再放送の最初に出る「最初に放映した際の映像です」というテロップはつまり、DVDとかで修正したバージョンじゃないよ、という理解でいいのかしらん。
1話に引き続き、テンポが良くて面白い。
とにかく話がさくさく進んでいくのが良いです。
その上で構成が雑かというとそんな事はなくて、勢いと丁寧さのバランスが巧く取れています。
現時点で安易にメタな見方をすると、
70年代的熱血主人公:カミナ
が
00年代的内向的主人公:シモン
を引っ張っていくという構図で、よりメタ方向に引っ張ると、《スーパーロボット大戦》的同居構造なのですが、という事は、ヨーコはその間を繋ぐ、富野キャラなのだろうか(笑)
その上でこの作品が気持ちいいのは、
バカだけど格好いい男
が
シモンを肯定し続ける
という所。
それも、命を賭けて肯定する。
だからカミナの言葉に説得力が生まれる。
“勝利の快感”と“自己の肯定”を繋げるのは基本的な手法の一つではありますが、それを一対一の関係に集約する、それも、既に自分を認めてくれている存在の為に自分を認める、という構図にする事で独特の雰囲気を出す事に成功。
一方で、淡い憧れの女性、を置いておく事で心理的バランスを取りつつ、このヨーコというキャラクターそのものが多重の意味で作品のフックになっている、という置き方が巧い。
ヨーコは、視聴者の作品へのフックでもあるし、導入の戦闘のフックでもあるし、カミナ達を地上へ導くフックでもあるし、カミナ達とダヤッカ達を繋ぐ最初のフックでもあるし、シモンの密かなモチベーションとしての心理的なフックでもある。
まあ、カミナ一人居ればあの無軌道さで何とかなってしまうのでは、と思えなくもないのですが、おそらく、早々かつはっきりと示されるカミナ父の最期というのは、そうではない、というメタファーでもあるのでしょう。
これは3話を見ないとはっきり言えませんが、父親にとってのシモンになれなかったカミナは、それゆえにシモンが自分を助けてくれていると強く思っている、という所まで含んでいるのかな……?
アクション面では、後半でラガン−ガンメン−新ガンメンの対比でスケール感が明確になるとともに、カタルシスがインフレ……文字通りに巨大化していく方向で、面白かったです。続く3話ではもう一回りインフレするようですし、話数の問題もあるでしょうが、出し惜しみしないのはいい。