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『烈車戦隊トッキュウジャー』感想47

◆終着駅「輝いているもの」◆ (監督:竹本昇 脚本:小林靖子
来た! ミラクル来た!!
カレー屋の上に更に天守閣が出来た!
途中に挟まっているカレー屋はやっぱり違和感がありますが(笑)
44−46話の展開には書いてきたようにかなり不満がありますし、急に出てきたカレーの為に生まれた引っかかる部分も幾つかありますが、抑えるべき要素は抑えて、今作のテーマに最後の最後で鮮やかに着地してくれました。
いい最終回でした、良かった。
「闇の力を使っても、駄目だった……。勝利のイマジネーションも……見えない。もう……どうにも……できないのか? もう……」
改めてすっかり、ライトがシャドーラインを倒す為に好んで闇の力を用いたように台詞でもすり替わっていて、ここはどうもおかしいのですが、どちらかというとプロデューサーのヒロイズムだったのかなぁ……。
ゼットに敗れ、闇の中で倒れるライトだったが、そこへトッキュウレッシャーが辿り着き、トカッチ達4人はライトを烈車の中に回収する。
今度こそ12話で使い損ねた「ピンチの時は秘密の合図」を使うと思ったのですが、結局使わず。前回か前々回の回想シーンで子供ライトが変な顔をしていましたが、これが物語の中に収まらなかったのはちょっと残念。
4人に驚き、子供に戻る為には全てを忘れるのは仕方ないと言おうとするライトだが、次々と4人の反論に遭う。
「しょうがなくない! ……僕は忘れたくないよ。みんなで旅した事。トッキュウジャーやった事。楽しかった事も辛かった事も全部! 絶対に失くしたくない思いだってある」
「ライトの事もだよ」
「ライトを忘れるなんて、出来るわけないよ」
「全部忘れなきゃ子供に戻れないなら、全部持って、大人のままで居る。俺たちはそう決めたんだ。だから……」
4人は自作の定期券をライトに向ける。
「「「「絶対5人で助け合う事!」」」」
前回入れられなかった、子供として家族と一緒に暮らす事を諦めてでも友達の為に戦う、という部分を拾った上で、「大人で居る」事を選びながらも「子供の約束」で繋がっているという、トッキュウジャーの良い所と歪んだ所が一緒に入った良いシーン。
44−46話ですっ飛ばされ気味だった「葛藤」と「選択」が物語の中に入り、「4人だけでも秘密基地に戻ってほしい」というライトの選択が間違いだった――それはもう、かつてと同じ“あの頃”ではない――というのを4人がしっかり突き付け、現在を肯定する。
ヒーローとして、捨てられないものを選び直す。
1年間描いてきた幼馴染み5人の物語に、ここでようやくレールが繋げ直されました。
外部では、まだ力を残しているレールを明が見つけるが、そこへネロ男爵が現れる。
「そこだけまだ微かにレインボーラインと繋がっているな。そのレールごと貴様を潰す。今度こそな」
「させるか。このレールは……」
「また貴様の死に場所か?」
「……いや。…………レインボーライン、俺の――生きる場所だ。――トッキュウチェンジ」
そして明もまた、現在を肯定する。
明は当初、元シャドーという特殊な位置づけにより精神年齢があやふやで、5人に面倒を見られるような描写もあったのですが、道中、5人が実は子供だと知り、その5人から人の情を学び、急速に保護者目線になる事で、“大人”と“子供”の関係が、5人と逆転。
これにより、青春のはしかを卒業して、立派な大人になりました(笑)
意図通りの仕掛けでしょうが、実は子供だった5人に対し、まともな大人になる明、というのは今作の特色を活かした面白い追加戦士の在り方でした。
ロールプレイ防御全開の明も好きでしたが、終盤の明も良かった。
