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『アメリカン・コミック史』(東洋書林)覚え書き<前編>

THE HERO―アメリカン・コミック史

THE HERO―アメリカン・コミック史


 スーパーマン――素手で鋼鉄をねじ曲げ、大河の流れを変えられる男。そして物腰も穏やかな記者、クラーク・ケントに身をやつしながら真実と正義――すなわちアメリカン・ウェイを求め、終わりなき戦いを遂行する男!

 両親の死への復讐に代えて、私は以後の生涯、あらゆる犯罪者と戦い続ける事を誓った。犯罪者は迷信まみれの卑怯な奴らだ。私は、彼らに畏怖を与えるために変装する。夜の黒い恐怖の生きものになろう……そう、コウモリになるのだ!
連載形式のコミック・ストリップ(日刊紙の掲載マンガ)で生み出された、ファントム、ポパイ、バック・ロジャース、フラッシュ・ゴードン……パルプ・フィクションの二大ヒーロー、“闇の帝王”シャドウと、“日焼けした男”ドク・サヴィッジ……数多のヒーローの活躍は人々の胸を躍らせ、そして1930年代、コミックのみを掲載したコミックブックが誕生する。
1938年春にスーパーマンが登場すると、1938年半ばから40年末にかけての18ヶ月間には2ダースもの版元がコミック市場に参入して、のべ150冊が月刊で刊行されるという活況となり、1939年春にはバットマンが誕生。アメリカン・ポップ・カルチャー史上最大といえる爆発的拡大の中で、スーパーヒーロー達が百花繚乱するのであった……。
前史から揺籃期、そして第二次世界大戦の勃発……と豊富な図版と共に丁寧にアメリカン・コミックの歴史を追う大書。
1940年代のコミック業界にはロシア・ユダヤ系の人々が多く関わっていた事からナチス・ドイツの拡大に対する警戒感と切迫感が強く、潜在的に抱えていた愛国的ヒーローの機運が、アメリカ参戦により爆発。そしてこれが“枢軸国というスーパーヴィラン”をコミックの世界に持ち込む事になり、スーパーヒーロー達は次々と戦線に身を投じていく。
「OK、枢軸国、覚悟しろ!」(OK,Axis,here we come!)

 第二次大戦によって、コミックブックのスーパーヒーローというアイデアが本気で試され、そして確固たるものになったのである。
という辺りはまさに『コンレボ』ですが、世相とフィクションの濃密な関わり、その中での発展が非常に興味深かったです。
なおクラーク・ケントは、興奮しすぎてX線透視機能を用いてしまい、徴兵検査に落ちていた。
……というのは今になると笑い話ですが、スーパーマンが参戦すれば戦争など一日で終結するというフィクションと、そうはいっても戦争が終わっていない事は子供達にも分かってしまうというリアルの間での苦慮が色々とあった様子(今思えば、『バットマンvsスーパーマン』の冒頭は、スーパーマンが背負い続けるこのジレンマを描いていたのか)。
戦時中にはまた、ワンダーウーマン、そして最初のヒーローチームであるJSA(ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカ)が誕生。
ちなみにJSAは、自分の名前を冠した短刊本が出ると退会しないといけない規約なので、スーパーマンバットマンは名誉会員なのだ! ……と、世知辛い。
この本、豊富な図版(オールカラー!)の所収により、当時のコミックやヒーローがビジュアルでわかるのが非常に素晴らしいのですが、この当時のフラッシュが凄く、消火器のセールスとか始めそうな顔です。
順風満帆だったヒーローコミック市場であったが、1940年代から広がっていた反コミックブック運動の影響で業界は自主規制を行わざるを得ず、更にコミックブック同士での市場の奪い合い、各家庭へのTVの普及により、その勢いに陰りが見え始めていた。1954年に最盛期を迎えたコミックブックの売り上げは翌55年にはその半分へと落ちてしまう。
だが1956年、“地上最速の男”フラッシュが、新時代のキャラクターとしてリブートに成功。これを嚆矢としてグリーン・ランタンホークマンなど40年代ヒーロー達が次々と宇宙時代にふさわしく洗練された形で再生を果たすと、ジャスティス・ソサエティ・オブ・アメリカもジャスティス・リーグ・オブ・アメリカと名前を変えて再登場し、後に言う「コミックのシルバー・エイジ」の黎明期となるのであった。
そして1961年には、新旧フラッシュが共演する「ふたつの世界のフラッシュ」が発表され、オルタナティブ・ユニバース――もうひとつの世界――への扉が開く事になる。
一方マーベルでは、ロマンスに西部劇からホラーに至るまで、ありとあらゆるコミックブックのジャンルで編集兼脚本家として八面六臂の活躍をしていたスタン・リーが、ジャック・カービーとのコンビで1961年にチームヒーロー『ファンタスティック・フォー』を創出。その反応に手応えを得ると、その後の約3年間で、ハルク、スパイダーマンマイティ・ソーアントマン、アイアンマン、ドクター・ストレンジ、<アベンジャーズ>、X−メン、デアデビルといったヒーロー(チーム)を矢継ぎ早に送り出す。

