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『宇宙戦隊キュウレンジャー』感想・第20話

◆Space.20「スティンガーVSスコルピオ」◆ (監督:杉原輝昭 脚本:毛利亘宏)
 地球でサソリ兄弟が激突している頃、リベリオン基地では小太郎が暗闇の中に佇むチャンプに声をかけていた。
 「俺、行ってくるよ。絶対にスティンガーを助けてみせる。チャンプも一緒に行こう」
 牡牛キュータマを手にチャンプに決意を告げて地球へ向かう小太郎は格好いいのですが、地球の小学生を短期間でここまで革命闘士として仕立て上げるリベリオンの洗脳プログラム、そしてそれを躊躇なく実行しておまけの負荷までかけるショウ司令、ホント、ど外道。
 まあ司令の場合は、意図して目的の為には手段の選択肢が広いのが良い所ですが。
 スティンガーVSスコルピオは長物と蹴り技の応酬が格好良く、自らの体に劇毒を打ち込んで身体能力をブーストする秘技・アンタレスを発動するスティンガーだったが、サソリ仮面様のライダー膝蹴りで敢えなく気絶。
 駆けつけたキュウレンジャーが銀の活躍でなんとかトモキュータマだけは奪い返すものの、スティンガーはさらわれ、ナーガは負傷離脱してしまい、オリオン号に一時撤退したキュウレンジャーは、スティンガーが山羊キュータマを利用して残していったビデオメッセージを目にする。
 「俺はキュウレンジャーを抜ける」
 兄の行動に弟としてけじめをつける為、身勝手を承知で行動する、というのは良いのですが……
 「秘術・アンタレス。この術を使った者は、絶対に助からない」
 自分は死ぬアピールをする必要はどこにあるのか(笑)
 これだから、ビデオレターを残していく奴は駄目なんだ……!
 明らかに、メッセージ残している内に自分への酔いが回ってきているのですが、身内に2週に渡って動けなくレベルの麻痺毒打ち込んだのも、そこまでする俺格好いい……! という悲壮さを自己演出していまいか。
 「許さない……勝手に死のうとするなんて、絶対に許さない!!」
 オリオン号に辿り着いた小太郎は飛び出していき、キュウレンジャーはスティンガーを救う決意を確認。
 「俺は絶対に諦めない。俺たちが諦めたら、あいつは死んじまうんだぞ。俺たちの仲間が!」
 そう、同志諸君の命は革命の為にこそ消費されるべきであり、無駄死には許されない! 命は個人のものではない。偉大なる革命に捧げられるべきものなのである!!
 そんな中、とうとう地球にモアイ基地の大群が飛来。サソリ仮面様は全地球に向けて、キュウレンジャーを差し出せば命を助けてやると宣告する。
 「地球を救って、スティンガーを救う! その為には奴を倒すしかない!」
 決戦へ向けて拳を振り上げるも、活躍して負傷のナーガはともかく、前回から片隅で布団にくるまりっぱなしのラプターとガル、オリオン号の操縦を任されるバランス、と相変わらず、人数を持て余し気味。
 露骨な居残り組が出てしまう、という時点で物語の劇的さがいやでも減じてしまうわけで、もう少し何とかしてほしい所です。……もう、20話ですが。
 地球ではサソリ兄弟の回想が入り、スティンガーを虐めた相手にスコルピオが一方的に報復する姿が描かれ、背景を補強。自分の弱さが兄の強さを歪めてしまったと悔やむスティンガーに対して、最初から自分の強さしか求めていなかったとスコルピオが言い放ち、改めて兄弟のすれ違いが明確になるのですが、結局、このサソリ兄弟のあれこれやにノりきれませんでした。
 言ってみれば3クールぐらいかけてじわじわ積み重ねるような関係性を半クールほどに圧縮しているのですが、圧縮した事で劇的になったのかといえば、駆け足だけが目立ってしまった気がします。
 更に悪いのは、スタッフの脳内設定的思い入れ分も含めて、スティンガーのスコルピオへ向けた感情の値が〔10〕だとすると、スコルピオのキャラクター的な器はせいぜい〔2〕ぐらいしかない事。
 この為、作り手のスティンガーへの思い入れが強くなるほど、その向けられた感情がスコルピオの器から溢れて周囲に漏れてしまい、スコルピオの薄っぺらさが浮き彫りになってしまうという悪循環。
