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テーマ別『特捜ロボ ジャンパーソン』の軌跡・1

『特捜ロボ ジャンパーソン』は、盛り込んだテーマを各脚本が丁寧に(時に偶発的に?)拾っていって、年間通した ドッジボールキャッチボールに複数成功している、というのが一つ長所なのですが、その流れをテーマごとに追いかけてみようという企画です。エピソードによっては複数のテーマを内包しているものも当然ありますので、その場合は複数回登場する事もあります。
多分に思いつきによる実験の趣が強いので、全くまとまらずにぐだぐだのまま終わる場合もあるかもしれません(^^;
○第1回:「モンスター」編
−−−−−
◆第6話「さまよう冷凍男アイスマン」◆ (監督:三ツ村鐵治 脚本:扇澤延男)


「一泡吹かせておやんなさい。貴方を怪物扱いするような世間に」
「俺が触っても凍らねえなんてよ。あのジャンパーソンこそ、怪物だよな」
「冗談でねえ。おれ怪物になんかなりたくねえ」
「誰よ! いったい誰よ! 工藤さんを怪物なんかに作り替えて!」
◆第24話「史上初倒せぬ敵」◆ (監督:三ツ村鐵治 脚本:扇澤延男)

「よほど俺は精巧に出来てるらしいなぁ……あのジャンパーソンにも人間としか見えねえんだもんなぁ。――そんな事ってあるのか?」
「モンスターなのよやっぱり。モンスターである以上、二度とこの世に蘇生させない為には、骨のひとかけら、血の一滴も残さず、完全に抹殺しなきゃ」
「完全抹殺……しかし、人工生命体とはいえ、人間だ。人間に対し、そんな残酷な真似が許されるのか」
「親から生まれた人間と、科学で生まれた人間、生まれてしまえば、それにどんな違いがあるっていうんですか……!」
「でも残念だけど、私たちの社会には、あなたの存在を受け入れるだけの器は出来ていない。 それでもあなたは生きていかなきゃいけない」
「人間ってなに……? 平気で人を傷つけたり、人の心を踏みにじったりできる人間より、生きる悲しさ知ってるあなたの方が、どれだけ人間らしいか。違う? 違いますか?」
6話と24話は明確に繋がっており、これは初期の作風に基づいて、SSNに改造された人間をもはや人間ではない(バイオモンスター)として抹殺した事に対して、同じSSNが生み出した人造生命体・人間モドキを“人間”として生かす事で、脚本の扇澤さんがバランスと責任を取ったのだと思われます。
両話にはまた、扇澤延男の通しテーマである“社会から疎外された人間の悲哀と諦観”という要素が盛り込まれており、「怪物」が社会に対する異物であるならば、怪物を生み出しているのは異物を排除しようとする社会ではないのか? 社会から排斥されたものは怪物として生きていくしかないのか? という問いが含まれており、存在としての怪物(モンスター)と、社会的異物としての怪物(アウトサイダー)が掛けられ、社会から忘れられた者――アイスマン(6話)と、社会から居場所を失った者――名無しの女(24話)によって象徴されています。
最終的に、名無しの女は自分を人間たらしめる社会(かおる曰く「まだモドキの存在を受け入れるだけの器は出来ていない私たちの社会」)に背を向けてモドキと2人で旅立つ事を選び、互いが互いを人間として認め合う事でお互いの居場所を作る事になるのですが、その旅路に希望があるのか否かは、神のみぞ知る、といったところでしょうか。
この、名無しの女が徹底して名無しの女なのが、社会性の消失を示していて、扇澤脚本の芸の細かいところ。
なお、18話で(完全破壊しろ。部品一個この世に存在させるな。その為に俺は生まれたんだろ)という《内なる正義の声》を乗り越えたジャンパーソンに対し、かおるが「骨のひとかけら、血の一滴も残さず、完全に抹殺しなきゃ」とそそのかすのは、語句の被せ方からして確信犯と思われ、扇澤延男の邪悪な所です(笑)
◆第29話「英雄(ヒーロー)死すべし!!」◆ (監督:三ツ村鐵治 脚本:中野睦)
◆第30話「爆裂!!最期の魂」◆ (監督:三ツ村鐵治 脚本:中野睦)

