◆タイキさん
>伊上勝さんと井上敏樹さんの違いであると同時に、昭和ライダーと平成ライダーの違いも伺え、色々と歴史の変遷が色濃く見える良書ですよね。
井上敏樹の寄稿も含め、2010年代に出た事でより、時代におけるヒーロー観(描写)の変化が見えて、面白い本になっていましたね。
>科特隊ら人類がその神様じみた存在がなくても地球防衛出来る程の存在へと自立していく過程として描かれている、というもまた興味深いです。
ウルトラマン自身も「地球を去る」事でヒーローとして完成を見る、といえるわけで、面白い見立てだなと思います。
>井上作品って常に「人間性を喪失していた主人公が一年を通して人間性を取り戻して真のヒーローになる」というのがライフワークとしてある気がします。
戦士として純化する竜、記憶喪失の翔一くん、ファイズである事にアイデンティティを見出すたっくん、という流れが井上敏樹いうところの「ヒーローの原型」のバージョン違いと見ると、そこから“人間”と“ヒーロー”を再接続する、というのが井上敏樹の大きなテーマ性なのでしょうね。
>「555」の原型となる要素が既に散りばめられていて、今見直しても非常に面白いです。
改めて『555』は、そうとう意識的に本歌取りをやっていますよね。初代が娯楽活劇として切り捨てた要素を拾った上で活劇をしようというか。
>それから大きな違いとしては緑川ルリ子の本郷猛に対する誤解が二話であっさり解けたのは如何にも昭和の作風だなあと(笑)
この時代は、これ引っ張っても面白くならないし、という判断だったのでしょうね(笑)
◆さやまきさん
>しかも他ラインナップとの組み合わせでなくガーディアンだけという実に強気なセットになっていて
極端にいえばヘルメット被った人間なのに、それは強気ですね……!
>1個に複数付いてくるシールも5種(東都、北都、西都、ファントム、財団X)
ああ、シール張り替えるだけで所属が分けられるのは、おいしいですね……(笑)
>更に去年は終了ギリギリで残念だった戦隊の勇動も今回は早めのリリースで
>コチラは全7種(それぞれのメンバーと武器セット)
全部揃うのはいいですねー。素体が違いすぎて戦隊怪人は難しそうですが、今後も広がってくれると面白そうですね。
>伊上さんは帰ってきたウルトラマンのブレインストーミングに参加して
イメージ無かったんですが、『帰ってきたウルトラマン』に脚本参加されているんですねー。
>本数の多さとアベレージの高さはやはり稀代の名脚本家だったと思います
メインライター時に他のライターと比べると、良くも歩くも切れ味が一つ違うというか、やはり抜けた部分のあった方なんだなと思わされます。
◆八手四郎次郎さん
>伊上勝氏や同世代の作家陣は、青春物やスポ根物が持て囃された当時の状況もあってということなのか、"成長途上の若者"をヒーロー活劇の主人公に据えてきた。
オムニバスヒーロー活劇に青春ドラマの要素が入ってきた、というのは成る程で、存在自体がヒーローとしての説得力を持っているスター(完成した人格)から、スターへの道を目指す若者、に主人公像が変わっていくのは、映画の時代からTVの時代へ、という過渡期を象徴する側面もあったのでしょうね。
>ヒーローの人間性をより踏み込んで描写することは回避せざるを得なかった。
そう考えると、『ストロンガー』などはほとんど、“映画スター”としての描写、になってますものね。一方で城茂というキャラクターの魅力はそこにあるわけですが、伊上さんの筆の冴えも、改めて納得する部分です。
>"開き直り"で乗り切っちゃったのが井上敏樹氏ら息子世代の作家だったのではないか、と思えるんですよね。
>つまり「ヒーロー性のバージョンアップ」ではなく「ヒーロー性の剥奪」に活路を見いだした、と。
理想のヒーローの座から一旦降りてきたヒーローを人間性と接続した上で、ではどうやってそこからヒーローとしての意味を与えるのか、というのは井上敏樹の大きなテーマ性ですよね。
>ここら辺、伊上・井上親子が辿った軌跡を、理想的ヒーロー像すなわち"庶民がヒーローに求めたもの"の変遷
>(偶像であるべきか等身大でいいのか、など)と絡めて読み解いていくと、より本質に迫ることが出来るのかなあとも思うんですが。
時代性という点でいうと、井上敏樹の更に次の世代になると、ヒーローの位置づけというのがまた違う所からスタートしていそうで、ヒーローの未来像、というのもまた面白いですね(いずれ時代劇フォーマットというオリジンに触れる機会が無くなっていきそうですし……)。