカーが時の吸血鬼政府の手で監獄行きになっていたり……架空の人物から史実の人物までが分け隔てなくこの物語の混沌の大鍋に放り込まれ、様々な形で顔を出します。
50Pに及ぶ登場人物事典を付記した訳者によると、膨大な登場人物の95%は、なんらかの史実や創作作品上の人物との事。
特に原典と置いている『吸血鬼ドラキュラ』(ブラム・ストーカー)の登場人物達は、ヘルシング教授が敗れたこの世界で、それに則った形で登場し、それぞれ重要な役割を演じます。
登場する数々の吸血鬼は、古今の小説や映画から大量に引っ張り出され、作者のマニアぶりがこれでもかと発揮されていますが、決して吸血鬼マニアだけが楽しめるというわけではなく、特に吸血鬼ものを愛好していなくても充分に楽しめる内容。
巻末の登場人物事典でほぼ補完できますが、吸血鬼ものや切り裂きジャック事件に詳しいと、色々とニヤリと出来て、更に楽しいのかも。
さて、そんな虚実織り交ぜられた物語の主役を張るのは、大英帝国の為に世界各地で活動してきた、闇内閣の腕利きスパイ、チャールズ・ボウルガード。そして、ヴラド・ツェペシュよりも古き闇の血統に連なる吸血鬼美少女、ジュヌヴィエーヴ・サンドリ・ド・リール・デュドネ
接点の無かった二人がこの事件において結びつき、お互いの立場を尊重しながら、それぞれの目で事件を見る。男盛りの秘密諜報員と金髪の美少女吸血鬼(400歳超えだけど)の取り合わせという事で、勿論(?)、この二人のちょっとしたロマンスもあり。
ステッキは、男の武器だ。
キャラクター配置は、ある程度お約束もとも言えますが、ここで面白いのは彼等の冒険するヴィクトリア朝ロンドンが、吸血鬼と人間の混成する不安定な社会になっている事。上海での任務を終えたボウルガードは、離れている間にすっかり変わってしまった祖国を如何に受け入れるかに戸惑い、女王陛下に捧げた筈の忠誠はかくあるべきかに悩む。長い年月を放浪者として過ごしてきたジュヌヴィエーヴは吸血鬼の支配する社会において表に出てきたもののその居心地に戸惑い、また病を撒き散らす伯爵の血統を好きになる事が出来ない。
吸血鬼の政府もまた盤石な一枚岩ではなく、ドラキュラの権勢の下にも様々な思惑が見え隠れする。
そして、吸血鬼になって永遠を望む者、吸血鬼を憎む者、吸血鬼を受け入れつつも同族となるのを拒む者、一種のカジュアルで吸血鬼化する者もいれば、組織での出世を捨ててでも人間にこだわる者もあり、人間社会は様々な反応を見せ、それらが世紀末の退廃にして犯罪の都市ロンドンと見事に混ざり合って、何とも混沌とした世界観を形成しており、この構造が秀逸。
そしてそんな捻れた社会に大きな波紋を起こす一石となるのが、“切り裂きジャック”事件。果たしてジャックは吸血鬼を憎む温血者なのか? それとも狂った同族殺しなのか? ドラキュラの支配するロンドンの社会を揺るがせながら、事件は多くの人々の運命を転がしていく――。
切り裂きジャック事件を軸に置いてはいますが、ミステリ色はそれほど強くなく、そういう方向を期待すると、若干の肩透かし。どちらかとえば、“ドラキュラがヘルシング教授に負けなかったら”を基点とした、虚実取り混ぜた改変世界ものの趣が強いです。その為に、登場人物達の社会背景が(これも虚実を織り交ぜながら)しっかりと描かれている所が、面白い。
500ページ超の長編ですが、展開も文章もテンポが良く読みやすいです。このトンデモ小説はどこに着地するのだろう、と思っている内に一気に読め、なかなか楽しめました。
敢えて本邦の作品で似たものを探せば、『帝都物語』(荒俣宏)に近いか。
帝都物語』に更に他の創作作品の人物が登場し、歴史も大幅に改変した感じ。
帝都物語』がその上でオカルトに重きを置いていたのに対して、本作は吸血鬼社会を描くことを楽しんでいるといった物語。
で、続編が、第一次大戦を舞台にした『ドラキュラ戦記』とか、いったいどんな事になっているのやら。