止まってしまったトッキュウレッシャーの車内で、どうやってこの闇から脱出するのかを考えていた5人だが、その時、ライトが全てを包む漆黒の中に、一点の白い輝きを見つける。
それは――――ライトの母が手にした星祭の灯籠だった。
「母さん……」
キャッスルターミナルより溢れ出した闇が世界を包む少し前……家族と星祭に向かっていたライトの母は、ふと思い立って、黄色い星を描いた灯籠を、新しく作っていた。
「なにそれ?」
「うん……どうしてか、あともう一人居るような気がして。そのもう一人の為に」
それは――ライトの為に描かれた星。
「もう一人って、星なの?」
「ううん。ただ、舞達が「きらきら星」歌うのを聞いて、思い出したから」
「会える?」
「どうかなぁ」
「ボク会いたい!」
「じゃ、灯籠にお願いするんだな。星祭は、そういう夢や希望を、星に願うお祭りなんだ」
きらきら星を歌いながら(お母さん、星の絵は微妙だけど、歌声綺麗)、一家は新たに作ったその灯籠を石段に並べ、そこで世界は闇に包まれる……


きーらきらひーかる おそらのほーしよ……

そして――ライトがそのキラキラを見つけた時、石段に並べられた星祭の灯籠が次々と光輝いていき、闇の中に伸びる、光輝く線路になる!
あぁ! そう来るかーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
ここで、ライトの灯籠「宇宙へ行きたい」(「宇宙飛行士になりたい」だったか?)も光の列の一部になっている映像が入るのですが、そう、23話で星祭の記憶が戻った時点で、「灯籠に願いを書く」というのは示されていたのでした。
つまりそれは、人々のイマジネーションの連なりである。
わかってみればこれだけ露骨に提示されていたのですが、いやまさか、石段に並べられた灯籠が“線路”になるというのは、全くもって予想外だったので脱帽です。
この最終局面で、世界観のキーワードとビジュアルが完全に融合を果たすという、ミラクル。
そしてまた、これまで、5人の家族は5人を支える背景にはなっていたけど、どうしてもどこか遠い存在で、それがここで、子供達を導くキラキラになる――という、ライト母が灯籠を作っているシーンから一連の流れは、物凄く素晴らしかったです。描いてあるのが、ただ、シンプルな星というのがまた、いい。
1年間見てきて良かった。
このシーンで凄く、満ち足りました。
特に何がいいって、単に伏線が綺麗に繋がったというだけではなく、「みんなの夢と希望」と「光の線路」というビジュアルが融合したのが素晴らしい。
これぞ、映像作品です。
とても良いものを、見せていただきました。
果てしない暗黒を切り裂くように、夜空へ向けて伸びていく光の列。
「む? あれはいったい?」
モルクの言葉に顔を上げ、椅子から立ち上がった陛下の瞳に映り込むのは、まばゆい光の線路。
――闇の中で見たんだ。おまえの目ん玉にあるキラキラに、よーく似たやつだ――
「あれだ……俺が見たキラキラは」
あの時、昴ヶ浜を覆っていった闇。
5人の子供達の歌声。
「「「「「きーらきらひーかる……」」」」」
「おーそらのほーしよ……」
その歌を口ずさみながら、上昇していく光に手を伸ばす陛下、切ない、切ないなぁ。
陛下が見たキラキラの正体、陛下の闇が昴ヶ浜に惹かれた本当の理由、それは、そこに連なっていた沢山の人々の想いの為だった……と真相の真相が明かされ、やっと納得できる所にまとまってくれました。
44−46話の展開で個人的に凄く引っかかっていたのは何より、ここまで特に踏み込んでこなかった“光(レインボーライン)と闇(シャドーライン)”の関係を、急にライトとゼットという個人に集約してしまい、合わせて今作の物語そのものを「二人の因縁の物語」として展開する事により、物凄く世界が狭い所に閉じてしまった事だったのですが(これはクライマックスバトルの盛り上がり不足にも繋がった)、ここで世界が広がった!
