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『ウォッチメン』感想(R−15)

1986〜87年に出版されたアメリカンコミックを原作に、2009年に公開された映画。原作(未読)はアメコミジャンルを大幅に進歩させた記念碑的作品との事(アメコミには全く詳しくないので、受け売りです)。監督は後にDCコミックスの看板ヒーローであるスーパーマンのリブート映画『マン・オブ・スティール』の監督を務める事になるザック・スナイダー。R−15作品なので(主にグロ描写が理由と思われる)、今回の感想はR−15という事で(笑)


 1930年代アメリカ――覆面ギャングに対抗する為に、自らマスクと奇抜な衣装で正体を隠して戦う民間人ヒーローが、アメリカの各地に出没し始める。やがて彼等はその力を結集し、ヒーローチーム「ミニッツメン」を名乗るが、時の流れの中である者は殺され、ある者は引退し、ある者は逮捕されるなどして姿を消していく……。
 一方で1959年には、核実験に巻き込まれた1人の科学者が、あらゆる原子を操作できる能力を手に入れ、過去・現在・未来を同時に認識さえする本物の超人――通称、Dr.マンハッタンが誕生。アメリカはマンハッタンと、ミニッツメンの生き残りであるコメディアンを投入する事でベトナム戦争に勝利し、Dr.マンハッタンは強大な抑止力として世界にその名を知られる事になる。
 時は流れて1985年10月……ヒーローによる自警団活動が法的に禁止され、ほとんどのヒーローが引退した時代。米ソ2大国間の緊張は全面核戦争寸前の所まで高まり、時計の針が終末まで「あと4分」を差す冷戦下、ヒーローの生き残りであったコメディアンが、何者かによって殺害される。
 法律に従わず、地下に潜って非合法ヒーロー活動を行っていたロールシャッハは独自にこの事件を探り、何者かによってヒーロー狩りが行われているのではないかと、かつての仲間達に警告するのであった……。
元ヒーロー殺人事件を追う非合法ヒーロー、というサスペンスな入りからスタート。
ただし今作におけるヒーローは、特殊な身体能力や超能力を持った荒唐無稽なスーパーヒーローというわけではなく、人よりだいぶ鍛えている以外は、ごく普通の生身の常人。イメージとしてはシュワルツネガーやセガールやヴァン・ダムが、マスクで顔を隠し、奇抜な衣装を着て街の悪漢どもを自発的に成敗していると思って下さい。
……アクションシーン自体はかなり派手なので、「常人」の定義付けに少々悩む所ではありますが。特殊能力を持っていない、ぐらいに思っていただければ。
いわばアクション映画の主人公ばりの身体能力と、燃える正義感を備えた人々が、何の因果かコミック・ヒーローのような珍奇な衣装を身に纏って悪と戦い民衆の賞賛を浴び、結果としてコミックのようなヒーローが現実に存在するようになってしまったアメリカ、が物語の舞台。
かくして日々華々しく、ヒーロー達が活躍するのであった……かというとそうでもなく、ヒーロー達も容赦なく歴史や人生の荒波に呑み込まれていき、OPではオールディーズに乗せて彼等のもの悲しい退場劇が描かれていく、という非常にシニカルな世界観が、今作のベース。
初期のヒーロー達は、背中に大きな羽根をつけていたり、処刑人のようだったり、露出過多のセクシー路線だったり、と現実に居る事になっていながら故意にコミック性を強調したデザインで、アメコミヒーロー自身のカリカチュア的な存在。そんなコミックヒーローのセルフパロディと退場劇からはアンチヒロイズムが滲み出し、冷戦下の世相を反映した薄暗く悪徳に満ちた雰囲気の中で、物語は終始展開。
ではそれは、荒唐無稽なコミックヒーローを嘲笑う内容なのかといえばそうではなく、それらを敢えてヒーロー物の枠組みの中で行う事で一つの物語を描き出そうとしている、という複雑な構造。
2時間40分あまりの大ボリュームをフルに用いて、出来る限り原作に忠実な映像化を重視しているとの事で、正直、間口はあまり広くない作品。物語はさておきアクションですかっと楽しめるという作りでもなく、ここまでで何となく興味が湧くようでない場合、回れ右して問題ないと思います(^^;
その上で、とりあえずネタバレしない範囲で良かった所を書いておくと、まずは本作の部分的な語り手である、ロールシャッハ
ヒーローと変態は紙一重を地で行き、ヒーローは一歩間違えると犯罪者、で一歩間違えているバイオレンス覆面なのですが、吹き替えの山路和弘もどんぴしゃではまり、超格好いい。
覆面で顔を覆っており、その表面に絶えず変化するロールシャッハテストのような黒い模様が浮かんでいる、というデザインも非常に秀逸。CGで表現しているのでしょうが、映画の中ではこの模様が事あるごとにぐにゃぐにゃ動いているというのが、動画の特製も活かしつつ、とても雰囲気を出しています。
……たぶん今作がR−15になった原因の8割はロールシャッハなんですが!
