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『宇宙戦隊キュウレンジャー』感想・第37話

 本編と全く関係ない余談から入りますが、途中のCMの、
 ジーッとしてないで、ドームに行こうぜ!」
 が変なはまり具合で面白かったです(笑)
◆Space.37「ラッキー、父との再会」◆ (監督:柴崎貴行 脚本:毛利亘宏)
 前回に続き、今回もOP前にサブタイトルが入るという構成。以後もこうなるのかはわかりませんが、ここ数年の放映形態の変化をまた一つ感じる部分です。
 個人的にはアイキャッチって割と好きなのですが(特に最近は『ボウケンジャー』のアイキャッチの入れ方が上手いので再燃)、思えば戦隊でアイキャッチを用いた最後の作品ってなんだ……?
 オリオン号に乗り込んできたじいやが「こちらは王子である。頭が高い」と宣い、皆がわざとらしく頭を下げるのをラッキーが止めるというギャグの中、一人しかめ面で仁王立ちし、
 「俺様は、初代宇宙連邦大統領だ。すなわち、王様より偉い」
 と対抗心を燃やすツルギ、の図は面白かったです。
 “元”な上に、現在その権力の根拠となる宇宙連邦そのものが存在していないので、過去の栄光にすがる困った人になってしまっていますが、時間の漂流者であるツルギのアイデンティティの問題は、ラスト前にもう一回つついても面白いかもとは思うところ。
 ツルギの情報から、惑星サザンクロスのバリアは88戦士の中に居た4賢者の力で解除できる事がわかり、アンドロメダ、ケフェウス、カシオペアペルセウス、の4星座の内、既に所持しているアンドロメダを除く、残り3つのキュータマ入手が当面のキュウレンジャーの目標となる。
 だがその前に、ラッキーの父親が治めているという惑星カイエンへと向かうキュウレンジャー
 「みんな……個人的な事に巻き込んですまない」
 なんか前回から、急にラッキーがこれ言い出すのですが、作り手の側で想定しているラッキーの心理的な変化と成長(から生じる周囲への配慮)と、実際の劇中描写で積み重ねられているそれ、のズレがまた広がっている気がします(^^;
 まあラッキーのこれまでの育ちを考えると、他人の問題にはあれもこれも俺に任せろ、と無責任に首を突っ込める反面、自分の問題に他人をどう関わらせればいいのか……というのが未経験でわからない困惑、というのがあるのかもですが。
 それならそれで、一人で暴走するラッキーが仲間に助けられ、真の意味で「仲間」との繋がりを知る……などと組んでも良かったと思うのですが、まるっきりスティンガーとかぶってしまうので、こんな所までサソリ兄弟編から流れ弾。
 惑星カイエンへと上陸した赤・青・黄・金・銀・空・鳳の7名は王の演説を聞き、間違いなくそれが父親である、と甦るラッキーの記憶。
 「獅子座の民よ、ジャークマターに屈服せよ。ジャークマターに従う限り、お前達の命は保証される」
 民衆は王の演説に愚痴をこぼすと投石を始め……いやここ、ジャークマターに支配されて何年なの?
