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『リーンの翼』感想3

◆第5話「東京湾」◆
いやすごい。これは凄い。
開かれたオーラロードを通り、東京湾に浮上するバイストン・ウェルの艦隊。
そしてリーンの翼に導かれたサコミズとエイサップは、オウカオーとナナジンと共に、過去の東京大空襲の幻の中に放り込まれる。過去の幻影と知りながらもB29を必死に切り裂くエイサップのナナジン、燃え上がる東京の光景に滂沱と涙を流すサコミズ。
一方、東京上空では、現代の地上人であるエイサップの悪友ズが、東京攻撃の戦端を切り開いていた。
しかも東京タワーを切り裂くときの台詞が、

「日本人の平和ボケを覚まさせるんだ、こいつで!」
「オーラパワーってさ、これ、馬力あるよ」
「こっちの世界がひっくり返るぜ」

と、何から何まで物凄く酷い。
これをきっかけに、再び、戦火に包まれていく東京。
戦中と戦後のこの壮絶な対比こそが、今作の一つの集約点として展開。
そして、艦隊のクーデターによる独立共和国の樹立宣言を行おうとする米軍のいかれたおじさん、己の野望をなそうとする後添え様、その他それぞれの陣営の軍人達にもこの状況の中でできる限り良い位置を占めようとする思惑があり、戦争とオーバーラップする形で炎上していく東京。
エイサップとサコミズは、続けて広島の原爆投下、時間が進んでエイサップ両親の過去の修羅場、再び巻き戻ってサコミズが桜花により特攻を行った沖縄戦……とオーラロードの見せる幻像(サコミズの台詞によると、オーラロードの途中らしい)に翻弄される。
沖縄へ攻撃をかける米軍艦隊に踊りかかるサコミズとオウカオー、散りゆく命が羽となり、リーンの“翼”を形作っていく光景を目撃したサコミズとエイサップは、オーラロードを通り抜け、東京へと出現する。
なおこの間に、サコミズが既に死んだと考えた後添え様は、旧米軍のおじさんに急接近。しかし橋渡しを務めた地上居残り艦隊の将軍にも思惑があったり、旧米軍のおじさん&エイサップ父も、バイストン・ウェルの軍隊を利用しようという腹づもりであったりと、当たり前ではありますが誰も状況を完全に把握できていない事もあり、陰謀戦もひたすら混迷。
また後添え様の一派はどうにも覚悟が足らないというか、一度は刀まで向けた姫様をブリッジにふらふらさせているし、サコミズが戻ってきたら戻ってきたで、上手い事取り入ろうとしてむしろわけわからなくなるし、ひたすらグダグダ。
そして変わり果てた東京の姿を見たサコミズは、数多の命を吸い上げたリーンの翼の力を持って、地上に鉄槌をくだすと宣言し、その前にエイサップが立ちはだかる!
エイサップにしろサコミズ王にしろ、互いに“本当の敵”が別に居る事をわかっているようで見失っていて、擦れ違いながら刃を交える、というのは実に哀しい。
◆第6話「桜花嵐」◆
オーラロードをくぐり抜け、ハイパー化していくオウカオー、そして真紅に染まったナナジン
高層ビルを真っ二つにして暴れ回るサコミズであったが、東京駅に気付くと、皇居へ向かって天皇へ挨拶しようとし、しかしそこで自衛隊機の攻撃を受ける。
「日の丸が、特攻隊員を攻撃するのかぁ!」
ますます猛っていくサコミズ。
そのオーラ力に呼応し、巨大化していくオウカオー。その影響なのか、地上に出た為なのか、コックピットの中で、サコミズが徐々に本来の年齢相応の容貌へ年老いていく、という演出はなかなかに壮絶。
全方位に猛威を振るうサコミズは、後添え様を脅かし、間男に刃を向け、米空母のブリッジを破壊し、状況を制するためにオウカオーを撃破しようと襲い来るオーラバトラー隊を次々と切り伏せ、と大暴れ。
ここで面白いというか不思議だったのは、とうとう間男認定されたホウジョウの将軍コットウに刃を向けて殺害寸前まで行きながら、横槍の攻撃を食らった為にコットウを殺す事無くオウカオーは離脱し、結局コットウも後添え様も劇中では生き残ってバイストン・ウェルに帰還する事。明らかに殺す勢いの展開であったし、大多数の視聴者もそのつもりで見ていたと思うのですが、物語として殺させる事なく、この関係には幕が引かれてしまいます。
一方で、エイサップに手を汚させる必然性を劇作として強く持っていたのか、1話に登場した米軍パイロットがナナジンに戦闘機を両断されて明確に死亡。そしてそれをきっかけに、エイサップの耳に響いてくる、フェラリオ達の歌声。
2話でも使われた挿入歌「はじめてのおっぱい」(作詞:井荻麟)。わざとらしすぎる程の富野なタイトルですが、輪廻転生により再び辿り着く母親の乳、という事かと思われます。
反乱軍の船に辿り着いたエイサップは、フェラリオのエレボスと合流。
「ジャコバはなんて言ってるんだ?」
と、ここで繋がるのは、よくわからない。エイサップにとってジャコバのような、半強制的な摂理を体現するような存在は、友好的な相手では無いと思っていたのですが、ここはもう、こうするしかなかったのか。
乱戦の中、東京を壊滅させようと、旧米軍の空母から水爆を奪って飛び立つエイサップの悪友ズ(本当に最低)。