 マーベルのキャラクターはスーパーパワーの持ち主だが、なんとかしてリアルにしたかった。今ここでは空想のストーリーについて話しているが、あえて言いたい――「こういう人物が本当にいれば、現実の世界でどう行動するのだろう」。これが少しでもリアリティを醸す発想へと繋がるわけだ。
(スタン・リー)
かねてより、バットマンにおけるロビン、キャプテン・アメリカにおけるバッキー(もともと少年であったとはビックリ)など、読者層への訴求力、ヒーローの独り言回避などの為に生み出された十代のサイドキック(相棒)のキャラクター造形に不満を抱いていたスタン・リーは、肉体・容姿・経済的に恵まれず、華やかな青春から疎外されて様々な問題を持った青年としてスパイダーマン――ピーター・パーカーを生み出し、若い読者の心を掴む事に成功する。また、顔をすっぽりと包むそのマスクが、外貌や人種の別なくなりきれるヒーローとして、その人気に一役買ったのであった。
長らく、アメリカン・ヒーローにおける、スパイダーマンの特別性というのがピンと来ていなかったのですが、この本を読んでようやく、ある程度腑に落ちました。
その誕生の経緯に加え、蜘蛛の特殊能力を自主的に見世物としてお金を稼いだピーターが、横柄な態度から警官に協力せずに窃盗犯の逃走を許し、その窃盗犯に愛する伯父を殺されてしまうという事件から、罪の意識を高潔なヒーローの責任感へと昇華させる、というオリジンは今知っても鮮烈。

 痩せた人影が、募り来る闇の中へと、ものも言わずのろのろと消えていく。ようやく知らされたのだ。この世界では、大きな力に重い責任が伴うものであることを。
1964年にはアベンジャーズによって北極圏の氷塊の中から発見され、キャプテン・アメリカが「復活」。1950年代に共産主義と戦っていた迷走期間は2−4代目の活動とされ、後のレトコン(過去に遡っての設定変更)の嚆矢となる。
……余談ですが、この復活号の表紙右上に書かれたサブマリナー(侵略地上人の船をひっくり返す事を生き甲斐にしている水棲人。一応ヒーロー)のポーズが、巻頭グラビア8P!にしか見えなくて困ります。あと、『アベンジャーズ』系の図版で割と目立つ位置に居る、赤いマスクの眉毛部分がびろーんとしているヒーローが他に出てこないので正体不明で、何者(※アリ操作マスクを外した、「ジャイアントマン」モードのアントマンとの事)。
また、DCに対して小身で身軽な立場だったマーベルは、1960年代後半〜1970年初頭にかけて、“ワガンダの王”ブラック・パンサー、“雇われヒーロー”ルーク・ケイジを誕生させ、時代の要請に応えるアフリカ系アメリカ人ヒーローを生み出す事で、他人種キャラクターの道を切り拓き文化的障壁を打ち破っていく事になる。
一方、DCコミックスの二枚看板の一方であったバットマンはスーパーマンに大きく水を開けられ、低迷する人気の中で窮地に立たされていたが、カラーTVの普及が進む中、子供と大人の視聴者を同時に取り込む「ファミリー・ショー」の素材を探していたABCの目に止まり、1966年にTVデビュー。番組は空前の人気を博し、バットマンはスーパーヒーローとして初めて(実写俳優の姿で)『ライフ』の表紙を飾るまでになり、“マントを翻す正義の使者(ケイブト・クルセイダー)”はその息を吹き返すのであった。
ベトナム戦争、都市の貧困、暴動、暗殺、法と秩序の退化――1960年代〜70年代、アメリカ国民が様々な問題と向かい合う中、マーベル社は保健教育福祉省から、「『スパイダーマン』において反ドラッグ・ストーリーを描いてほしい」という申し出を受ける。ところがスタン・リーが綿密に練り上げたストーリーはCCA(コミック倫理規定委員会)によって却下され、結局スタン・リーは、問題の号をCCAの認可なしでの刊行に踏み切る。
一方DCコミックスでは、売り上げ不振から緑色繋がりでひとまとめにされたグリーン・ランタンとグリーン・アローのにわかコンビを成立させる為に、現代アメリカの諸問題と向き合う遍歴の旅、という新機軸が組み込まれる。

 「アイデンティティと答を探し、そしてアメリカを見つけよう。この自由の国が、なぜ悲惨でいっぱいの国になってしまったのか。それを突き止めよう」
映画『イージー・ライダー』コミック版ともいえるこの旅の果て、ランタンとアローもまたドラッグの問題と直面し、1971年、くだんの『アメイジングスパイダーマン』の刊行が強行された後、「スノーバードは飛ばない」(※「スノーバード」は「ヘロイン常用者」の隠語)を連載初回に、被後見人の青年がヘロイン中毒になっている事を知ったアローが青年を断薬に導くという、コミック史上、前代未聞の物語が展開。同作は同時代性を積極的に取り込んだ“大人向けコミック”として大きな評判を獲得する(が皮肉にも、売れ行きの頭打ちを理由に雑誌は中断となってしまう)。
続いて1973年、スーパーヒーロー・コミックのトーンを一変させる事件が起こる。『アメイジングスパイダーマン』第121号においてピーター・パーカーの恋人、グウェン・ステイシーが死亡。アメリカン・コミック史上、ストーリー進行の都合によってその場で殺されてしまう、最初の主要キャラクターとなったのだった。

 「すべての善良な人々が、正しい行いをなそうとして手ひどい失敗を冒す。そんな時代だった。スパイダーマンは、愛する女性を助けようとして結果的に殺してしまう。当時、まだベトナム戦争は続いており、悪人になるためではなく正しい行いをなそうとした兵士が、戦いの過程で恐ろしい行為に及んでしまった。まさに悲劇だ。世界は安全で善い場所でもないという意識が生じたが、実のところ、コミックはそれを反映していなかった。現実の世界を映すようになったのは、グウェン・ステイシーの死後だ」
(ゲリー・コンウェイ
覚え書き後編に続く。