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『Gのレコンギスタ』、完結

じわじわ、来そうだなぁ。
正直、初見の時はいつも以上にあれよあれよという感じで、え、そこからそうまとめてしまうのか、という感じだったのですが、後半を何回か見つつ、色々と書き殴っていたら、今、少しずつ沁みてきている感じ。あと、2、3回見ると、ストンと落ちてくる……かもしれない。
個人的には、「物語」においては、ある一定の「物語なりの答」を見せて欲しい方なのですが、今作は徹底的に「答を見せる」事を拒否し続け、最後までそれが貫かれました。
レコンギスタしかり、エネルギー問題しかり、戦争しかり……それを、放り投げた、と見る向きはあるでしょうし、作品として一つのマイナスという面はあると思います。
ただそれは、まとめる事が出来なかったのではなく、まとめる事をしなかった、のだろうな、と。
これは、明確な意図を持ってそう作られたのだと思います(だからそれを肯定するべきという事ではなく、その意図と評価は別のものとした上で)。
「爺は答を書く気は無いから、後は君たちで考えなさい」
というのが、『ガンダム』以後の反省と紆余曲折を経て、富野由悠季が老境に入った事で出来た、『Gのレコンギスタ』の一つのメッセージなのかな、と。
富野監督は『∀ガンダム』以後のこの10年ぐらい、自分が『機動戦士ガンダム』で描いた事とその影響に関して責任を感じているような発言がしばしば見られるのですが、それに対してある程度の決着をつけようとしたのが、今作における、作品としての完成度を少なからず犠牲にしても、「答を描かない」という事だったのではないかと、そんな事を思います。
だから、大地に立って、ベルリ自身の旅は、これから始まる。
また合わせて、「これから先のリギルド・センチュリーの物語は、描きたい人が好きに描いてどうぞ」という造りでもあるのかと思います。『∀』発表以後の《ガンダム》世界は、極端に言えば全て、いずれ『∀』に統合されるがゆえに公式も非公式も無くなっておりますし。
そこは穿った見方にしても、あちこちの火種は残されていますし、実はハッピーエンドというわけでもない、というのはかなり意図的だろうな、と。特に反省しないまま、問題児(クリム)が生き残ってますし(笑)
いやもう、天才は単勝オッズ1.5倍ぐらいで間違いなくバイストン・ウェル行きだと思っていたのですが、まさかのダハック無双で天才無双! 無双すぎて、途中でフェードアウトしてしまいましたが(^^; クン・スーンが受け入れられたり、おかまドリルまで生き残っているだけに、無双の踏み台にされたチッカラの扱いは若干可哀想な事に(^^;
まあそれはそれとして、ラストの眼鏡ミックはとても良かったので、もっと見たかったです、ハイ。
キャラクターに関しては書きだすとキリがないので後々にしますが、物語は意図的に答を出さなかったのだろうとは思いますが、キャラクターに関しては多分、意図した以上に活き活きとしてしまってまとめきれなかったのだと思います(笑) さすがにちょっと、最終回で触れないといけない人数が多すぎた感。
マスクとマニィは、マンガ『クロスボーン・ガンダム』(画・長谷川裕一)のラストを少し思い出しました。
マスクは多分、キンケドゥ・ナウでもあったのだと思う。


「山道を歩いて、雨露をすすって、好きな女を抱いて……、もう一度じっくり考えてみるさ……。もともと人間が何だったのかを。そのための時間はいくらでもあるから」
で、ベルリは母親の元を離れ、アイーダの後ろをついていくわけでもなく、例えばノレドを連れて行くわけでもなく、1人の旅に出る。1人の旅に出るけど、地元の人達とはちゃんと関わる。これは「みんなの元へ帰った後」の物語で、「脱出」の先の話。答は描かないけど、道は見せる、そんな物語であったのかな、と。
以上、とりあえず今書き留めておきたかった事を、大雑把に。
後々また、時間をかけて感想に取り組もうと思います。