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『ブレイブリーデフォルト』感想(ラストまでのネタバレあり)

ブレイブリーデフォルト −フォー・ザ・シークウェル−』終了。プレイ時間は約110時間。LVは全キャラ99。LVは上がりやすい(特に後半)ゲームなので、ある程度全部の要素をクリアしようと思うと、大体99まで行く作りかと思います。
とりあえずネタバレの無い範囲で大雑把な感想を書くと、戦術性の高い戦闘とジョブ/アビリティシステムの組み合わせは面白く、多彩なジョブの育成と、ボスキャラに合わせた戦術の構築は、面倒くさいと隣り合わせではありますが楽しかったです。100時間超えでクリアするぐらいには、システム面では楽しめました。
ただ逆に、育成とボスバトルを楽しめないと非常に厳しいゲームなので、戦闘の繰り返しとボス戦のトライ&エラーそのものを楽しめるプレイヤー向けです。戦術性が高い分、適切なアビリティを持って対応策を組めばボスに勝てるようになっている(リアルラックにあまり左右されない)のですが、逆に、必要なアビリティを揃えないといけないので、その部分でプレイヤーを選びます。
そんなアビリティ入手の為に戦闘を多数繰り返す事になるのですが、エンカウント率操作と4倍速戦闘が実装されているのはストレスが少なくて良かった点。あと、音楽が良かったのも大きい。正直、音楽が気に入ってなければ、かなり辛いゲームになったと思います(^^;
一方、ストーリー及びその演出に関しては、かなり不満あり。今作、特殊な仕掛けが物語の軸になっているので、後半のストーリーに触れると即ネタバレになってしまうので詳しくは後述しますが、幾つかの点で大きな問題を感じます。
システムを物語に融合させる思いつきはわかるのですが、クライマックスの仕掛けに至るその仕込みが洗練されているとは言い難く、正直、最終的には作り手の自己満足を押しつけられた感覚が強かったです。……この辺りは、個人の好みが出る所ではありますが。
通常の戦闘バランスの悪さ(雑さ)も合わせて、アイデアを具体化してみたプロセスは面白いけれど、発想先行で全体をバランス良くまとめきれなかったゲーム、というのが総評。
以下、物語の核心部分に触れる感想です。主に、好きな人には申し訳ないけどクライマックスバトルに感じる問題点。ストーリーのネタバレが致命的なゲームなので、プレイに興味のある方はご注意下さい。あと、長い。
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以下、真終章を含めて最後までネタバレあり。
なおプレイしたのは最初に発売された『−フライング・フェアリー−』ではなく、その改良版である『−フォー・ザ・シークウェル−』ですが、システム面の改良以外に、後半のサブシナリオに手が加わっているとの事。
さて今作、物語の展開を簡単にまとめると、こん感じ。
まず前半は、世界に開いた闇を噴出する大穴を塞ぐ為、巨大な国家を敵に回しつつ気象異変の原因にもなっている闇に浸蝕されたクリスタルを浄化・解放。4つのクリスタル全てを解放する事で穴は塞がれ世界は救われるかに思えたが、クリスタルの力で生じたホーリーピラーに突入した主人公達は、何故か初めて出会った宿屋に戻ってしまい、大穴は塞がらず、気象異変も再発してしまうのであった……というもの。
再びクリスタルが闇に浸蝕されているのを見た主人公達は戸惑いながらもそれらを解放するが、またも世界は繰り返され、大穴は塞がらない。実はそれはホーリーピラーを通した並行世界への移動であり、彼等が良かれと思って行っていたクリスタルの“解放”は、幾つもの並行世界を連結しようという、真の敵の陰謀だったのである……。
このクリスタル解放を微妙に人間模様の変化した同一マップで繰り返すのが、5〜8章。前半戦で解放したものも含めて、5つの世界のクリスタルを全て解放する事で、ラスボスが登場する真終章へ突入。ただし、6章以降では主人公達が背後の陰謀に気付き始めるので、クリスタルの“破壊”を選択する事で、ラスボスのもくろみが瓦解。それまでそれとなく主人公達を誘導していた妖精が本性を現し、それと戦う(真のラスボスは登場しない)終章へ入り、陰謀を阻止するという、いわばノーマルエンドで終わります。
クリスタルの“解放”は、Xボタンを連打する(スピードは多分要求されない)儀式で行われ、前半から「エネルギーを入れすぎると壊れる」という伏線があるのですが、“解放”後に妖精に止められてもXボタンを叩き続ける事で“破壊”するという選択を選ぶ事が出来、これはゲームのインタラクティブ性が出て、面白い仕掛け。
ただ私、その終章への分岐を知らずに、情報的にずっと叩いていると壊せるのかなぁ……と思ってしばらく叩いていたけど全く何の反応も無いので諦めたのですが……『フォー・ザ・シークウェル』の方では必要連打回数が増えていたりするのかどうなのか(そんなわけで、最初から真終章だった)。面白がって結構叩いていたのですけど。