今作、その基本構造の関係で、ヒーローの持つ「暴力性」の一面をいっそ偽悪的に描いている為、非常にバイオレンス描写が過激。割とスプラッター寄りなシーンや血しぶき描写なども結構あるので、苦手な方には厳しいかもしれません(^^; まあ私もあまり得意ではなくて、幾つかのシーンでちょっとううーんとなりましたが。
まあ中盤に重要なシーンがあるので、そこの為にも前後も徹底する必要があったのでしょうが。
もう一つ、非常に良かったのが、本物の超人である、Dr.マンハッタンの描き方。
はからずも人を超えた存在になってしまい、徐々に人間から離れていく超越者の孤独の見せ方が、とても素晴らしかったです。
今作、ただコミック・ヒーローを生臭く描いただけでは、筋のよろしくないパロディになった可能性もあったと思うのですが、このDr.マンハッタンの存在が作品としてバランスを取っています。そしてそのマンハッタンが、時に欲望に負け時に暴力に溺れる市井のヒーロー達との単純な対比としての完全無欠な正義のヒーローというわけではなく、文字通りの“人を超えたもの”であり、人間を、そして人間から理解できない存在になりつつある、というのが素晴らしい。
恋人を愛する心も友人を悼む心も残しつつ、けれど人間から離れていく超越者の孤独が、地球上にたった1人のスーパーヒーローとして置かれる事で、物語の厚みが増しています。
情報を小出しにして世界の姿を少しずつ見せていくという構造の為、頭の中で整理しないといけない要素が多く、前半は少々ノリにくかったのですが、中盤以降は物語もスッキリして、怒濤の展開。そしてクライマックスに至る構成が良く出来ています。
上述したようにやや間口の狭い作品ですが、逆に、ヒーローテーマに興味のある方は、一見の価値ありかと。ちょっと暗いのと、血の量が多いので、雰囲気やバイオレンス描写が苦手な方には無理にお薦め出来ませんが(^^;
以下、ネタバレ込みの感想。



ロールシャッハとマンハッタン以外で、個人的に印象深かったのが、中盤のダニエルとローリーのラブシーン。
マンハッタンと別れたヒロインのローリー(またその引き金となった事件が、マンハッタンの孤高を現していて喜劇にして悲劇的)が元ヒーロー仲間であるダニエルの元に転がり込み、ヒーロー狩りの件もあって徐々にいい雰囲気になって事に及ぼうとするも、ダニエル、役立たず。
深夜、全裸でかつて身に纏っていたフクロウマンもといナイトオウルのヒーロースーツを見つめるダニエルは、現状を打破する為にもとヒーロー復帰を決意。同じく2代目シルク・スペクターに復帰したローリーと共に愛機フクロウマシンに乗り込むと、火災に見舞われたビルから取り残された人々を助け、復帰戦に大成功。ヒーローとして輝きを取り戻したダニエルはEDからも回復を遂げ、フクロウマシンの中でローリーと愛し合うのであった。
男性機能の回復の辺りはギャグっぽい要素もあるのでしょうが、ヒーロー活動でひゃっはーした2人が、家に帰ってからならともかく、ヒーローマシンの中でそのまま極めて人間的な男女の行為に及ぶ、というのは、今作を象徴するように思われる所。またそこで、その人間的な行為を出来るようになったきっかけが、ヒーロー活動、という皮肉の多層構造。
今作、解きほぐそうとするとドンドン地層の積み重なりが見えてきて危険すぎるし、物語や現実の歴史など背景に関する様々な知見が必須と思われるのでこれ以上解体しないで逃げますが、とても面白いシーン。
この辺り、アメコミヒーローと日本ヒーローで違う所はあると思うので、タブー意識がどのぐらいあったのかはわかりませんが、作品としてもかなり象徴的に見せるように作られていると思われ、ナイトオウルとシルク・スペクターの復活という部分も含めて、中盤のクライマックスといった感じ。
