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久しぶりの『革新』ざくっとメモ・2

時に1573年か74年ぐらい、上杉・北条・武田・今川を次々と下し、越後・甲斐・駿河までを支配下に収めた佐竹家は、いよいよ東海から畿内を目指すが、その前に立ちはだかるのは徳川家5万とその背後に控える岐阜城織田家19万!
動員兵力だけなら佐竹の方が上なのですが、なにぶん、鉄砲=バールのような物、という認識のマッスル騎馬軍団に対し、鉄砲=飛び道具だと認識し、最新式の装備を揃える(技術開発が進んでいる)織田家と正面からぶつかり合うのは、かなりの出血を覚悟しなくてはなりません。ついでに、城の軍備を覗いてみたら、軍馬と鉄砲が15万ずつぐらい貯め込んでありました!
殺る気だ! 騎馬鉄砲部隊で佐竹家を殲滅する気満々だ!
……というわけでとりあえず、迂回作戦を検討し、例の如く例のように一国引きこもりで兵力を溜めまくっている神保家と、既に石山を失っている本願寺を攻略し、北陸方面からの侵攻ルートを確保。ここからぐるりと回り込んで近江方面から畿内に侵入して岐阜城封鎖を行うか、それとも覚悟を決めて正面衝突するか悩んでいた所で、姉小路から同盟の申し出が来たので、織田家へのクッションとしてこれを承諾。
“瞬殺”で名高い姉小路ですが、道の繋がりが微妙なのと土地の旨みが薄い事から、今作では割と中盤まで生き残っていたりしがち。……勢力拡大しているのは見た事無いですけど。
さて、ここから南北ルートで織田をつついて岐阜城の兵力を分散させて叩くか、それとも正面決戦を挑むか……恐らくここが今回の山場という事でしばし悩んだ末、面倒くさくなって真っ正面からの進軍を決意(おぃ) 色々と不確定要素を考えるよりも、一発勝負の方が早いし楽しかろうと(笑)
かくして上洛を目指す佐竹家は東海道を西へと進軍し、その前に織田の鉄砲部隊が立ちふさがる――時はくしくも1575年が近づき……って、何この壮絶な負けフラグ?!
どう考えても我々、悪の侵略者の構図だしなぁ……。
これは何とか1574年の内に片付けたい(笑)とまずは浜松港に進軍して同時進行で北信濃の深志城を攻略。ここから岡崎城に進んで援軍に来た織田軍を南北から挟み撃ちにする……というのが当初の構想だったのですが、岡崎城1つになった徳川家に試しに降伏勧告してみた所、冷静に計算したのか徳川家がすんなり軍門に降ってしまい、信長大激怒な展開に(笑)
これで予定が変更になった佐竹軍は、岡崎城を足がかりに、総勢約20万の軍勢で清洲城へと進撃。これに対して岐阜城からは織田軍約18万が繰り出され、清洲攻めをしつつ、がっつんがっつん弾丸を撃ち込んでくる騎馬鉄砲隊を正面で持ちこたえている間に、北信濃方面から進んだ別働隊の精鋭騎馬隊約10万で岐阜城をスルーして背後から強襲。さすがにコンピューターはこういった両面攻撃には対応してこないので、退路を塞いで綺麗な包囲殲滅戦が完成、織田軍18万は小牧山の地に溶けて消えたのでありました。
両軍合わせて約50万で戦っていると流れが速すぎて、お互い何人か討ち死にしたっぽいのですが、もはや誰が死んだのかさえ(^^;
この戦いで織田家は総兵力の3分の1あまりと清洲城岐阜城を失い、天下の趨勢は完全に佐竹家に。続いて伊勢志摩を攻略する佐竹家であったが、突然、同盟を破棄してくる姉小路
コンピューター側から頼んできた同盟を、コンピューター側から破棄されるとは思いませんでした(^^;
しかも用心の為に姉小路と隣接する城に合計15万の兵を残してあったのですが、姉小路は、飛騨山中で古代の封印兵器でも見つけたのか?!