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『GODZILLA』(2014)、見てきた

うーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、面白くないわけではなかったのですが、微妙に、ツボと違った。
しかし、これで求めているものと違ったとするならば、私の求めている物とはいったい何なのだろう、とちょっと悩んでしまう。
自分はずっと怪獣映画が好きだと信じていたけど、もしかして、『ゴジラVSビオランテ』が極端に好きなだけだったのだろうか、とアイデンティティの危機に直面しています(笑)
怪獣映画としては、しっかり作ってあると思います。
特に、人間に対する悪意など無くてもただ馬鹿でかくて頑丈な生き物が動いているだけで、人類文明は崩壊してしまうし、世界最強の米軍様の通常兵器も戦術も木っ端微塵、という辺りの執拗な描写は迫力満点。大方を満足させる出来かと思います。
しかしそこが、本作の魅力であると同時に短所にもなっていて、その辺りは後述。
物語はアバンタイトルのトンデモ導入(ここは好き)から始まって、随所にど派手なスペクタクルを盛り込みながらしっかり段取り踏んでいって、アクションと映像的には満足のいくクライマックス。終盤にガス欠になるという割とありがちな事もなく、盛り上げきりました。
ゴジラというキャラクターをハリウッド文法に取り込んだ娯楽大作としては、過不足無い出来。
一方で、“あまりにハリウッド映画すぎる”というのは、個人的に引っかかりを覚えた部分の一つ。これはネタバレ込みで、もう少し詳しく後述します。
物語の破綻は無いし説得力は必要充分にあるけれど、いくつかの要素が噛み合い不足で、正直、シナリオの完成度はあまり高くありません。とはいえ、怪獣スペクタクルとしては楽しめる出来だとは思います。
見に行く予定の方は、なるべく事前情報はシャットダウンするのがお薦め。
あと、出来れば字幕の方がいいかもしれません。
吹き替えで見たのですが、主人公の妻役の声が甘ったるいだけで酷い演技なので、かなり台無し。渡辺謙渡辺謙は特に違和感無かったし(昔から吹き替えの巧さには定評があるとの事)、そこだけ我慢すれば他は特に問題ないですが。
以下、ネタバレありの感想。
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1950年代の水爆実験は超巨大生物を倒す為のものだった……! というトンデモな導入はとても好きです(笑) 初代『ゴジラ』も民俗学的なアプローチを入れて“生物としてのゴジラ”という点を強調しているのでオマージュの意図もあったのでしょうが、ゴジラという生き物の位置づけを説明しつつ、現実との接点をつけた展開は秀逸。
そして恐らく事前情報では隠されていたと思うのですが、蓋を開けたらまさかの『VS』。
ゴジラだと思ったら実は……という誤誘導が前半の掴みを若干わかりにくくしましたが、意外性は良かったですし、カマキリ+タガメ+ギャオスみたいな、虫っぽい怪獣のデザインは面白かったです。特に映像での象徴的な使われ方もあり、あの脚は印象深い。
原発事故を起こした後、周辺の放射線を食らってオスが成長し、それにメスが応えて合流する、というのも設定と物語がうまく噛み合い、二つのデザインが大幅に違うというのも秀逸。合流した所でメスがオスを食べるか、メスの背中にオスが合体して飛べるようになるのかと思ったら、そんな事はありませんでしたが。
まあ実際、ゴジラさんには2方向攻撃の方が有効でありました。
全体のテイストとてしは、初代『ゴジラ』(1954)をベースに、『ゴジラVSビオランテ』+『ガメラ 大怪獣空中決戦』を核にして《VSシリーズ》のエキスを振りかけ、ハリウッドテンプレートで挟み込んだという感じ。
怪獣映画を“家族の物語”というバックグラウンドに落とし込み、怪獣によって人生を狂わされた男の息子(主人公)が、喪失を乗り越えて家族を取り戻す、という骨組みにズレはなく、土台の破綻はありません。
ただ、上述したように“あまりにハリウッド映画すぎた”のは、ちょっと気になった所。
つまり、結局のところ相手が宇宙人であろうが巨大怪獣であろうが、夫は妻に愛を伝え、米軍は勇気と愛国心で立ち向かい、最後は核兵器を持ち出す(笑)
相手が宇宙から来た戦艦だろうがクリプトン星人だろうが海底に眠っていた巨大怪獣だろうが、アメリカ軍人の対応が基本一緒なので、どうしても“怪獣ならでは”という成分が、物語として薄い。