「正義のロボット? 何が正義のロボットだ。ロボットなんかどいつもこいつも、ただの機械の塊じゃないか!」
「違う! それは間違っている! 私たちロボットにも、命があるんだ!」
−−−
「科学じゃ割り切れないけど、人間と同じ命が宿っているのよ!」
「いい加減にしろ! もしそれが本当なら、こいつらはみんな、モンスターだぜ!」
「モンスター?」
「ロボットが死んだら、人間と同じようにお墓を作るの? そんなの変だよ」
−−−
「ジャンパーソン、死んでもかまわんというのか!」
「その通りだ。私は信じる。私たちが居なくなったら、人間はきっと立ち上がるだろう。そして、ネオギルドだけじゃない。他の悪の組織も倒し、間違った科学を、正しい方向へただすに違いない!」
対ロボット最終兵器<ジーザス・エンド>の発動を前に、ロボットに人間と同じ命があるならば、それはもはやモンスターだ、と口にするテロリスト兄弟。
これはプログラムを超えた自我をつかみ取り、己の信じる正義を行うジャンパーソンへの批判を含むのですが、ここで「モンスター」という単語が用いられた事により、6話・24話との繋がりが生じ、ジャンパーソンこそが“科学の生んだ怪物”ではないのか、というフランケンシュタイン・コンプレックスと融合したモンスター否定の要素が浮上します。
そしてここからが今作の凄い所なのですが、皆様ご存じの通り、ジャンパーソンは人間もロボットも人外の存在も等しく守ろうとする博愛主義者ではなく、「私たちロボットにも、命がある」と言いながらロボットは躊躇なく抹殺できるロボット差別主義者であります。
凡百の作品ならばここで下手に綺麗にまとめようとして、“モンスターを抹殺するモンスター”(古典的な改造人間テーゼでもある)であるジャンパーソンの行為を正当化しようとして矛盾と破綻をきたす所なのですが、今作ではジャンパーソンのこれまでの破壊活動を正面から認め、そこで矛盾しない合理的な解答として、善も悪もなく命あるロボットをモンスターとして抹殺するジェノサイドを、ジャンパーソンが肯定。実は根幹の所でジャンパーソンこそが、自らを抹殺されるべきモンスターとして捉え、あらゆるロボットをその同類と見ている、という暗黒面と破滅願望が噴出。
ここに、社会の異物としてのモンスターを全て排除した時、そこに“正しい”社会が生まれるのではないか、というジャンパーソンの思想、これまでの正義執行の背景にあった狂気の深淵が覗けてしまうのでありました。
また、ヒーローとモンスターが同根である、という改造人間テーゼに乗っ取った時、今作はヒーロー自身が“最後に死すべきモンスターはヒーローである”という意識を明確に語っているという部分で、強烈なインパクトを有しています。
◆第31話「新型JPニュータイプジャンパーソン)誕生?!」◆ (監督:小西通雄 脚本:宮下隼一)

「遊びは終わりだジャンパーソン、あのネオギルドが造り出すロボットを超え、あのスーパーサイエンスネットワークが造り出すバイオモンスターを超え、そして……貴様を超える最強の存在に生まれ変わるために、俺は俺自身を改造する。――究極の悪。絶対の悪。魔王の誕生だ」
「人間としての心も、科学者としての心も、きっとその時捨ててしまったに違いないわ。……全て」
殺戮ロボMX−A1開発の責任を負わされ、今また魔王ビルゴルディを作り出したパーフェクトマッドサイエンティスト時実小五郎が登場。
真っ当な作品なら悪の科学者・時実と、正義の科学者・かおる――その代行者としてのビルゴルディとジャンパーソンの対決という構図になる所ですが、MX−A1を回収してジャンパーソンに生まれ変わらせたかおるが明らかに狂っているので、時実のキチガイぶりが描かれるほど同類にしか見えず、両者の対決からは「本当の怪物はジャンパーソンでもビルゴルディでもなく、それを作った人間」というゴジラでもビオランテでもない。本当の怪獣は、それを造った人間です」(白神博士/『ゴジラvsビオランテ』)というメッセージが透けて見えます(笑)
また、24話で帯刀がビルゴルディへの改造を決意する時に「こうなったら俺がこの手でヤツを、ジャンパーソンを倒す。例え俺が俺でなくなってもな……!」という台詞があり、人格(心)を捨てる事でモンスターとなる、という側面が強調され、これが終盤に繋がっていきます。
◆第43話「最強最後の超神」◆ (監督:小西通雄 脚本:増田貴彦/扇澤延男)
◆第44話「燃える女王様!!」◆ (監督:小西通雄 脚本:扇澤延男/増田貴彦)