そういえば今作、ヒロインがもう少し美人だったらなぁ……とは正直思う所なのですが、あまり美人だと、シルク・スペクターの恥ずかしいコスチュームを着てくれない事が問題だったのか。ちょっといかつめなのは、肉体派ヒーローのリアリティなのか。……まあ、ダニエルも冴えない中年になったクラーク・ケントみたいな風貌なので、わかりやすい美男美女を配さない意識的なキャスティングなのでしょうが。
冷戦下の緊張を背景に陰鬱なトーンで進んでいた今作ですが、ここからは如何にもヒーロー反撃、といった形で派手に展開。
米ソの全面核戦争を防ぐ為、ヒーロー狩りの真相を突き止める為、再起を決意したダニエルは、ローリーと共にロールシャッハを脱獄させる。ローリーの元には、かつての知己達が悪性のガンで死亡したのは自分の責任だと糾弾され、人類世界を離れ火星で砂遊びをしていたマンハッタンが現れて2人は火星で話し合い、コンビ再結成したダニエルとロールシャッハは、ヒーロー狩りの背後に蠢く謎の企業を追う。が、ダニエルとロールシャッハが辿り着いた真実は、コメディアンを殺害し、マンハッタンを罠にかけたのは、マンハッタンと協力して世界のエネルギー問題を解決しようとしていた筈の男、元ヒーローにして大企業家、世界一の頭脳を持つと言われる男・エイドリアンであった。
宇宙的視野に基づき、人類とか地球とか既にどうでも良くなっているマンハッタンだったが、ローリーとの会話を通して、自分と人間世界の唯一の接点となっていた、ローリーという存在が生まれた事を奇跡と認め、全面核戦争を防ぐ為に自分の力を振るう事を決意。なおここで会話シーンの舞台となる、マンハッタンが作り出した火星の城は、壮大にして異質な、マンハッタンらしさが映像で表現されていて素敵。
一方地球では、開発した新エネルギーによる世界各地への同時攻撃という、エイドリアンの計画の全貌を掴んだナイトオウルとロールシャッハが、エイドリアンの秘密基地が存在する南極へとフクロウマシンを急がせていた……これで、甦ったヒーローコンビと立ち直った超人が協力して黒幕を成敗して一件落着なら、色々と蛇行運転したけど正統派のヒーロー物として決着するわけですが……ここからのオチが、とにかく凶悪。
エイドリアンを止めようと戦いを挑むロールシャッハとフクロウマンだが、2人をあしらいつつコミックの悪役よろしく陰謀の全てを語ったエイドリアンは、実は35分前に既に計画を発動していた事を明かす。世界各国の主要都市が吹き飛び、その際に観測されたエネルギーから、それはDr.マンハッタンの手によるものだと誤った判断がなされてしまう。
マンハッタンに追い詰められたエイドリアンがTVをつけると、緊急ニュースではニクソン大統領が、ソ連と会談を持ち、この人類共通の脅威に対し、手を取り合う事を決定したという演説が流れ出す……そう、米ソ両国の全面核戦争の危機は回避され、世界に平和が訪れたのだ。
Dr.マンハッタン――本物のスーパーヒーローを共通の敵とする事で。
エイドリアン「どうだ。二つの大国が戦争から手を引いた。私は地球を救った。私達が。これは君たちの勝利でもある。……さあ、これで戻れる。使命を果たせる」
ロールシャッハ「俺達の使命は正義の実行だ。おまえのした事を、世間は知るべきだ」
エイドリアン「そうかな? 暴露すれば、今日勝ち得た平和を壊す事になる」
ダニエル「嘘に成り立つ平和だ」
エイドリアン「でも平和に、変わりはない」
マンハッタン「その通りだ。計画を暴露すれば世界はまた核戦争に向かう事になる」
ローリー「駄目よ。事実を隠すなんて」
マンハッタン「火星で……君は生命の価値を説いた。その価値観通りなら、沈黙を守る事だ」