 前回からの流れで、幕府統治の緩み・宇宙的反抗の機運を描きたかったのかもしれませんが、ここで必要だったのは、ラッキーの悲劇の出発点を覆う重苦しい圧政とそれを実行する父王の姿であり、それが出てくるや否や「幕府の支配下で悪政を行う王様は嫌われ者で投石を受けていました」というのでは、四文字熟語を強引に一つの漢字にまとめてしまったような描写。
 〔幕府の暴虐・父王の悪政・絶望に沈む民〕までをきっちり描いた上でこそ〔そこに芽生えた反抗の兆し〕が明暗として引き立つわけであり、前段階をすっ飛ばして圧縮しすぎた事で全体がのっぺりしてしまい、更にはラッキーの抱える悲劇性さえ薄まってしまっています。
 幕府の悪を明確に描いてこそ、ラッキーと獅子座の民が奪われたものがハッキリするにも関わらず、エピソードの屋台骨となる民の窮状がまるで描かれていないのが、非常に残念。
 投石を止めて息子として父に呼びかけるラッキーだが、そこに獅子座家老と復活イソギンチャク男が登場し、戦闘に。
 「かつてこの星を征服したのは、俺だぁ!!」
 前回ラストで触れた因縁をイソギンがラッキーに突きつけるのですが、かれこれ2クールほど眠らせていた主人公の素性に関わる一応重要な筈の伏線にまつわる仇敵にはこれまで1ミリのほのめかしもなく、しかも既に使い捨て同然のポジション、ってどうしてこうなった。
 民衆を人質に取られた赤はイソギン砲の直撃を受け、変身解除で気絶したまま連れ去られてしまう。天候の悪化を気にした家老は集会の終了を宣言して王と共に引き上げ、残ったメンバーは家老が生み出した代官軍団を撃破するが、後に残ったのは……砂? メンバーはオリオン号に一時撤退し、雨を気にする家老の態度から、代官も、そして王様も、家老の力で作りだした砂の人形ではないか、と推測したツルギは一つの作戦を提案する……。
 一方、イソギンは捕らえたラッキーの公開処刑を宣言。
 「父さん……どんな辛い時でも……未来は切り開けるって。教えてくれたのは父さんじゃねぇか」
 「黙れ」
 「俺は父さんを信じてる。父さんが教えてくれた、言葉を!」
 「黙れと言っている!」
 ラッキーの言葉は父に届かぬまま、公開処刑当日――集会に乗り込む鳳凰以下のキュウレンジャーだが、幕府軍に阻まれ、壊滅寸前に。処刑の迫るラッキーは父王が偽物であると糾弾し、それを認めるイソギン。
 「……そうか。……よっしゃラッキィ」
 「いかれちまったかぁ?」
 「だってそうだろ。父さんの無念を、この手で晴らせるんだからな!!」
 ここは、どんな悲劇でも、絶望的な状況でも、生きている限りは、常に全てを前向きに捉えて自分はラッキーなのだと言い聞かせるという、良い「よっしゃラッキー!」。
 前回今回と、ここまで溜めただけあって、“ラッキーを通して何を描きたいのか”という部分に関しては、毛利さんの気合いが見えます。見え、たのですが……。
 ――「ラッキー、どんな辛い時でも、きっと未来は切り開ける」
 父の言葉を胸に抱き、ラッキーは吠える。
 (苦しい時こそ、己の運を信じろ)「苦しい時こそ、己の運を信じるんだ!!」
 すると突然の落雷がイソギンに直撃し、処刑台から地面に転落。
 「よっしゃラッキーーーー!!」
 その隙に透明化していたハミィがラッキーを救出し、潜んでいた黒桃橙が水系のキュータマで一斉に放射した水を偽王に浴びせ、群衆の眼前で砂に帰った王は偽物である事が暴露される! …………てあれ、ツルギ達を陽動にした上で(これは合ってた)別働隊がキュータマの力で雨でも降らすのかと思ったのですが、ただのポンプ放水でした。
 という事は、イソギンに落ちた雷は、本当にただ唐突に、雷だけが落ちてきた事になります。
 ここで、救出作戦の一環として雨を降らせる → 雷雲が発生 → 雷がたまたまイソギンに直撃、であれば、「最後まで自分を信じるラッキー」と「仲間達の救出作戦」がシンクロした時に、「落雷が発生する条件」が生まれたという事で、物語として劇的かつそれなりの説得力を持ったラッキーになりえるのですが、何も条件が揃っていないのに、信じていたら何故か雷が落ちました、ではそれは単なる“不自然な奇跡”でしかありません。
 故にこれは、悪い「よっしゃラッキー!」。
 そしてこの、信じていれば“不自然な奇跡”が起きる、というのは、重要なポイントでの台詞を追う限りでは、毛利さんが描きたい「よっしゃラッキー!」とは違うのではと思うのですが、どうも今作、脚本の狙いと出来上がりの映像に根幹的な齟齬がある気がしてなりません。