で、仕掛け自体は面白いと思うのですが、まずここで問題がありまして、クリスタルを破壊せずに解放して、7−8章と進めていった場合、勿論プレイヤーには悪の陰謀がだいたいわかった上で、主人公達や周辺人物も実に思わせぶりな発言をするにも関わらず、真終章に突入してラスボスが降臨し羽虫が本性を現すと、一斉に「な、なんだって!!」とか「ど……どういうこと……」とか言い出し、単に何も考えていなかった事がわかります。
それまで散々、次の世界へ行く度に主人公の住んでいた村が崩壊する事に自覚があるような発言や、「全てが終わったらみんなでこの罪を償おう」とか、「困難な道を選ぶのだな」みたいな、敢えて妖精の陰謀に乗せられているフリをして、諸悪の根源を突き止めようとしているような発言があったのに、どうしてそうなった。
ゲーム的には、クリスタルの“破壊”をしない時点で、「妖精を信じる事にした」という事なのかもしれませんが、それまでの思わせぶりな言動に加え、8章まで進めた事でプレイヤーが最も情報を得ている状態にも関わらず、キャラクターが最も的外れな発言をするという、極めて頓珍漢な事態に。
重ねてアイデアそのものは面白いと思うのですが、最も長々とプレイヤーを引っ張った挙げ句に辿り着くのが、主人公達が何も考えていなかったというのは、シナリオの組み方がおかしい、としか言いようがありません。
基本、繰り返しの世界が全く面白くない(エンカウント率操作ができるのでギリギリ許せるが、短いとはいえ同じダンジョンに何度も入るのが最悪)のを、サブシナリオという名のボスバトルで誤魔化すという構造なので、サブシナリオで時間かけているのが悪い、というのはゲームの構造的に言い訳にならず、ここに至って、物語がゲームの面白さを押し上げるのではなく、互いに打ち消し合ってしまっているという始末。
なお悪い事にサブシナリオが、前半はただ倒すべき敵だった公国軍の人々が、半ば事情を理解しているようにしか見えない上で立ちはだかる壁となり、やがては敵対しながらも精神的な繋がりを得るに至る、という構成になっている為、こなせばこなすだけ、主人公達が考えて行動しているように見えてしまい、時間をかければかける程、真終章の冒頭の主人公達の台詞に愕然とするという、トラップ仕様。メインシナリオとサブシナリオを別の人が書いた上で、全く両者を擦り合わせていなかったのかというレベルの、大惨事に。
(『フォー・ザ・シークウェル』においては終盤のサブシナリオが『フライング・フェアリー』より強化されており、それによってメインシナリオと後付けサブシナリオが空中分解を起こしている模様)。
隠しボスでも隠しダンジョンでもなく、通常のストーリー内で想定されるプレイヤーの労力に応えない、というシナリオには、非常に問題を感じます。
そんなわけで、何も考えていなかった事にされた主人公達の最後の一押しで、億を超える並行世界の連結が完成し、ラスボス・ウロボロスが降臨。物語はクライマックスへ……の前に、システムの解説を一つ。
今作、3DSの通信機能を用いて、本体同士がフレンドになっているプレイヤーが居た場合、「ともだち登録」を行う事が出来、「ともだち」が設定した配信技を、戦闘中に「フレンド召喚」という特殊なコマンドで用いる事ができます(すれちがい通信などでフレンド以外とプロフィールを交換した場合は、「ゲスト」扱いで登録される)。
「ともだち」が先行していれば当然、強力な技を召喚で発動できる他、繰り返し召喚する事で親密度が上昇して技が強化されたり、「ともだち」の修得しているアビリティをキャラクターに使わせられるなど、有利な効果を得る事が出来ます(「ゲスト」の場合、これら二つは出来ない)。
しかし世の中、3DSのネット通信環境が無い人や、フレンドの居ない人もいる……というわけで、そんなプレイヤーには救済処置として、ゲームの進行に合わせて、適宜強化された、架空の「ともだち」が送られてきます(なお、結局「フレンド召喚」を一度も使っていないので、どのぐらい有用かは不明)。
その名を、COMタロウ・COMジロウ・COMサブロウ・COMシロウ。
という点を踏まえていただいた上で、さて、最終決戦。
ウロボロスは全ての並行世界を喰らいながら得た力によって“神界”を目指そうとし、主人公達はそれを止めるべく戦いを挑む。だが、ウロボロスの力は強大無比。それでも奮戦する光の戦士達だが、ウロボロスは世界を喰らう事で回復と強化を繰り返し、止める事が出来ない。戦えば戦うほど、ウロボロスが餌として並行世界を消滅させてしまうという事に、心折れ力尽きそうになる4人……しかしその時、ペンダントから“天使”の声が響き渡り、ティズとアニエスが強く念じると、その声が並行世界の“彼等”に届く……!