いたずらに広がって話が大きくなれば良いというわけではありませんが、ゼットの見たキラキラがライトであった、という個人レベルの物語になってしまうのはどうしても納得しがたい物があったので、それが沢山の人々の想いであった、というのは凄く納得。
闇そのものであるゼットと、ライトという個人では天秤のバランスが悪いけど(ゆえに44−46話の展開で物語を進めるならゼットを個人レベルにする為の描写が必要だったが、それが不足していた為に流れがちぐはぐになっていた)、天秤の片方が不特定多数の人々のキラキラになった事で、この釣り合いが取れました。そしてその中にはライトのキラキラも入っているので、矛盾も無い。
そしてこう広げれば、これまであまり踏み込まずに描いてきた流れで、レインボーラインとシャドーラインは、“観念的な光と闇の具現化”というような解釈でも、問題無く物語が収まります。
この最終回に持ってくる為に、主人公すら踏み台にしたとも言えるのですが、ただうーん、過程の所の急な流れの変更はやはり引っかかる所で、そこはもう一工夫して、見た目綺麗な踏み台にして欲しかった所です。どうしても、違和感のあるカレーの匂いが染みついてしまったのは否めず、惜しい(^^; 後これ別に、最後のどんでん返しというわけでもないので、踏み台使って最終回に明かさなくても物語は展開できたのではと思いますし。
漆黒の夜空に伸びた光の線路に乗り、力を取り戻すトッキュウレッシャー。外では明がネロに追い詰められていたが、闇の中からトッキュウレッシャーが飛び出し、明とネロは慌てて回避して水入り。
ネロ男爵は、ここで烈車に轢き殺されていたら、歴史的なネタでおいしかったのに(笑)
キャッスル獣の吐き出した闇が晴れていき、空にかかる虹。大集合する、レインボーライン
「陛下、奴等め闇を」
「ああ、わかってる」
迫り来る大烈車軍団のキラキラを見つめる陛下が超嬉しそうで、切ない。
「闇とは、常に巨大だ。あっという間に光を呑み込んでしまう。それに対抗できる力は一つしかない。――いや、一つでいい! 夢、希望、想像、祈り、その全てに通じる……」
「「イマジネーショーーーーーーン!!」」
おいしい所を持って行く総菜、そして車掌とワゴンさんにも見せ場が!
……私、前回見終えてから割と本気で暗くなっていたのですが、ここに来て全てのピースがきっちりとはまっていき、前回見終えた後の私の暗い気持ちを、のしをつけてスタッフ(やっぱり脚本家宛か?)に送りつけたい(笑)
一番得体の知れなかったレインボーラインですが、最後にしっかりとその存在をメッセージ性を持って描けました。総菜は人格には色々と疑問を感じますが、「それに対抗できる力は一つしかない。――いや、一つでいい!」は超格好良かった。
あと、「夢、希望、想像、祈り」と言うのに合わせる形で烈車が連結していく、というのも格好良かったです。烈車の連結描写はクリスマス決戦編でかなり尺使ったのでもう目立たないかと思いましたが、最後まで烈車という要素を使ってくれたのも良かった。
この辺りは佛田さんの担当かもしれませんが、前回「やっぱり中澤監督で見たかったなぁ……」とか書いてすみませんでした竹本監督! ……いや、前回はあまりよろしくなかったと思いますけど。良くも悪くも目立つ立場にある脚本家とか監督だけではなく、色々なスタッフの力が結集して作品が生まれているわけですが、前回のバタバタ感に対し、ピースがはまっていく今回は全てが良く回っていくから、実に不思議。
烈車大軍団の突撃により、キャッスル獣は特に何もしないまま、爆発四散。折角、ごてごてして割と格好いい着ぐるみだったのに(笑) 微妙に、Vシネマで再利用とかされそうな予感。
そして、敵の最終巨大兵器を、総菜・車掌・ワゴンさんが倒してしまうという、まさかの展開(笑)
レインボーラインに自ら轢かれたがっているようにも見えた陛下はモルクに引っ張られて崩壊する城を脱出し、ネロ男爵が合流した所に、トッキュウジャー6人が降り立つ。