事ここに至っては、エイドリアンの陰謀を暴露して再び世界に混乱を巻き起こす事は得策ではない、と全てを秘密にする決断を下すヒーロー達。
「……そんなの俺は御免だ」
だが1人、ロールシャッハだけはそれを拒絶する。
ロールシャッハ! 待て」
「決して妥協しない。アーマゲドンが来ようともな。そこが常に俺達の違う所だ」
ロールシャッハはヒーローである事、世界と妥協しない自らの正義を貫く事を選び、やむなくマンハッタンはロールシャッハを消滅させるのだった……。
通常のエンタメのフィクションなら否定される為に用意される、“大を救う為に小を犠牲にし、かりそめでも平和を作り出す”という理屈が通ってしまい、あまつさえ、それを隠蔽する決断を下すのは「ヒーロー」。そしてその仮想の悪役にされるのは真の「スーパーヒーロー」、という極めて凶悪な構図。
しかも人知を超えたスーパーヒーローは、世界の恒久的平和の実現の為に自らが人類の仮想敵となる事を肯定も否定もしないが「理解」して認め、その為に1人のヒーローを抹殺する。
ここに来て市井のヒーロー達と超越者であるマンハッタンの対比と共存が周到な伏線であった事が判明し、お見事。
また非常に優れているのは、今作の作風からして正統派ヒーロー物として一件落着するとは思っていませんでしたが、それでも、そうなってもおかしくないと思わせるような物語の構成をしている事。
陰鬱な世界の危機→輝きを失ったヒーロー達→ロマンス→ヒーローの復活→コンビ再結成→陰謀の解明→南極の秘密基地へ突撃!
と、作り手がまるでその勝利を信じているかのように(これが重要)、ヒーローの逆襲と世界が明るさを取り戻していく流れが組み立てられています。ここの流れが非常にきちっとしているのが、素晴らしい。
そしてその上で強烈なカウンターパンチが炸裂し、ここがコミックの世界ではないと判明する。
ここでメタ的に白けてしまわないのは、彼等が現実の歴史と地続きの存在であると描かれてきたからで、実にうまい構造です。コミックヒーローのように正義を行使して平和を守ってきた彼等が、コミックヒーローのように世界を守れないと突き付けられたその時、ダニエルとローリーは、現実に妥協した平和を守る決断をする。ある意味でそれは、「平和」を守ろうとし続けてきた「ヒーロー」であるが故に。
だがそれ故にロールシャッハは自らに殉じ……死ぬ。
妥協を許さぬ正義の魂は分解されて消え、Dr.マンハッタンは価値を認めた奇跡――新たな生命を作り出す事を求め、宇宙へと旅立つ。訪れた平和の中、ダニエルは慟哭と共にエイドリアンを殴り続け、エイドリアンは甘んじてそれを受け入れるのだった……。
「ダン。世界は平和になった。犠牲はつきものだ」
「いぃや! 人間を理想化したつもりだろうが違うおまえは歪めた! 骨抜きにした! おまえの功績だ。…………ホント粋なジョークだよ」
元ヒーローにして事件の黒幕、エイドリアン・ヴェイト(オジマンディアス)は、最終的な役回りは典型的な誇大妄想系悪役なのですが(計画に成功したのは異彩を放ちますが)、その造形が、今作ならではといった感じで面白い。
というのはエイドリアンは、金持ち・二枚目・天才・2人のヒーローを相手に一歩もひかない強さ、を兼ね備えており、恐らく今作の中でも、“最も「スーパーヒーロー」に近い人間”として描かれています。
だからこそ傲慢になる、というのも一つのお約束ではありますが、今作におけるエイドリアンというのは、「スーパーヒーロー」になれなかった男、なのかな、と。劇中ではコメディアンにヒーローの存在による平和を否定された影響が描かれていますが、エイドリアンにとっては、超越者の力を持ちながらそれ故に人間性を失っていくマンハッタン、というのが憧憬と共に憎悪の対象であり、それ故にマンハッタンを出し抜く形で実現する世界平和に歪んだ情熱を燃やしたのではないか、なんて事も思うのです。