「それは本物なんだぞ! 一千万以上の人間を、殺す事になる」
「リモコンボタンを押した3分後だろう。心配すんなって、それでも1億人は居るんだから!」

司令はこの状況に、ホウジョウの軍隊が東京を火の海にしたら、その後の復興に影響力を行使する事で日本への支配力を増そう、と言い出す。
「加害者は全て、オーラバトラーだもんな」
「私は、ワシントンを諌めるためのクーデターに、賛同しただけです。敏子さんの国を破壊するためではない」
事ここにいたって、クーデターへのクーデターを行うエイサップ父。
まあこの人、妻の居る身で任地でよその女と子供作って、「離婚してすぐ戻ってくる」と言って帰国したものの、全体を見る限りでは、離婚はともかくすぐに帰国した感じでもなく、エイサップを法的に認知したのもつい最近、という……敏子を好きなのは確かだし、仕事は出来るのだろうけど、人間としては凄く駄目そうな人だからなぁ(^^;
サコミズに核兵器を渡そうとする朗利、それを阻止しようとするエイサップの前に立ちはだかる金本。猛り狂うサコミズのオウカオーは、朗利の機体を水爆ごと鷲掴みにする。
金本を蹴散らしてオウカオーに迫るナナジンの中で、ジャコバの声を聞き、祈りを捧げるエレボス。

「我らが、命の手紙を……」
「命の手紙を、サコミズ王へ」

その時、サコミズが桜花に残していた、特攻隊へ送られた人形が、少女達の祈りが、数百、数千の羽となって、オウカオーを包み込む翼となる。
ここは、物凄く美しいシーン。
そしてその翼に包まれる中で、自分が“真に守りたかったもの”を思いだし、鎮められていく、サコミズ。
だが、その間にオウカオーの手中から逃れた朗利は遂に水爆のリモコンスイッチを入れてしまい、爆弾は東京めがけて投下されてしまう。

「エレボス、ワーラー・カーレーンへ帰るぞ」
「おばあさまのとこっ」

間一髪、空中でそれをキャッチしたエイサップのナナジンは、水爆の被害を出来るだけ防ごうと、急上昇をかける。
薄々思っていたけど、真ヒロインは、エレボスなのか。
遠く東京湾上からでは、急上昇するナナジン、そしてそれに続くオウカオーの姿は、サコミズがナナジンすら飲み込み更なる暴威を振るう前触れに見える……だが
ナナジンにはリーンの翼はないぞ」
ナナジンから水爆を奪い取ったオウカオーは、ナナジンを払いのけ、空高く昇っていく。
今や完全な老人の姿となったサコミズが、キャノピーの中で伸ばした左手の指先には、あの人形。祈りと憐れみ。
水爆を高く掲げ、飛翔していくオウカオー。
リーンの翼が聖戦士のものならば、我が想いを守れ」
そして爆発。
その瞬間は、東京湾上のリュクスの目を通して描かれ、サコミズの視点からは描かれない。
天空の輝き、東京上空を覆い尽くしたオウカオーの羽、そしてリーンの翼の輝きは残留放射線を含めて、水爆の被害から東京を守り抜き、そして、60年の時を経て、迫水真次郎は地上にてその生涯を終える。
ほぼ同事に再びオーラロードが開き、バイストン・ウェルへと帰還していく艦隊。その中で、フガクに着艦したエイサップのナナジンと、それに乗り込んだリュクスだけが、オーラロードに弾き飛ばされて、新宿へと不時着する……。
バイストン・ウェルの騒乱の種は、もともと地上人であるサコミズを除いて、一切合体残されたまま、そのまま皆でお帰り、という凄まじい展開。まあ『ダンバイン』と同じオチにするわけにもいかなかったのでしょうが、良くも悪くもサコミズを失った事で、バイストン・ウェルの今後は、ますますぐちゃぐちゃのどろどろになりそうです。