そこで、「怪獣とは何か」というテーマ部分を語るのが芹沢博士の役目になるのですが、この人が、実に役に立たない(なお、名前は芹沢だけど、立ち位置は山根博士に近い)。
基本、博士のもたらす情報は事の成り行きの補強だけで、別に避難に役立つわけでも対策に影響するわけでもなく、実に役立たず。
この、「人間が役に立たない」というのは劇中で徹底されているので(せいぜい主人公が虫怪獣の卵を焼き払うぐらい)、当然意識的な物だとは思われるのですが、あまりに徹底しすぎてしまった感はあります。
人類は自然の驚異の前には足下を這い回るちっぽけな虫けらに過ぎず、存在を意識すらされない……という今作としての方向性はわかるのですが、この、怪獣が圧倒的に超越した存在であるのがいい、という受け手と、人間が物語に対してあまりに無力なのが引っかかる、という受け手で評価の分かれる作品かなーと。
で、私はどちらかというと後者で、別に怪獣に勝てなくていいけど、もう少し、人間が物語に“作用”してほしいよなーと。
タイトル通りに、ゴジラが主役、という点では正しいのかもしれませんが。
基本、米軍は延々と「空回り」する役目なのですが、行為は空回りしているのに演出だけやたらに盛り上げるので、作品としても米軍の存在が、どんどん空回り。例えば市民が避難する時間を稼ぐ為に怪獣相手に遅滞戦術を行うとか、盛り上げつつ空回りしない役回りを与える事も出来たと思うのですが、そういったアプローチが全くありません。
そしてその米軍の一員である主人公が、怪獣に対して感情を向けるというシーンもない。
総じて、ゴジラの神格化を重要視するあまり、登場人物が面白くないなのは、気になった点。軍関係は主人公含め非常にオーソドックスですし、キーパーソンかと思われた芹沢博士も、情報補強とテーマの語り部としてしか機能していない。唯一といっていい面白いキャラクターであった主人公父は、よりによって早期リタイア。怪獣(とは知らなかったけど)に人生を狂わされ、復讐に人生を賭ける男、って過去と現在を繋ぎつつ位置づけも面白いキャラクターだったのですが、このリタイアが結局、後半まで響く残念な事になりました。
サンフランシスコでの作戦前、芹沢博士がおもむろに懐中時計を取り出して「水爆なんか使うのはやめて、ゴジラという自然の調整力を信じよう」というのは本人の中では正論なのだけど周囲から見れば極論で、米軍としては市民の危機を前に手をこまねいているという選択肢があり得ないわけなので、そもそもここでは劇的な対立が存在しえない(いっけん存在しているように見えるけど)。米軍は米軍で「無謀」かもしれないけれど、芹沢博士は芹沢博士で、「人間として出来ること」を放棄してしまっている。
この間に立つ人物が居ない。
物語としては間に立つ機能があっていい筈の主人公は頭から尻まで米軍サイドですし、ならばここで「人間」と「自然」の間に立つ人物が居ても良かったのではないか(機能的には、芹沢博士が「ゴジラ」と「米軍」の間に立つのかと思って見ていたのですが、博士は最後まで役立たずでした)。
例えば、そういった機能性を担わせるかは別に、主人公父を生き残らせておいて芹沢博士と対立させる(まで行かなくても対比させる)などすれば、もっと物語に奥行きが出たと個人的には思うのですが。
あと、確としたヒロインを置けなかったのも、残念だった所かな、と。
主人公奥さんは一応ヒロインポジションなのかもしれませんが、劇中での扱いはモブキャラとほとんど変わりませんし。
他に比較的出番のある女性キャラは芹沢博士の助手ぐらいですが、特に劇中で役に立ちませんし。
米国艦隊の人に、「まったくアメリカ人は大雑把なんだから」みたいな態度を取る所は面白かったですが(笑)
大雑把といえば、原発事故の閉鎖区域に謎の施設が建っている、という発想は、非常にアメリカ的だな、と。基本、リアルシミュレーション路線ではあるのですが(平成『ガメラ』三部作は参考にしていると思う)、アメリカだとそれやってもリアリティ保てるのだろうけど、日本でやるとさすがにリアリティには欠ける……とまで昨今は笑い話にはならないかもしれませんが。
後まあ、各地の被害描写もアメリカ感覚というか、国土が広い人々の感覚を随所に感じます。
核廃棄施設の裏山が空き地に! はさすがに大雑把すぎる(笑)
というわけで、もう少し、人間が物語に“作用”してほしかったな、と。そこが私の求めている物とズレていたのかな、と思う次第。
ゴジラが主役の映画、としては充分な見応えだったと思います。