「ライト……てめぇ」
笑みを交わし合う、ライトとゼット。この二人の個人の物語に集約してしまう違和感について書いてきましたが、ここのちょっとした繋がりは良かったです。
「ゼット! 闇の力でおまえを倒そうとしたけど……間違ってた。どんなに闇の力が大きくても、俺たちは俺たちの力、イマジネーションで戦わなきゃいけなかったんだ! 最後まで!」
ここはやはり、そもそもライトに選択肢が無かったので、ちょっとズレている(^^;
「はははははははははははは、ははははは!! すげぇキラキラだぁ! てめえら見ろよ。やっぱりこうでなくちゃ……潰しがいがねえ」
ゼットは変身し、6人も変身する。


「「「「「「トッキュウチェンジ!」」」」」」
「トッキュウ1号!」「トッキュウ2号!」「トッキュウ3号!」「トッキュウ4号!」「トッキュウ5号!」「トッキュウ6号!」
「「「「「「見えた! 勝利のイマジネーション! 烈車戦隊トッキュウジャー!!」」」」」」

「しゅっぱーつ進行!」

顔出し+スーツで名乗り中に、CGでマスク装着、というのは独特の名乗りモーションにはまってスピード感のある格好いい演出になりました。そしていつもの揃い踏みから更に、新揃い踏みポーズを追加するイマジネーション! 今作あまり、名乗りとか揃い踏みで盛り上げてこない作りだったのですが、最後という事で派手に火薬も使って、格好良く決めました。体を張る6号がおいしい(笑) 大人になって辿り着いた場所は、宴会部長なのか、明よ。
OPがかかって戦闘スタート。イマジネーションゲージが最高に溜まっているトッキュウジャーはクローズ軍団を瞬殺し、ゼットの一部だったキャッスル獣が吹っ飛んだ事で闇の力が減退している……と丁寧に弱体化の理由を説明してくれるモルク侯爵(笑) 久々にカグラの最強ガールも用い、トカッチ捨て身のコンビネーションアタックがモルクを貫く!
気が付くとマッチアップ相手になっていた6号とネロの激戦も、宴会パワーで6号が男爵を撃破。吹っ飛ばされて地面に突き刺さった杖のカットが二回も印象深く入り、なんだかんだで最後まで愛され系でした、男爵(笑) とにかく殺陣が格好良かった男爵ですが、アクション監督がお気に入りだったりしたのかしら。烈車に轢き殺された方がおいしかったとは思うけど、男爵に関しては大満足。
ゼットと激突した1号は二刀流でゼットの猛攻を上回り、レインボーラッシュにユウドウブレイカーをセットしたユウドウレインボーラッシュが遂にゼットを直撃。変身の解けるゼットだが、そこに満身創痍のネロとモルクが駆け寄ると、自らの闇を差し出す。
「陛下、失った闇は、どうか妾の闇で」
「このネロ、陛下の闇になれるならば、喜んで」
「よせ……てめえら……この期に及んでキラキラすんじゃねえ」
「これは心外」
「では陛下、偉大なる闇で、再び!」
「ああ…………じゃあな」
最初からずっと言ってはいましたが、シャドーラインはとにかく、闇でしか居られない存在、というのが貫かれました。と考えると、クライナー大軍団で地上を制覇したいという“夢”を持っていたシュバルツは、実は最初から異端ではあったのか。
そしてモルクとネロがゼットに吸収されて消滅した事により、敵の全幹部が敵のボスに倒されるという、恐らく戦隊史上初の金字塔が達成されました(笑) 5人の正体が子供だと考えると、人格の強い(交流もあった)幹部クラスを意図的に殺させなかったのかな、とは思う所(まあ怪人は倒しているわけですが)。
「ライト、てめえだけは潰す」
モルクとネロの闇を吸収して再び変身したV2バスター陛下はトッキュウジャーを闇の力で吹き飛ばし、唯一耐えた1号と切り結ぶ。追い詰められる1号だが、その時、5人が変身烈車を1号に託し、1号は連続乗り換え。そして――
「トッキュウ1号ーレッド、乗り継いでー、レインボーー」
七色の光がその身に宿る!