 例えばスティンガーが向ける10の感情に対して、スコルピオの10はまるまる全て“強さへの執着”に向かっているとか、そういった描写がしっかりとしていれば話は変わるのですが、ここまでの描写においてはスコルピオがスティンガーというキャラクターのエネルギーをまるで受け止めきれていません。
 悪役サイドの魅力の薄さは今作の欠点の一つですが、満を持して狙い澄ましたスコルピオでこの体たらくでは、この先も非常に不安(^^; そういえば毛利さんが近作でサブライターとして年間通して関わった『手裏剣戦隊ニンニンジャー』も、悪役の魅力不足を感じた作品でしたが、毛利さんは悪役が苦手なのか、もっと言うとあまり悪役に興味が無いのでは、とさえ思えてしまいます。
 街ではキュウレンジャーに対するシュプレヒコールが発生しており、それを止めようとした小太郎さえも、非難にさらされる。
 「小太郎、そのへんにしておけ。行こう」
 吠えるばかりで牙を持たない犬など眼中に無いとばかり、正面を突っ切って群衆を左右に割っていくラッキーと仲間達だが、地球壊滅の恐怖に怯える群衆はキュウレンジャーへの憎悪を投石という形でぶつける。
 スパーダはさりげなくハミィをかばい、実は序盤からハミィを気遣うアクションは幾つか見せていたのですが、そうであるからこそ前回、女性キャラと絡めるならスパーダの個性に繋げてほしかった所です。…………それともシェフは、年下専なのか。
 無言で歩を進めていた5人だが、小太郎に飛んできた石を受け止めたラッキーが、遂に周囲を一喝。
 「地球は俺たちが救ってやる!! だからおまえらは、黙って隠れてろ!!」
 とうとう一般市民に向け、飼い慣らされた豚どもは大人しく尻尾を振っていれば新しいご主人様として後で餌をくれてやると言い放つラッキー(笑) まあ、回想シーンから高貴な出の可能性が高まってきたので、もともと、そういう教育を受けて育っていたのかもしれません。
 「俺、地球人として、恥ずかしいよ……」
 「泣くな。みんな怖いんだ。でも、俺たちは違う。戦う為の力がある。この力を使って、地球を救おう!」
 この台詞が大問題なのですが、後述。
 群衆を後にした赤・黄・緑・紫・空は、いよいよサソリ仮面様と激突。雑兵を蹴散らし、黄緑紫は巨代官を担当するが、サソリ仮面様からアマゾン細胞を打ち込まれ、より凶暴化したアマゾンスティンガーが出現、生身のまま圧倒的な力を見せ、オレサマオマエマルカジリされそうになる小熊スカイブルー。
 「自分より弱い者が、死んでいくさまを味わえ」
 獅子レッドはサソリ仮面様に足止めを受けてしまうが、変身解除に追い込まれた小太郎は、すんでの所で尾の一撃を回避。
 「……俺は弱くなんかない。守るものだってある。助けてくれる仲間だって居る。地球人だって戦える! おまえなんかよりよっぽど強い!」
 革命闘士として脱皮を遂げた小太郎は、用意していた解毒剤を手にスティンガーに立ち向かっていき、簡単に《説得》成功させずに、子供戦士にきちっとアクション的な見せ場を与えたのは良かったです。
 「スティンガーは、俺が誇れる兄貴だ! 兄貴はおまえなんかに絶対負けない!」
 スティンガーの至近距離に迫るも解毒剤をよけられてしまう小太郎だが、スティンガーの攻撃で裂けたジャケットの内側から牡牛キュータマが飛び出し、それを目にしたスティンガーの動きが止まる。ほんの数日の二人旅で回想CG枠が全て埋まっている感じで、心が隙間風すぎます。
 その隙を突いて小太郎は解毒剤を打ち込む事に成功し、以前にゾンビ毒の特効薬として作った解毒剤でアマゾン細胞が回復してしまうという大雑把さは、サソリ座星人の毒ネタを、かれこれ第3話から使っているだけに残念。
 「……強くなったな、小太郎」
 「……兄貴!」
 アンタレスの毒はまだ残っている様子なものの、正気に戻ったスティンガーは牡牛キュータマを拾い、革命ジャケットを手に歩み寄るラッキー。
 「なに一人で抱えてんだよ。俺たちの事がそんな信じられねぇか」
 
 それは常に仲間を信じてオープンな対応をするキャラクターが言うから成り立つ台詞であって、自分の過去について積極的に話す気無さそうなラッキーが言うとタチの悪いギャグにしか聞こえないのですが。……いやまあ、意外と聞けばあっさり説明するのかもしれませんが、現状ラッキー、他人の過去だけ一方的に聞いて自分の過去は話さない(聞かれない)キャラクターなわけで。
