◆Volum50「大激突生か死か」◆ (監督:蓑輪雅夫 脚本:宮下隼一/鈴木康之)
スペースマフィアの誘導により、ステルス状態で地球に迫り来る巨大彗星。クイーンの最終作戦とは、彗星を地球に衝突させる事で人類を死滅させるという恐るべきものだった。
一方、病院へ向かう指揮車の中では、「私はもう、99%人間です」とシグが広瀬の体を抜け出す事を諦め、地球人・広瀬剛としてザジに臓器を移植する事を決断していた。
「決心したのねシグ」
「このまま人間に……地球人になるのねシグ」
…………あ、あれ、なんか、どうせ広瀬さん脳死だからシグがパパになってもいいんじゃね、みたいな話になっている(笑)
いや私ずっと、シグが地球人と融合する=広瀬人格に吸収されて消滅する(つまり脳死状態の地球人になる)、という形で理解しており、周囲もシグもそこの部分で葛藤しているのだと思っていたのですが、全員、広瀬父の事など毛ほども気にしていなかったようで、若くて可愛い女性以外のインヴェード被害者など、どうでも良いのです。……少しでも、『ブルースワット』を好意的に解釈しようとした私が間違っていました!
シグが迫られているのは「自分という人格が消滅してもザジを救うかどうか」だと思っていたのですが、「故郷へ帰れるかどうか」だったのか。……いや、それもそれで大きな選択ではあるのですが、シグの望郷の念とか一切全く分子レベルでも描かれていないので、物語としての葛藤が一切全く素粒子レベルでも成立していません。
宇宙パワーを失って別の生命形態になるというアイデンティティ喪失の問題などもこれといって描かれていない為に、葛藤と選択による盛り上がりが皆無なまま、決断だけが一人歩き。
病院に到着すると、シグやザジについて既に根回し済みであった事が判明。視聴者びっくりの展開を説明する為に、何故かシグにも秘密で話が進んでいた事になるという、安定の脳死展開。
「大丈夫。イナギ先生はフワ主任の親友だった人よ」
そしてまさかの、主任が拾われたっっっっっ(笑)
第1話で伝説を残したフワ主任の存在が約50話ぶりに持ち出され、ザジの手術受け入れに理由付け。
その理由の為に作品コンセプトを崩している(事件を通して知り合った以外の人を信用するのは今作の「ロンリーバトルの原則」に反する)のでまた困ってしまうのですが、一応ここに理屈を付ける必要がある、と今作が考えていたというのがビックリです。
手術直前、シグはスペーススワットの隊員の証である戦士のナイフ(何故かクリスナイフ)をショウとサラにそれぞれ渡す。
「手術が終われば、私はスペーススワットの元隊員から、人間に生まれ変わっています。ですからその前に」
宇宙人シグとしての最後の時間に信頼の象徴を仲間に託す、というシチュエーションは悪くないのですが、シグの“昔の仲間から今の仲間へ”という切り替えは既に第11話でやっているので、シグの心情としては随分とピンぼけになってしまいました。
背後に流れる軍楽風BGMの、どこで使ってもどうにもならない感が更にそれに拍車をかけます(^^;
いよいよ移植手術が開始されるが、ブルースワットの始末にこだわるクイーンの命令により、彗星の接近による異常気象を縫って、エイリアン軍団が病院を襲撃。
「地獄へ落ちろブルースワット! 地球と一緒に!」
の台詞に合わせてやる事が、病院のブレーカーを落とすという、逆の意味で神がかった演出(笑)
ショウ達の奮闘と予備電源により手術は成功するが、体を気体化したエイリアンが手術室に直接侵入。だがザジの叫びに反応したシグが目を覚まして息子を守り、駆け込んできたショウ達と共に突き立てた3つの戦士のナイフがエイリアンの体を貫き撃破する。
ここに来て、戦士のナイフが3人の絆の象徴としてやたらにアピールされるのですが、上述したように既に第11話で描いた筈のテーマを、何故か片付いていない事にしてしまった為、この数十話におけるブルースワットの仲間関係って何だったのかという事態に陥り、目先のアイデアに飛びついてそれまでの物語を次々と茶番に変えていく『ブルースワット』の真骨頂が炸裂。
「これで全て消えました。かつて在った、宇宙人としての私の特殊能力が。人間に。この子の父親になる事で」
「ようこそ、人間の世界へ」
第50話に至っても、地球人以外は人間じゃない、と言っているようにしか聞こえないのですが、この期に及んで志より器の問題を強調してしまう、かなり致命的な台詞。シグとの関係性においては、そこを乗り越える事に意味があったと思うのですが、何もかも雲散霧消。
「エイリアン」問題はずっと引きずっている今作ですが、「人間」=「地球人」という用法の意図はわかるにしても、そこにはどうしても、人外/人間、という意識がつきまとって見えてしまいます。
こういった単語の選択に関しては、脚本→台本→現場(アフレコ)、という過程において必ずしも思惑通りに行かないというのはままありますが(わかりやすい例では、一人称がブレたり)、それにしてもつくづく、言葉に対するデリカシーが足りません。
手術の妨害に失敗し、わざわざ病院まで徒歩でやってくるクイーン一味だが、お父さんが出現したので退散。だが、クイーンが置き土産にばらまいていた地雷を、シグが踏んでしまう!
凄いぞー、第50話にして、ラスボスが嫌がらせで置いていった地雷を踏んでヒーロー大ピンチ、という渾身のリアリズム。
自分たちで設置した物語上の地雷を次々と踏みに行っていた今作において、遂に劇中でヒーローが地雷を踏んでしまう、という奇跡のシンクロに戦慄します。
宇宙人の頃だったらスペース超感覚でこんなの回避できたけど地球人になった私には無理だったがザジを救えたので悔いなし! とシグが爆死の覚悟を決めるのですが、その台詞は、先に言うから格好良くなる(「今の体ではこの熱量に耐えられないが、それでも構わない!」的な)のであって、凡ミスの後に言ってもちっとも格好良くなりません(^^;
「我らの、スペースマフィアの、完全勝利だ!」
結局ブルースワットがどうでも良くなったのか、迫り来る彗星のステルスを解き、地球滅亡まであと24時間、とアジトで喝采をあげるクイーン一味。エイリアン軍団がクイーンを讃える姿が完全にキングジスプと被ったのは悪の空虚さを表現したかったのでしょうが、結局クイーンとジスプは同レベルでしたという扱いにしてしまったのは、嘘でも盛り上げるべき最終決戦前に失敗だったような。
病院前では初使用の挿入歌をバックに地雷処理がひたすら続き、手を握り合った3人がジャンプした所で、つづく。