「私は緑の地球を甦らせる……地球を人間から奪い返す! 今の私は地球の守護神、その名は……ちょーーーじゅーーーしぃん!」
「俺はあいつを……綾小路麗子を知りすぎてしまった。綾小路麗子は守ろうとしているんだ。緑の地球、地球の命を。自分の体を怪物にしてまで。その悲壮なまでの決意が、一瞬俺に引き金を引くのを躊躇わせた」
「いいかジャンパーソン、やつは化けもんだ。片っ端から人間を溶かしまくる、化けもんだ! それ以外の何者でもねぇ。何が……何が地球の守護神だ!」
「……――眠れ、超獣神! ジックキャノン!!」
「綾小路麗子……俺はおまえに誓う! この地球を必ず、必ずこの花が根付けるような星にしてみせると!」
人間を捨てて怪物となった綾小路麗子に、むしろ極めて純粋な人間愛を見てしまう、という実にねじれたSSN最終章。
脚本が連名なのでどういった執筆体制だったのかはわかりませんが、綾小路麗子が実はスペースノイドだった、という設定には、扇澤延男の持つアウトサイダーへの視点が強く感じられます。そして麗子の人間愛は、人間社会で醸成される筈だった隣人愛ではなく、宇宙空間を通して見た地球への愛、という形で形成され、故に麗子は人間社会から隔絶したモンスターとなりながら、地球に対する純粋なアガペーを持つに至る。
その為、ジャンパーソンは麗子を人間としてしか見る事が出来ず、人間として倒す。だからこそ、麗子の志を継ぐ事を誓う。
エピソード自体は、最終章にいきなりの飛び道具を詰め込みつつ、その飛び道具を今作に内在していたテーマ性と繋げる事で成立させており、この手腕が鮮やか。
またここで、特に24話と、ビルゴルディに関する帯刀の発言を受ける形で、「モンスターとは何か?」という問いに、「心を失ったものである」という一定の解答を、劇中で特に明言はしていませんが、出しています。
バイオモンスターが、ロボットが、人間モドキが、モンスターなのではない。他者を思いやる心を失った時、人間も、社会も、モンスターとなりうる――そしてそれが、ジャンパーソンへの救いとして機能するのが、最終話。
◆最終話「JP(ジャンパーソン)よ永遠に」◆ (監督:三ツ村鐵治 脚本:宮下隼一)

「ジャンパーソン、俺を見ろ。人間とロボットの共存。おまえの目指す理想こそ、この俺だ」
「違う! 違う!! 俺の、俺の理想はそんなものじゃない! 人間にも、様々な人間がいる。生まれも育ちも、性格もみんな違う! ロボットもそうだ! だからこそ、 互いを認め合い、尊重しあう。合体しなくても、手を繋ぎ合えるんだ、共存できるんだ! それこそが俺の理想だ。 実現できるなら……実現できるなら、俺は死んでも構わん」
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「……そうよ! 回路なんてそんな機械的なもの、関係ないのよ! 人間とロボットの境界を、ジャンパーソン、貴方は越えたのよ! 今こそ! 今こそ!」
今回発見だったのですが、「モンスター」というテーマを中心に考えてくると、ジャンパーソンが帯刀に向けた言葉の中には、ジャンパーソンが自己肯定に向けて一歩前進した要素が見て取れます。
これまで人間愛至上主義者だったジャンパーソンが、モドキや超獣神との邂逅を経て、人外の存在を認め、真の共存社会を夢としている。それはとりもなおさず、モンスターである自分自身の存在の肯定でもある。
しかしジャンパーソンはビルゴルディに勝つ為に自らその人格を抹消して再びジャスティスモンスターとなり、だがその戦いの果てに再度、自分を掴み直す――ジャンパーソンは二度死に、そして肯定による復活により、モンスターである自分を乗り越えたのかもしれません。
かおるのジャンパーソンへの言葉は、多分にかおるの願望と執着に基づいているので劇中台詞としてもそのまま受け止め辛いのですが、そういう前向きな解釈もありか。
最終回なので、“その後”のジャンパーソンの活動はわかりませんが、もしかしたら最終回以後のジャンパーソンは、ロボットを抹殺しなくなっているかもしれない……そんな風にも思えます。
アイスマンやモドキが自己を肯定できないモンスターだったのに対し、第15話以降のジャンパーソンには、何とか自己を肯定しようとあがくモンスターという面があるのですが(でもジェノサイドに流されてしまう)、色々と蛇行しつつ、社会の変革(への理想)を含めたアウトサイダーからの脱皮、という要素が一つの流れとして成立し、下手な作品のメインテーマよりよほどまとまってしまっているのが、冒頭で書いたように、今作の面白い長所。そう考えると、ややメタ的な事情を感じるラストシーン(子供達とパーティーをするジャンパーソン達)にも、自己を肯定しようとするジャンパーソンの姿が見えてくるような気はします。
ジャンパーソン・フォー・ジャスティス!(よし、便利なので毎回これで落とそう)
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以上、軽いジャブから入るつもりだったのですが、思ったより長くなった第1回でした。