しかしバイストン・ウェルの関係者はまださておき(そもそも物語の中心ではないですし)、物語的な因果応報でいえば、ゴミみたいにぽすっと殺されても良かったような悪友ズが生き残ったのはかなり不可解。東京タワー破壊で大量殺人を行っておきながら、ラストであっけらかんと海自に拾われている金本とか、相当に気持ち悪い。
なお海自コンビは東京湾浮上後にフェードアウトした後、この後始末シーンだけに登場。まあ、4話でサコミズ王に捨て駒にされそうになってからは完全に距離を置いていたので、うまく立ち回って生き延びたというべきなのか。
そして無事に保護されたエイサップは両親と和解、地上に残されたリュクスと二人、迫水家の墓参りへと向かう。
最後は、墓参りを終えた後、桜吹雪に巻かれて消えてしまうリュクス、主人公がその名前を叫んだところで、おしまい。
カメラが遠景で空を映して、リーンの翼が広がるカットが入るので、エイサップは姫様を追ってオーラロードを開いたという解釈でいいのかどうか。あまりそういう雰囲気では無いのですけど。
姫様、超迷惑ですが、遠くから見ている分には主役カップルはそんなに嫌いではなかったので(まあ勝手にやっていれば的な感じで)、別にくっつくならくっつくで良かったのでは、と思っていたので、このラストは少々うーん。サコミズ以外は何もかもスッキリしない作品なので、ここはスッキリさせても良かったと思うのですが、靄の増すエンディングとなってしまいました。墓参りのシーンが良かっただけになお。
バイストン・ウェルの因縁を地上で精算しないという点では、一貫していますが。
迫水家の墓参りを終えた所で地上での責務終了という事で、ジャコバさんが呼び戻してしまったのだろうし、この姫様が地上でぽやぽや暮らして良いかといえば、そうでもないわけですが(^^;
それならせめて、バランスとして悪友ズは始末してほしかったなぁ、とは思います。
……というのが、ラストに関する第一印象だったのですが、一晩経ったら、また少し、捉え方が変わってきました。
今作後半(5話以降)、借りてきた言葉を口にしながら頭の中で人を殺せる朗利や金本のような存在が、極めて悪辣に描かれます。そして同事にそこには、そんな存在を生み出してしまった事に対する反省と憤りが籠められている。
それでいながらしかし、無縁仏は嫌だなぁ、という思いも同居している。
人は、受け継ぐものがいなければ、無縁になってしまう。
それは悲しい事ではないのか?
だからこそ、後の世代へ如何にして何を伝え、残すべきなのか。
年寄りとして正しい死に方とは何なのか?
ある意味では今作における真の“敵”として描かれる朗利と金本(を生み出した背景)の精算を、サコミズ王が行って責任を取っている、という構図も見え、その点では、今作には一定の筋は通っていると思えます。
無論、まずそこまで責任を取らなければいけないのか? という疑問もありますし、エンターテイメントとして考えた場合は、朗利と金本は死をもって報いをうけるべきであったろうし、物語としてはその方が圧倒的にスッキリした事は間違いありません。
その点においては、エンターテイメントとしての物語性よりも富野由悠季という個人が強く出過ぎてしまった作品、とはいえますが、つまりそれが富野監督にとってのバイストン・ウェルであるからこそのリーンの翼であったのでしょう。
ラスト、エイサップとリュクスの墓参りシーンにおける、僧侶の
「そろそろ、無縁仏さんにしようと思っていたんで、本当に良かった。いい供養になるよ」
というのは実に象徴的な台詞で、今作は、人の縁を如何に良き形で残していくのか、という物語であったのだと思います。
人は無縁とならない為に、如何に生き、如何に死ぬか。
それは<バイストン・ウェル>ものの根っこにある輪廻転生のテーゼとも繋がっている。