勿論、演出陣には、映像作品として面白く見せなければいけない、という絶対条件が存在するのでそこに起因するのかと思うのですが、人数問題も含めた全体の問題として、『キュウレンジャー』は見せたいものを映像に落とし込めていないという印象。
 また或いは、“不自然な奇跡”で結構、それを呼び込む「信じる」強さを描くことが主眼であるのかもしれませんが、その「信じる」の根にあったと示されたのが、35話の間かけらも存在しなかった父親では、あまりに物語として積み重ねがありません。
 児童層を意識した作品の場合、長期或いは複雑な伏線は仕掛けない、というポリシーを作り手が持っている場合はありますが、それならそれで、他のキャラクターのエピソードで「父親」という存在の意味を劇中に散りばめておくなどは出来るわけで、やはり仕込みが不足しすぎていると思います。仕掛けという点ではオライオンはその意図だったのでしょうが、単独で終わってしまったのであまり効果的になりませんでしたし。
 形勢逆転したキュウレンジャーは野郎7人パーティーで揃い踏みし、ビッグ獅子は父の仇であるイソギンとマッチアップするのですが、因縁の仇敵である筈なのに、因縁を全く知らない時期に一度倒しているどころか、過去でも旧バージョンを葬り去っているので、どーにもこーにも盛り上がりに欠けるバトルに。
 「覚えておけ! 俺は宇宙一、ラッキーな男だ!」
 「偶然に頼ってジャークマターを倒せると思うな!」
 「偶然なんかじゃない! 俺は、俺たちが宇宙を救えるって信じる。そうやって運を呼び込むんだ。それが、父さんが俺に教えてくれた力なんだ」
 “父から子への継承”そのものは嫌いではないのですが、「父親を探していた」のも「父親の仇」も判明したのが第36話の為、作品の中心となるテーゼの背景としては、あまりにも積み重ね不足で本当に残念。また上述したように、カイエンの現状の描写が頓珍漢な為、ラッキーが失われたものを取り戻す話としてもパンチ不足。
 そして一連の展開の中で、ラッキーが王族である必要はあったのか。
 ラッキーが「王になる」覚悟に焦点が合うわけでもなく、父親の言葉が王ならではというわけでもなく、かつて大衆に「弱い連中は家で寝てろ!」と言い放ったラッキーが、「守るべき国民」を持つに至るというのは大きな転機だと思うのですが、その辺りの要素はこれといって取り上げられず。
むしろ貴種流離譚の要素を入れない方が、余計なノイズが生じずにスッキリ収まった気がするのですが、最終盤、ラッキーが「王」である事の意味が描かれてくれる事に期待(物語的にはそれこそ、「王の為の道を作ろうとしている」ショウ司令とか、「かつて王であった」ツルギとか、まつわる要素が散りばめられているわけで)。
 ちなみにお父さんに関しては、出来るだけ多くの臣民の命を守る為に敢えてダークマターに忍従して悪王の汚名を被っていたが、成長した息子の姿を目にして一か八かの賭けに出る、ぐらいの想像をしていたのですが、もうとっくに死んでましたー、泥人形でしたー、で凄くガックリだった事をご報告しておきます。
 家老とイソギンは、なんか凄い宇宙キターッでまとめて粉砕され、イソギンは巨大化、家老は宇宙戦艦に。ギガントホウオーが宇宙戦艦を沈め、イソギンは雑に3回目の死亡をするのであった。
 戦い終わり、集まった群衆の前にラッキーが白いコート姿で登場し、どうしてスティンガーが自慢げなのかと思ったら、お手製でした。そしてナーガが冠キュータマで生み出した王冠をハミィがラッキーに被せ……えー、なんか最近、ラッキー役とハミィ役の二人がデートしているのをスクープされたらしいですが、スタッフこれ、いい雰囲気なのを既に知っているのでは感(笑)
 「父さん、見ていてくれ」
 臣民に拍手で迎えられたラッキーは、翻る獅子の旗に、未来を切り拓いていく事を改めて誓うのだった。
 引きに引いたラッキーの出自でしたが、2クール放置の末にぽっと出の設定により前後編でまとめてしまい、せめて3話構成にして、「父と子」「王と民」などのテーマを、これまでの物語と繋げる形で展開できなかったものでしょうか。継続登場の爺やとラッキーの関係など、1ミリも掘り下げられず、一体なんの為にオリオン号に乗せたのか。「父さんから貰った友達」であるシーザーも、後編にして既にただのアイテム扱いであり、どうにもツルギ加入後の今作は、構成上の事故を感じずにはいられません(^^;
 良かった部分を探すと、ロングの俯瞰で撮った建造物群の間にCGで群衆を水増しして、集会と公開処刑に多くの国民が集まっている事を表現したのは、戦隊ではあまりやらない手法がスケール感に繋がって秀逸でした。