7色目はハイパーレッシャーで代用しましたが、これやはり、初期にはメンバーが七人になる構想もあったのかなぁ……。乗り換えに関しては結局、劇中でギミック以上の意味を持つには至りませんでしたが、一応、最後の大技に繋げる形で活用。
イマジネーションパワー・フルチャージ! 虹を纏いながら誰も止められない速さで動くレインボー1号は、ゼットを凌駕する怒濤の連続攻撃を浴びせ、最後は皆で抑えながらの零距離大回転砲が炸裂。
変身が解け、遂に髪のセットが崩れた陛下は、青い空にかかった虹に向けて手を伸ばしながら……倒れる。
「すげぇ……俺は……あれを……」
ゼットの体は吹き飛ぶが、その内部から闇が放出され、吹き荒れる。力を使い尽くして倒れたライトをかばう5人だが、その時やってきたクライナーが、闇を回収して走り去って行く。
「陛下……闇は、闇へ還りましょう。陛下の欲しかったキラキラは……闇あってこそ」
生きていたグリッタはクライナーの中でおぼろに形を取ったゼットの手を取ると、闇の奥底へとクライナーを走らせるのであった……。
見えない所で悲鳴だけあがる、という定番演出だったので、シャドー側の始末をつける役回りだろうと思われたグリッタですが、本当に一言だけでまとめる事に。お約束はお約束として、あの時何があったのか、はワンカット入れなくてはいけなかったとは思うのですが、純粋に尺が足りなかったのかと思われます(^^;
終盤までぶっちぎりのヒロイン力を発揮していたキャラだっただけに、そこはもうちょっと欲しかったかなー……惜しい。
陛下はキラキラを求めても決して手に入れられないが、陛下が居るからこそキラキラが存在する……観念的な闇そのもの、という所に落ち着いた陛下ですが、戦隊史上屈指の切ないラスボスでありました。
語りきらないのを前提、というような非常に難しいキャラクターだったと思いますが、陛下はとにかくキャスティングが大当たりでした。前回ぐらいはちょっと自暴自棄になっている感じで魅力半減だったのですが、今回の、手に入らないにも関わらず、キラキラが輝けば輝くほど喜んでしまう、という陛下の姿を見事に演じきり、最後まで素晴らしい演技でした。
こういう褒め方はあれかもしれませんが、かつての広瀬匠さんのように、定期的に悪役で出てきてほしい役者さんです。
シャドーラインは再び闇の底へと去り、大人の姿で、昴ヶ浜の海を見つめる5人。全てを持って大人のままで居る事を選んだ5人は、保線作業員を続ける明と旅を続けようと考えるが、駅へ行くと何故か総菜が現れて別れを告げる。
「じゃ、最後に、その頭取ってよ」
「取れない。それに、なんでもすぐに答を求めてはいけない。想像しなさい。そのイマジネーションで我々は存在し、走っている」
「そうですよ。いつでも皆さんのすぐ近くをね」
「だから、激しく、忘れないでね」
皆のイマジネーションがあるからレインボーラインは存在し、だからいつでも近くに居る……というのは、夢の存在としてのレインボーラインが、綺麗に着地しました。作品としては中盤以降、「イマジネーション」の活躍の場があまり無かったのですが(もっとギミック全てにこじつけるぐらいでも良かったと思う)、誰だってヒーローになれる戦隊として、ある程度収まったかな、と。
「どういう事?」
ヒカリが首をひねった時、駅に届く、4人を呼ぶ声。そこへ走ってきたのは、4人の家族。
「おまえ達の家族のイマジネーションも、かなりのものだったんですよー」
「みんなが書いていた手紙、きっと、激しく届いてたのよ!」
皆の家族はそれぞれ、大人になったトッキュウジャーを家族として受け入れる。
これまでずっと、(常識として)大人の姿では家族に受け入れられない、という物語上の覆せない前提条件があったのですが、最後の最後で、見事なうっちゃり。
彼等の大好きな大人達が、彼等を受け入れない筈が無い。
そう、『トッキュウジャー』は、そういう戦隊だった!