COMタロウの世界
COMジロウの世界
COMサブロウの世界
COMシロウの世界
そう、それは、無数の並行世界で戦う無数の“彼等”――光の戦士達。ウロボロスと戦う4人の存在を知った並行世界の戦士達は、世界に迫るウロボロスの触手を、次々と撃破していく!
今作実は、ゲーム開始時点からメタ的な仕掛けが匂わされているのですが、このクライマックスバトルにおいて、そのメタ部分が浮上。
これまでゲーム的なシステムだと思われていた「フレンド召喚」とは、実は並行世界の「ともだち」の力を実際に借りていたのだった! ……と、本体機能を利用したシステムを、メタ要素込みで物語に融合させる、という仕掛け自体は良かったと思います。こういう工夫は割と好きです。
……が、正直スタッフ、何を考えていたのかな、と。
勿論、本来はプレイヤーの友人などの名前が入る想定なわけで、私に友達が少なもといDSの通信環境が無いのが悪いとは言えるのですが、それこそ、「すくえに」でも、過去作品のキャラクター名でも使っておけばCOMタロウの百倍はマシなわけです。
いっけんシステム上の救済と思わせておいて、実はストーリー上の欠かせない要素の仕込みであったにも関わらず、どうして「COM○○」などという、物語性をぶち壊す名前にしたのか?
ここで今作の作り手は、自らメタ要素を持ち込みながら、自らメタ要素を破壊してしまっています。
正直、どういう意図でそうなったのか図りかねる部分があるのですが、フレンド達の世界の力を結集して全ての世界を守る物語、をいっけん描きながら、でも所詮ゲームだからね、という手の平返しを同時に行っている。
あくまで一部プレイヤー(多数派か少数派かはわかりませんが)にしか起こりえない状況でありますが、極端に言えば、ここでスタッフがやった事は、その一部プレイヤーを虚仮にして、物語の世界から叩き出す行為です。
……まあ、“神界”(後々はっきりするが、現実世界、を差しているとおぼしい)の住人についてのウロボロスの言及に――「下等なる者たちに交わり、偽りの情を示し、他人の流血に心躍らせ、偶像の死に涙しておる……さぞや退屈は癒えたのであろう? ……見せかけのな」――というメタ嫌味っぽい台詞があったので、今作のスタッフが根本的にゲームユーザーに対して好意的ではない考え方を持って故意にやっている、という可能性もありますが。
さて、ここまで書いてきた点に関しては一部プレイヤーのみに起こりえる状況、とはまだ言えるのですが、このメタ要素を持ち込んできた事によりもう一つ、プレイヤーを限定しない、非常に大きな問題が発生しています。
それはこの反撃に至る前に、ウロボロスが5つほどの並行世界を消滅させている事。
今作がメタ構造になる前は、それは、救済不能なストーリー上の被害、でしかなかったのですが、メタ構造を取り入れてしまった今作においてそれは、まだ知らぬどこかの誰かの世界が喰われてしまったという事になります。
今作においてメタ構造を遵守するならば、どこかの誰かの世界が消滅してはいけないのです。それは、どこかのプレイヤーが見守る世界が消滅した、という事になるので。
つまりここで間違いなく明確に、今作の作り手はメタ構造を取り込みながら、同時に、でも所詮ゲームの中のテキストという扱いを、世界に対して行っている。
一応言い訳なのか、連結した並行世界は「億を超える」という言及がありますが、数が多ければいいというわけではありません。
これはもう、メタ構造への責任を取る気がないのです。
或いは自分達が持ち込んだメタ構造の意味を理解していないのか、単なる思いつきだけでやっていて、その仕掛けを成立させる為の作り込みが出来ていない。