またこの観点で見ると、いかにも物語を展開する為だけのものと思われた、リーンの翼の靴がその後継者を探してエイサップに引かれた、という設定も、物語全体のテーマとしてシンクロします。
そしてそういった、受け継いでいく者としての自覚を得られたから、エイサップは両親を許せた。
……というものだと思い至って、全体を全て前向きに解釈した上でもう一回最終話を見たら、良かった、うん良かった、『リーンの翼』。
エイサップも最後にオーラロードを開いて、姫様の元へ行けた気がします。
(まあ、それがいいのか、という問題はまた別にして(笑) あと、悪友ズはどう転んでも、気持ち悪い)
これは多分、限りなく遺言に近い物語。
またサコミズとオウカオーに関しては、クライマックスの乱戦中にオウカオーを見て姫様が、
「父上は、すさまれた……」
と、今更なんでまた、みたいな台詞を唐突に口にするのですが、これはラストの墓参り後の
「お父様が、笑っていらっしゃる」
という台詞と明確に対比になっていて、荒魂と和魂の二面性、祟り神と化したサコミズが、数千数万の命の手紙によって鎮魂され、まつりあげられた、という構造を含有しているのでしょう。
であるからこそ、墓地に浮かび上がるサコミズの最後の言葉は「桜花(さくらばな)たち……」と、翼、人形、花びら、と隠喩されてきたものへの呼びかけになる。
ただラストへの印象が変わった所でなお一つわからなかった部分があって、それは今作の物語構造としての欠陥部分とも関わるのですが、それは一応の主人公であるところのエイサップ・鈴木の“敵”の不在。
勿論、人生において敵を作らなければいけない必然はないのですが、物語の構造上は必要であった筈のエイサップの“敵”の不在が、物語の軸をぼやけさせてしまった部分はあるかと思います。
エイサップもリュクスもサコミズを止めようとは思っているものの、“敵”だとは思っていない。特にエイサップは、大空襲の幻像を見て涙を流すサコミズを見て以降、もう完全にサコミズは敵では無くなっている。後添え様関係も全ての裏で糸を引いているというわけではないですし(あくまで主導はサコミズ)、その周辺に点在する様々な欲望とエゴイズムに対してエイサップが正面から向き合って気付く事は、実は、無い。最後の最後でようやく、朗利と金本の抱える危険性に直面するわけですが、これはどうにも遅すぎる。
で、実は4話の展開から、エイサップの“敵”というのは、むしろジャコバのような存在であり、彼の生まれも含め、摂理とかシステムのようなものかと思っていたのですが、最終話ではジャコバは妙に皆に協力的な上に、エイサップもエリボスを経由してその力を借りるような展開になる。
ここが、何ともわかりませんでした。
最終話を見ると、ジャコバはむしろ、4話に至って、サコミズを成仏させてやろうという気になって、それがバイストン・ウェルだと娘をそそのかすという直接的な手段になって、地上では、ああいう形になったようでもあるのですが。
まあジャコバそのものが人間と隔たった存在ではあるのでしょうが、そうであるからこそなお、エイサップにはジャコバを乗り越えて欲しかったところ。そういう物語展開が描かれるかもと思ったので、そこは肩すかしだった部分。5話がそれを補ってあまりある凄さだったので、それを見たかったと力強くは言えないのですが。
しかしそれが描かれないのと、最終局面で見定めた一つの“敵”である朗利と金本とも決着が付かなかった事で、“サコミズの物語”としては完結したけれど、“エイサップの物語”としては激しく未完になってしまいました。これは、今作の隠しようのない欠点。
こう持ってくるなら、4話の最後は別の流れで良かったのではないか、という点も含めて。
その上でなお、5話から6話クライマックスと至る流れは、凄まじくて素晴らしい。
ラストを締めるお墓参りのシーンも美しい。
バイストン・ウェル>ものの基本知識はある、という富野ファンには、一見して損のない作品だと思います。