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『烈車戦隊トッキュウジャー』感想1

◆第1話「特急烈車で行こう」◆ (監督:中澤祥次郎 脚本:小林靖子
けっこう面白かった。
“空想の遊び”という、現役子供にも、現在大人にも、あーそういうのあるよね、というわかりやすい所から入って、子供だけさらったつもりがバカが1人紛れていたという入りは秀逸。
女顔に女声の主人公が、意外や無鉄砲暴走系というのも面白い。
「俺が決めた所が、宇宙だ!」
小林脚本だし、おそらく意図的に狂っているのだと思うのですが、ライトの扱い次第でかなり作品が変化しそうで、そういう点でも、面白いレッド。
残り4人が変身済みだったり、主人公が勢いオンリーだったり、かなり問答無用で進みましたが、変身後のアクションシーンでそれぞれの個性を見せる事でカバー。ハイペースに進みながらも合間のシーンでメンバーの性格を見せていくところなどは、もはや熟練の技。
さすがに敵側までは手が回らず、敵幹部はとりあえず顔見せだけになりましたが、これは2話以降に期待。……にしてもとりあえず鉄道網を広げるのだ、て割と小規模勢力なのか今回の敵。
敵といえば、雑魚戦闘員の造形が非常に凝っていて格好いい。戦闘員デザインのパーツ数としては歴代屈指では無いでしょうか。戦闘がコメディ要素強めだったので、攻撃その他はあまり格好良くありませんでしたが(笑)
「信号ハンマー」とか「レッド烈車」とか「フミキリケン」とか、ひねらずストレートな名称が多い今作ですが、結果としてナビゲート音声の
「斬りまーす」
「撃ちまーす」
が、えらく殺伐とした感じに。
レッドの今回の決め台詞、
「俺には見えた。おまえの終着駅」
実にデスメタル
小さくした雑魚をぷちぷち潰したり、地蔵の山で怪人を押しつぶして爆殺したり(必殺武器の弾丸が敵に合わせて色々と変化するというネタは、シリーズ最初期にもあり)、笑いの奥に冷たい殺意の潜んでいるマッド戦隊という感じもそこはかとなく。
戦闘中の乗り替え変身は今の所、わけわからない上に、スーツ費用が5倍かーぐらいの感想しかないのですが、当然なんらかの仕込みでしょうし、この今ひとつ意味のわからないギミックをどう面白さに繋げてくるのかは素直に楽しみです。
ロボはまあ、あんなものか。というか残り3分でロボ戦まで突っ込んできたのは驚きました(^^; 『ゴーカイジャー』辺りもこんな感じだったけど(笑) そして本編ぎりぎりまで尺を取った分、EDをあんな形で圧縮してくるとは。とりあえず現状、トッキュウオーは、線路の上しか進めないのか、が気になります。あと、劇中ではCGダルシム攻撃でいいとして、全く動きそうにない玩具は売れるのか。それともバンダイの超科学力で、割と動くのか。背後の案内表示で小ネタ入れている所は、好き。
シリアス:ギャグが6:4ぐらいの比率で、軽いノリで進んでいきながら、最後に思わぬ刺激的なボールを投げこんで引いてきましたが、ここ3年の戦隊第1話としては最も好みで、期待したいスタート。
緑が割と好みの顔ですし!(そこか)
主題歌も演出と合わせて、いいノリ。
現時点での心配は、今ひとつ馴染んでいない関根勤の車掌。馴染んでくれば良いと思いますが、ちょっと固いというか、関根勤すぎるというか。後やはりどことなく作り手が『仮面ライダー電王』のオーナー(石丸謙二郎)を意識している節が見え隠れして、もっと全然イメージの重ならない造形が良かったような気は(これは、見ているこちら側の意識の問題かもしれませんが)。……まあ、7年ほど前の作品と引き比べるのは駄目な大人だけなので、すぱっと無視されるべきであろうとは我ながら思いますが(笑) どうも追加で着ぐるみが出てくるようなので、絡みで面白くなってくる事に期待。
作品全体としては、「イマジネーション」をキーワードとして、“ごっこ遊び”の延長線上というメタ構造を取り入れているのは面白い所。やりすぎると、「戦隊ヒーロー」という架空のリアリティを破壊しかねない、かなりギリギリの一線を意識して突いてきていると思うので、どう料理するのか楽しみです。
例えば変身時に白線による結界が引かれ、敵が変身の邪魔を出来ない、というのはお約束とギミックによる理由付けを結びつけているのですが、同時にこれは強いイマジネーションは敵対する存在にも影響するという表現になっています(個人武器にも拘束系の付加能力が目立つ)。
一方で、烈車に乗るには架空の自動改札を通らないといけないなど、強いイマジネーションは、自分達をも縛る。
そしてそのイマジネーションの世界、空想のルールに従うという事が、より強い力を得る為のイニシエーションとなっている。
これは劇中の縛りのギミックになっていると同時に、ヒーローを、意図的に“ごっこ遊び”と“なりきり”の延長線上に置いてみせる作劇に思えます。
とすれば、そこに実体化しているトッキュウジャーは、リアルなのか、空想なのか。
下手に扱うとあまり好ましくないメタネタになってしまう危うさを秘めているように思うので、そのバランス感覚には注目。脚本家が脚本家なので、良くも悪くも何らかの意図がそこにあるのだろうとは、今から身構えていますが(笑) 次回の時点で、その辺りも含めた、設定・背景面には多少触れられるかもしれませんけど。
まずは上々の出発進行、来週が楽しみです。