◆さやまきさん
>キャラの立ち位置と役者で想起したのはむしろウルトラマンAの久里虫太郎でした(笑)
そんなエピソードがあったのですね。それにしても、なんという直截な小栗虫太郎のもじり……(^^;
>小説の内容がいちいち現実とシンクロしているというミステリ的な転がし方は(よくある話の展開ではあるものの)
演出もあって、序盤素直に、活動資金に困った竜王陛下が本業に戻ったのかと思ってしまいました(笑)
>わざとかっわざとなのか會川昇!?とツッコミたくなりました(笑)
……會川さんなので、可能性は十分ありそうですね(笑) 心理の焦点が作家ではなくファン(チーフ)の側に置かれる事でひねられていましたが。
>まぁこれに限らず清水さんはメビウスの時にはヤプールの人間態(上述の漫画家をモデルにしたとされる)も演じてますし
>色々と繋げやすくて助かる役者さんではありますけどもσ(^_^;)
そんな役をやっておられたのですねー。見たことないのに、想像でしっくり来ますね。
◆タイキさん
>どっちかというとチーフって「頼れるリーダー」というよりは「無邪気な求道者」という感じがしていたので、
>今回香川先生を前にしてその側面がかなり濃く出ていたんじゃないかと思います。
ああ確かに、そう見ると、第5話でさくらに語った「少年の心で冒険を楽しもう」というのからチーフの位置づけが繋がってきますね。……つまりチーフは、少年の心を持ったオヤジ(突然漂うなんかダメそうな感じ)。
>こういう風に「敵を一度逃れられないように固定してぶっ倒す」というギミックの必殺技どっかで見たなあと思ったら、
>昭和ロボアニメにこういうタイプの技ありました(笑)
ああ! 超電磁スピン!! 凄く納得です(笑) コンクリをどう攻撃に取り込むのか、というのがあったのでしょうが、辿り着いたのが70年代ロボットアニメというのは面白いですね。
>會川脚本の評価が賛否両論なのってもしかしてこの露骨なメタ構造にあるのかもと思いました。
巧く噛み合っている時は良いのですが、ちょっとズレるとメタ要素が前に出すぎて鼻についてしまう時がある、という印象です。
>チーフのキャラとその辺が絶妙に噛み合っていたので、私はこの話で漸く今作に乗っかれました。
“大人をやる”と“子供の心を捨てない”事の相克や両立というのは會川さんの持っているテーマですが、考えてみるとチーフはまさに、それを具現化したような設定なんですね。
>「英雄=冒険者」という図式をしっかり定義しているのかもしれないと思いました。
ゲームなどで低年齢層にも伝わりやすい「ドラゴン」というアイコンを強調して、冒険者とヒーローの接続を強化する意図、というのは成る程ありそうですね。
◆五月サツキさん
>牧野先生もボウケン世界というかサージェスの一員らしくちょっとズレてますよね。
劇中描写は装備の調整が多いので目立ちませんが、どうもマッドサイエンティスト属性ですよね……(笑)
>真墨は相変わらず保護者。
この辺りの描写は一貫していて良いですねー。女性メンバーよりも、真墨の可愛げがメキメキ上がっていますが(笑)
>デュアルクラッシャーはなかなかに凶悪な武器ですが、なんせ作ったのは垣間見える黒さに定評のあるサージェスですので。
ネガティブへの殺意の高さに、軽く引きました(笑) 競争相手は、確実に減らす!
>香川役の方は過去作で悪役をやっていらしたんですね。なにせ20世紀戦隊には疎いもので。メタ的な視点で見ることによってまた別の解釈ができるんですね。
『超新星フラッシュマン』の悪の大幹部だったのですが、『フラッシュマン』が悪役サイドの方がキャラが立っている作品だった事もあり、個人的に思い入れるのあるキャラ/役者さんでした。今回に関しては、その辺り狙ったキャスティングだったのかなーと。
◆スピリットヒューマンさん
>リュウオーンとの戦いは一貫して一対一というのはいいと思います。何回も戦って因縁をつけるとやはり盛り上がります。
今作、ただ悪の組織を複数にする、というだけではなく、そういう計算がしっかり出来ているのがいいですよねー。
◆輝剣さん
>やっぱり二人はまだ完全な信頼を受けていないんですね。
表向きは性格に関するギャグになっていましたが、サージェスだけに確かに……(笑)
>インタビューによると6話あたりから「頼れるチーフ」を高橋さんが侵蝕していったそうで、3枚目描写というかただの冒険オタク化が進行していくんですよね。
第6話ラストの「今のはちょっと、オヤジくさい」事件から、コミカルな芝居の要素が増えていましたが、役者さんからのアプローチもあったんですね。
>ブラックもその場にいます(ただし素面)。青と桃は牧野さんと安全な場所に
>>ブラックくんやイエローちゃんならしょうがないけど
>あ(察し)
……あ。
>クトゥルフ神話とかの掌編でもありそうな展開でもあります。ある意味パルプフィクションは20世紀初めの冒険小説の花形だったわけですし。
>冒険者をファンタジー世界でなく現代社会に立脚する話として成立させる以上オカルトにならざるを得ないということでしょうか。
第7話は掘り下げるとかなり色々なネタを組み込んでいそうですが、「遺された手記」の方に焦点を合わせて考えると、怪奇小説要素の取り込み、という意図が成る程ありそうですね。続く第8話も若干の怪奇要素がありますし、7−8話はそういう意図で組んだのかもですねー。