最低限、メタ構造をやるにはメタ構造をやるなりの責任と覚悟が居ると思うのですが、それを全く感じません。
コンセプトである繰り返しの世界の使い方に始まり、基本的に発想先行で雑なストーリーはこういった形で、空中分解からの爆発四散を遂げているのですが、この後、更なる珍事が発生。
並行世界の戦士達の言葉を受けて立ち直った主人公達がウロボロスと戦闘を再開するも、戦闘中に高速移動していたらしく、いよいよ“神界”に迫るウロボロス。戦いが続く中、背景の雲の隙間に見える……どこかで見たような目。
…………て、私の顔だ。
3DSの正面カメラが起動して、戦闘シーンの背景にプレイヤーの顔が映る(大体普通に持っていると、雲の隙間から巨大な視線が覗いているような映像になる)という仕掛けなのですが、が、が、えー……いったいどこの誰が自分の顔を見ながらゲームしたいのか。
この点は個人の感覚の問題もありますので、気にならない人は気にならないとは思いますが、個人的には心の底から引きました。
お陰で、なるべくカメラに顔が映らないような角度で3DSを持ち、ラスボス戦を変な斜めの角度で行う、という、自分のゲーム歴の中でも、かつてなかった事態に(笑)
ゲーム中で断定はされませんが、ウロボロスの語る“神界”=現実世界、主人公に力を貸す神界の住人=プレイヤー、を指すと思わるので、演出的には、戦いを見守るプレイヤーという事なのでしょうが、上述してきた様にメタ構造は作り手自身によって無責任に破壊されているので、物語世界からは叩き出され、メタフィクションとしても崩壊した挙げ句に、何故か自分の顔をゲーム内で見せられるという、笑えない喜劇状態。
正直個人的には、気持ち悪い。
なおこの“神界”に関するメタ構造の仕込みはゲーム冒頭に行われているのですが、似たアイデアのゲームをやった事があったのでその時点でピンと来た為、物語としてのインパクトが全く無かった、というのは低評価に拍車をかけている部分はあるかもしれません。作っている側からすると、そのインパクトを演出で出そうとした結果が、カメラ映像取り込みだったのかもしれませんが、滑ったと思います。
もう一つ言うと、メタフィクション要素というのはどうしてもファーストインパクトに影響される度合いが大きいと思うのですが、私の中に一つ、メタ要素を取り入れたRPGとして金字塔と呼べる作品がスーパーファミコン時代にある為、基本的にそれと比較して評価が辛くなっている、という所はあります(上記とは別の作品)。
ただまあ、クライマックスにおけるメタ要素を取り出して並べると、どうにもプレイヤーを楽しませようというよりも、『フェッセンデンの宇宙』的なテーマを隠し込んでいる自分達(スタッフ)格好いい、という自己満足の気配を濃厚に感じてしまうのは、穿った見方かつ悪意に寄りすぎかもしれませんが、正直に思う所です。
何にせよ、慎重を期する要素を無責任に持ち込んでしまったな、と。
その他、繰り返し部分のテキストの空虚さや引っ張った挙げ句の封印武器庫の残念さなど細かい箇所も含め、繰り返しの世界〜クライマックスに至るまで、多くの仕掛けに、遊んだプレイヤーがどう感じるか、への配慮が足らないストーリーと作りだったと思います。
戦闘面は面白かっただけに、勿体ないゲームでした。
以上、ネタバレありの感想でした。
……あ、これだけ書いておいてなんですが、クリア後に見られる次作『セカンド』への前振りになるスペシャルARムービーは技術的に出来が良くてビックリしました。魔王バスター格好いい。