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『手裏剣戦隊ニンニンジャー』感想・第16話

ようやく先週分まで追いついた。
◆忍びの16「父ツムジはスーパー忍者!?」◆ (監督:竹本昇 脚本:毛利亘宏)
見所は、間近で見る火薬の爆発に割と素で「すげー」という顔になっている気がするお父さん。
ニンニンジャーのアジトを突き止めようとするイカ軍師は、足軽兵にニンニンジャーを尾行させるも失敗……が、それは陽動で、ご家老の真の狙いは、旋風にあった。
「あの者が特売日にあの店に来る事は調査済みよ……」
あなた方! ホント! 現代社会の情報収集綿密だな!
ご家老は復活してこの方、

大目標の遂行より障害(ヒーロー)の排除を優先する
ヒーローの基地を狙う

と、通常、悪の組織が色々なしがらみで後回しになる問題に率先して取り組んでおり、これで後「身近な人を人質に取る」に手を付けてきたら、作品として明確な意図を感じる所です(笑)
イカ軍師は父が落とした万年筆から妖怪カサバケを生み出し、妖術にわか雨→フリーの置き傘に偽装して伊賀崎家へ潜り込ませようとするが、途中でニンニンジャーに気付かれて失敗。無力な自分が息子達の弱点として標的にされた事に落ち込んだ旋風は、天晴と風花に、自分もかつては好天に憧れてラストニンジャを目指していた事を改めて語る……。
「親父が凄いニンジャだったとしても、俺はニンジャになったよ。だって熱いじゃん。爺ちゃんと親父と俺、親子3代でニンジャって」
ネガティブモードに入った父を励ます天晴が、爺ちゃん以外にも家族への愛情を見せると共に、前向きな明るさも巧く描かれ、かなり好感度を稼ぎました。出来ればこういう好感要素は、話数1桁の内に仕込んでおいて欲しい所です……!
後やっぱり、天晴は「ニンジャ」を職業として認識しているっぽい(笑)
天晴の発案で、旋風が実はスーパー忍者だ作戦を展開し、ノリノリではしゃぐ父。妖怪を騙す事に成功するニンニンジャーだが、珍しく真っ向勝負で大苦戦。……この傘、蛾眉さんより強くないか(笑) 少なくとも、ニンニンジャーが正面から妖怪に力負けするのは、蛾眉さん以外では初のような。
旋風は子供達を守ろうと、ニンジャの才能は無くとも、ニンジャの魂で妖怪に立ち向かい、その心が何かを打ち破ったのか手裏剣忍法・竜巻の術が発動。ここでOPが前奏から流れ出し、旋風の放った竜巻に乗っての天晴の必殺攻撃、というのは格好良かったです。多少の強引さは、格好良ければ問答無用で許されるのです(笑)
そのままOP流れっぱなしで巨大戦に突入し、ドタバタのオチまで入れてOPフルサイズで使い切り。
「やっくん! ここは、UFO丸だよ」
と言う風花ちゃんは、UFO丸に優しいので、以後、少し贔屓しようと思います!
その後、旋風は再び手裏剣忍法を使えなくなってしまうが、
「家族を思う気持ちが、奇跡を起こしたのかも、しれやせんね」
突然、壁の裏側から出てきたキンジ、駄目な方向に綺麗にまとめてしまう。
そういうのは、演出で格好良くまとめた時は、口に出して言わない方がいい時もあるんですよ!!
キンジは、「家族」という単語に反応する、という視聴者の共感しやすい行動指針を与えられた結果、主な行動指針が3つに増え、その時々の行動指針に応じて全てがドンドン上書きされていく病がますます悪化してしまい、そろそろ何とかしてほしい……。
ラスト、天晴と風花が父の日のプレゼントを渡し、3人で雨の中の買い物へ、というのは良いシーンでした。
劇場版の都合か、16話にして、下山さん以外の脚本家が初参加。個人的な毛利さんの評価は、見た範囲の『ゴーバスターズ』参加回は駄目駄目だったけど、去年の『トッキュウジャー×鎧武』コラボSPは素晴らしかった、というもので、上下の振り幅が大きい状態でしたが、今回は旋風父さんに焦点を当てるとともに、天晴と風花の好感度をきちっと上げ、特別良くはないものの、やる事はやった、という出来。
ただ全体としては及第点だったのですが、少し引っかかった所があり、好天から「才能が無い」と言われていた旋風の、子供の頃は「忍術の天才」と呼ばれていて、風花ぐらいの年に「全く忍術が使えなくなった」という自己申告。
旋風の発言まで疑っているとキリが無いのでここでは一応これを事実として扱いますと、手裏剣忍法とは、“技術的蓄積で成り立つものではなく、最低限の前提(素養)を必要とした特殊能力”という事になります。
それゆえ、修練による強化は可能でも、前提条件が消滅すると使用不能になる。
で、「才能が無い」という言葉を用いる場合、「前提条件としての才能(素養)が無い」或いは「技術を身につける為の最低限の才能が無い」という物言いは成り立ちますが、使えたものが使えなくなったとするならば、「能力を失った」が適切ではないか、と思う所。
まあ、半ば言葉遊びの範疇ではありますし、「能力を失った」=「能力が無い」=「才能が無い」という意味で使っている、或いは「思春期を超えても忍タリティを維持できるか否か」が、一族における才能の「あり/なし」の判断基準、という考え方も出来るのですが、個人的にはもう少し、<技術>と<能力>の違いに、作品として気を配って欲しかった所。特に今作の場合、血統に裏打ちされている部分、と、修練で何とかなる部分、のバランスと意味は作品全体にとって重要な点なので。
具体的な問題点としては、旋風が子供の頃は忍術を使えた、というのは無くても今回の話は成立したので、どうしてそれを入れたのか、という事なのですが。全く使えないのではなくそよ風ぐらいは起こせる、で伏線としては事足りているので、クライマックスの説得力はさして変わりませんし。
とはいえこれは、今回のシナリオ時点の問題というよりは、作品トータルの設定上の問題といった感じ。更に言うと、好天が何らかの理由で旋風の忍タリティを奪った、或いは今後、ニンニンメンバーが手裏剣忍法を使えなくなるという事態が起きる、など、先への伏線という可能性もあるかな、とは思う所。個人的には、深く考えていなかったのではなく、考えた伏線であってほしい、という希望も込めて、ちょっと気にしておきたい。
次回、ロックなアイツがグッドバイ?!