前回見終えた時点では正直なところ、総菜が適当やってなし崩しで大団円という白けるエンドもありえるかなーと思っていたのですが、そんな悪手は回避し、彼等が大好きな大人達が掟破りを行うという、見事な大逆転。
今作はヒーローの鏡として、“身近な良き大人達”を肯定する物語なので、この掟破りは許されます。
この瞬間、今作で描いてきた「ヒーローとは何か?」という話が全て繋がり、美しく着地しました。
どこまで狙ったキャスティングだったのかはわかりませんが、自分より大きくなってしまった弟を受け入れるトカッチ兄とか、沁みます。
大きさといえば余談ですが、子供カグラが縦に伸びてしまったというか、5人の中で一番背が高くなっている気がするのですが、最初からこうでしたっけ?(^^; 5人の中で一番子供っぽいキャラの筈なのに、子供が一番大人っぽく(笑)
4人が家族と再会する姿を見つめながら、自分の事は諦めて明と共にレインボーラインで去ろうとするライトだが、その胸に弟と妹が飛び込んでくる。最も闇の影響を受けていたライトの家族もまた、闇の中で、ライトの事を見つけ出したのだ。
「おかえり、ライト」
「ただいま」
母に抱きしめられ、子供に戻るライト……そして残りの4人の姿も次々と子供に戻る。それを見届けたトッキュウレッシャーは明を乗せて果てしない線路を走り出し、5人は去りゆくその姿に手を振り続けるのであった――。
最後は日常に戻った子供達を描き、秘密基地で大人と子供の5人が出会って(これはサービスシーンでしょう)、走り出す5人でエンド。
最初見た時は、ここまで来たら大人の姿のままというのも一つの美しさかな、と思ったのですが、冷静に考えると酷すぎるし、2回目見たら、「ただいま」で子供に戻る事こそ、今作らしいラストかな、と思い直しました。
手紙はどこかで使うだろうとは思っていましたが、こう使うなら前回、それとなく手紙が届いている描写があっても良かったかなー(読んでないけど知らない間に部屋の中に、みたいな感じで)。ライトの家の表札がポストに貼り付けてあって、それを映すカットが前回あったので、演出意図としては、はっきり描かないけど「手紙」というキーワードを匂わせた、という事だったのでしょうが。
作品として惜しむらくは、4人が一度子供に戻るという都合もあり、最終盤にこれまで蓄積してきた横の人間関係が集約される事がなく、合わせて明との絡みも不足してしまった所。ただ、最後に子供に戻るというオチを考えると、「これ以上、大人の姿の時に人間関係を進展させない」というのは、「正しい」判断だったのかもしれません。面白い面白くないでいえば、これまでの蓄積のある大人4人を動かした方が面白いに決まっているのですが、それよりも正しさを選んだというのは、キャラクターに対して誠実だったのかな、と。
ここ数話、あれあれ? という方向に走っていましたが、最終的に繋がるべきレールが繋がって、満足の終着駅でした。
もう少し重めのラストも想定はしていたのですけど(5人は大人の姿で旅立つけど、手紙が家族の元に届いて……みたいな)、最後に良き大人達がそういう運命を大逆転させる、というのは、素晴らしかったです。
総評としては、大傑作になり損ねた傑作という感じ。
ちょっと惜しかったけど、久々のリアルタイム視聴で完走し、存分に楽しませていただきました。
今回かなり熱量に任せて書いたので、細かい書き落としなど思いついたらここかまとめで追記するかもしれません。
イマジネーション!