 「おまえ達に迷惑をかけたくないんだ。もう……チャンプみたいな事には」
 「チャンプが聞いたら怒るぜ。一人で戦わせる為に、おまえを守ったんじゃないってな」
 そして、他人の心があまりわからないラッキーが、力強く他人の意志を代弁するという目眩のする展開。
 第2話で大惨事を引き起こしたラッキーの空疎な仲間語りは、ラッキーの人格と不可分の大きな問題点と思われるので、なし崩しで無かった事にするのは無理があると思うのですが、このまま強行突破するつもりなのでしょうか(^^;
 「一緒に戦おう。俺たちは、あいつより強い!」
 再びジャケットに袖を通し、スティンガーはキュウレンジャーに復帰。
 「兄貴……決着をつけよう」
 「フッ。何人でかかろうが、おまえが弱い事には変わりない」
 「だけど仲間が出来た。だから、俺は兄貴より強い!」
 変身した3人が、未だ余裕綽々のサソリ仮面様に突っ込んでいく所で、続く。
 …………多分、“真の強さ”とは何か、という話なのかと思われるのですが、劇中で語られる“強さ”“弱さ”の対比が上手くいっておらず、色々と混線。
 まず大前提として、今作における最大の“強さ”とは、「よっしゃラッキー!」であり、どんな困難な境遇でもそれを前向きに捉えて乗り越えていく心の持ちよう、であります。
 一方、スコルピオがこだわる強さとは、個人的な武勇(状況においては軍事力)になります。
 そして今回、そのスコルピオより強い理由として次々と口にされるのが「仲間が居るから」なのですが、スコルピオは部下は使い捨てにしてきたものの、強烈な仲間テーゼの否定を行ってきたわけでもないので、お互い、明後日の方向を向いて殴り合っている感じに。
 個人の強さを支え合う絆の強さで打ち破る、というのは定番のテーゼですが、それは一度、同じステージの上に乗せる、というプロセスがあってこそ成立するわけで、その作業をしないまま衝突させてしまっている為にどうにもちぐはぐ。
 また、途中で“大衆の弱さ”という要素が挟み込まれるのですが、これが物語のピースとしてひどく宙ぶらりん。
 例えばスコルピオが投石する大衆を嘲笑って、かつてのサソリ村の人達もだから踏みにじったのだと嘯くなどあれば、スコルピオが弱さとして蔑む対象として物語の中に収まったのですが、そういった対比関係が存在しないので、シーン的にやりたかったからやった、という感じに。同時にそこで対比を成立させない為に、スコルピオがますます腕力にしか興味の無い喧嘩馬鹿になってしまっています――ので、仲間否定、にも繋がらない事に――。
 物語とは、そういった要素を如何に有機的に連結していくかなのですが、そこら中で断線してしまっています。
 トドメは、この“大衆の弱さ”に対してラッキーが、
 「泣くな。みんな怖いんだ。でも、俺たちは違う。戦う為の力がある」
 と言ってしまう事。
 …………ん??
 肝心なのは、戦う力の有無なの?
 ここでラッキーが一般市民と自分たちを力の有無で切り分けた上に、力が無いものは家に帰って寝てろと切り捨ててしまったのは完全に暴言で、これはむしろスコルピオの側の理屈といえます。そうするとこの延長線上に位置するクライマックスでは、仲間が居るから強い=戦う力が沢山あるから強い、という実に身も蓋もない話になってしまい、それはそれでスコルピオと話は噛み合うのですが、戦争は数だよ!
 第13話以降のラッキーが大衆にぶつけるべきだった言葉は、地球が壊滅寸前でも究極の救世主がここに居る、すなわち「よっしゃラッキー!」の心構えであり、守ってきた市民から悪意を向けられるけど志は曲げずに一喝してスッキリ、ではなく、そんな状況でも笑顔で「お前達、ラッキーだな!」と言い切って周囲を呆然とさせるぐらいでこそラッキーだと思うのですが、今回通して「よっしゃラッキー!」という作品の最重要テーゼが消滅しているという不思議。作り手のスティンガー(サソリ兄弟)への思い入れ過剰がラッキーを押しのけてしまった節があり、非常に問題だったと思います。
 構造としては前中後編なので、次回もう少し諸々のフォローが入ってまとまるかもしれませんが、アルゴ船だの新戦士だの要素が多そうで手が回るか不安であり、もしかしたら年間通して、致命的な失点になるエピソードかも。