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特撮脳で見た『魔法少女まどか☆マギカ』8・9話

血まみれになりながら魔女を狩り、まどかにまで憤りをぶつけるさやか。
急速にソウルジェムが汚れていく彼女に「使いなさい」と言いながら、何故わざわざ「はいつくばって拾え」みたいな足下にグリーフシードを投げつけますか、ほむらさん。
助けを拒否したさやかを思いあまって自ら殺そうとするほむらだが、寸前で杏子に止められる。
一方、学校にも来ないさやかを探し続けるまどかは、自分の力ならさやかを助けられるというきゅうべえの甘言に契約寸前まで行くが、ほむらがそれを止める。
そして街をさまよい、自分の戦う意義を見失っていったさやかのソウルジェムは真っ黒に染まり……ソウルジェムは黒いグリーフシードに変質、さやかであったものから、魔女が生まれる!


――この国では、成長途中の女性のことを、少女、って呼ぶんだろう? だったら、やがて魔女になる君たちのことは、魔法少女と呼ぶべきだよね


定番化した用語に作中で新たな意味付けをして、それを物語の重要な要素として取り込む、というこれは面白い。
先にさやかを“純化した正義の味方”と書きましたが、とすると今回の展開は、

純化された正義の味方は存在しえるか?」
「否」
そして
「そんな正義の味方はやがて狂っていくしかないのでは?」

という話かなーと。
元来、ヒーロー物における“正義の味方”というのは、“正義の裏付け”としての“大衆の無条件(無自覚)な支持”というのが前提となっていて、ゆえに70年代にそこからひねっていったような作品(『シルバー仮面』『鉄人タイガーセブン』など)は、カルトとして評されている場合が多く見受けられます。
で、やがてその“無自覚な前提”が、作り手にとっての“無自覚な前提”になってしまったのを、もう一度見直して“正義の裏付け”をやり直そう、としたのが00年代の東映作品群。
それを踏まえて、では、そういう“正義の裏付けが確約されていない世界”=“己自身が理由を見つけなければ正義の味方になれない世界”で、「純化した正義の味方」になろうとしたものが辿る道を、時間の都合で超高速に圧縮し、「人間ではない」事と「正義の理由」を並立しえなかったさやかは、いわば、自らの正義に押し潰された形で、破滅。
時間をかけて、徐々に世界へ絶望していくさやか、なんていうのも見たかった気はする。
そして語られるきゅうべえの(真の?)目的。
きゅうべえは、地球とは別の惑星に済む高度な知的生命体の種族インキュベーターであり、インキュベーターは、宇宙全体のエントロピーの増大に対抗するエネルギー確保の手段を研究していた。研究の末、感情からエネルギーを取り出す技術を開発したインキュベーターであったが、彼等には、感情というものがない。そこで宇宙全域の惑星を調査した結果、この太陽系第三惑星に住む人類という種族が、感情の力と繁殖能力のバランスとして、非常に効率の良いエネルギー供給源となる事を発見。
その中でも特に、第二次性徴期にある少女達の希望が絶望に転化する瞬間が、最も莫大なエネルギーを発生させる。
その為にきゅうべえは奇跡と代償に少女達と契約して魔法少女とし、彼女達のソウルジェムが絶望によってグリーフシードに転化する瞬間の感情エネルギーを集めていたのである!
そして、現在のきゅうべえの最大の目的は、きゅうべえにも計りがたい凄まじいソウルの力をもつまどかを魔法少女にする事……ひいては魔女とする事で、絶大なエネルギーを得る事にあった。
インキュベーターの能力があってこそではありますが、凄いエネルギー搾取システム。
今作の設定に合わせて理由づけの謎解きになっていると同時に、繰り返される戦いそのものに、超越者視点の目的が存在する、というメタ的なネタになっているのも面白い。
おそらく地球人の人権にもっと配慮した入手方法もありそうなのですが、最も効率的な方法を躊躇なく選択している辺りも良い。
この辺りは英米SF慣れしていると、宇宙生物の在り方として割とすんなり受け入れられるのですが、意識的にSFしているっぽいのも、良いところ。
まあ、きゅうべえさんは、人間心理と隔絶している割には、人間をうまく転がしすぎな感はありますが。
翌日、さやかを取り戻せる可能性に賭けた杏子は、まどかとともに魔女さやかの元へ。しかし、まどかの必死の叫びも届かず、魔女さやかは猛烈な攻撃で二人を窮地に陥れる。
戦闘シーンの背景が、ヴァイオリン奏者なのは、非常に悲しい好演出。
現れたほむらにまどかを託し、杏子はファイナルストライクを発動し、魔女さやかと相討ちしてリタイア。
ここで凄く残酷なのは、在る意味では自分の「欲望」を強く持っていたが故に生き延びてきた杏子が、さやかとの出会いによって「正義の味方になりたかった」頃を思いだしたがゆえに、さやかと相打つという構図で、「ヒーロー性」と「人間性」の相克が、ヒーロー性に傾いた時に終焉が訪れるという、物凄く悪辣な展開。
そしてこの戦いは、来るべき<ワルプルギスの夜>に対抗する戦力を減らし、まどかを追い詰めようというきゅうべえの巧みな誘導の結果であった。
一人残ったほむらは、超弩級の魔女災厄<ワルプルギスの夜>を打ち倒し、きゅうべえの思惑を超える事が出来るのか?
怒濤の展開とともに、色々な謎解き。
どうやら、ほむらの行動目的の中心は、まどかにあるらしい事も見えてきます。
構成で言えば、1−3話:マミ編、4−9話:さやか・杏子編、10−12話:ほむら編、といった所か。
きゅうべえの語る「第二次性徴期の少女達が云々」というのは設定合わせの理由付けなので何とでもなるとして、ここに来て、女の子コミュニティの特性が作品に取り込まれてきたのは面白い。
たとえば、さやかは友達ヒエラルキーにおいて、まどかに対する多少の優越感があったと思うし、そのまどかが魔法少女として圧倒的な素質を持っているという事に対する劣等感が、別離の一因となった。
そして、ほむらから見たときに、片思いの親友(まどか)の親友(さやか)は、友達というよりも、時にむしろ憎しみの対象。
女の子コミュニティにおける、誰が誰の一番の親友なのか(百合的なものではなく)合戦が、それとなく入り込んでいる。
それにしても、3話まで、まどかはいつ魔法少女になるんだろう、という方向で進んでいたのに、気が付くとまどかが魔法少女でない事がむしろ当たり前になっていて、最終盤になって、まどかを魔法少女にしない事がむしろ目的、みたいに転がっているのは、実に巧い。