最後のシーンでエイドリアンの視線が向いているのは、常にマンハッタンですし、エイドリアンの中では自身の行為がマンハッタンの領域に達したのではないか、と考えている様子が窺えます。
まあ、「最低限の犠牲」の中に自分を含めない時点で、やはり一線を越えてしまった悪ではあるのですが。とはいえ、今作は「万の敵を殺す」国家的英雄観もヒーローの一つの姿として皮肉を含めて全否定していない所があり(ベトナム戦争においてマンハッタンが敵兵を躊躇無く爆殺するシーンが印象的に描写されている)、エイドリアンにも歴史上の英雄像を映し出している所はあるように思えます。
それが正義であるのかどうかは、また別にして。
南極を去って行くダニエルとローリーを見送るエイドリアンの姿は、まさしく孤独の王ですし。
ところでエイドリアンのヒーロー衣装が、某ハンマー兄上の弟君をそこはかとなく彷彿とさせるのですが、アメコミ世界において、小ずるい系悪役のちょっとした記号みたいなものがあったりするのでしょうか(笑)
こうして人知れぬヒーロー達の活躍により、米ソが歴史的和解をして冷戦が終結した世界、出生の秘密を知ったローリーは先代シルク・スペクターである母と仲直りし、ヒーロー活動を続けながらダグラスと結ばれる。ロールシャッハを最後の犠牲に、多くの秘密を隠蔽する事で保たれた世界を、少しでもより平和にしようと2人がヒーロー活動を続ける、というのは良かった所。
基本、ロールシャッハとマンハッタンが両極のヒーローとして君臨している為、ダニエルとローリーはどうも何だかなぁな感じが強いのですが(笑) ローリーの、自分に気のあるダニエルを都合良く使っている感じとか、ダニエルの彼女見つけたからOK感とかは、もう少し抑えめに出来なかったのかと思いつつ、そこの生臭さが今作でもあるので、そういう立ち位置なのでしょうが。
ニューヨーク市街を吹き飛ばした爆心地では、エイドリアンの会社による復興開発が進められ、その外縁で爆発を免れた小さな出版社では、世界が平和すぎて記事のネタが無い、と編集長が愚痴っていた。編集長は部下をどやしつけると、怪しいタレコミを使ってでも何でもいいから記事を書けとせっつき、部下はタレコミ記事の詰まったカゴに視線を動かす。そこには、自分の死ぬ可能性を考慮したロールシャッハが南極突入前に投げ入れた、事件の詳細な記録が残された日誌が入っていた……。
果たして、“正義”は甦るのか――?
そしてそれは、“正義”なのか――?

「日誌 ロールシャッハ 記 1985年10月12日――今夜、ニューヨークでコメディアンが死んだ」

冒頭から随所で挿入されていた、ロールシャッハの日記モノローグが印象的に入った所で、エンドクレジット。
少数の犠牲の上に平和を成り立たせるという論理が押し通ってしまい、主人公といっていいロールシャッハが死亡するという結末を迎えた今作ですが、それはハッピーなのかバッドエンドなのか? 仮にバッドエンドだとしても受け手の中に頷かざるを得ないものを残した上で、最後の最後で、もう一度それをひっくり返すものが提示される。
それは開かれるのか、世界を変えるのか、そしてそれは正しいのか――?
映像の見せ方や音楽の入れ方なども含め、印象深いエンディング。
原作がしっかりしているというのがあるのでしょうが、全体の物語構成の優れた作品でした。
また吹き替えのキャスティングが良く、ラストのロールシャッハのモノローグが非常に重みを持って響いてくるのも、良かった所。ボリュームがありすぎて消化しきれていない感じが自分の中でありますが、見応えのある作品でした。