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ひとつカンと打ちゃホームランブギ


よく古田選手会会長が「ファンの代弁」を口にするけど、彼のいう「野球ファン」というのは「野球をしたい」野球好きであって「野球を観戦したい」ファンではないんじゃないかなぁ。おそらくさ、古田はいわゆる「プロ野球という場で野球をやりたい!」っていう精神的な意味での野球小僧たちの気持ちに強く共感して、そしてプロの世界で1球団分の選手が居場所をなくし1球団分のスタメンが消滅するわけでそんな状態に憤りを感じている
テレビ探偵☆ツンドラタイガー:スト突入。
今、各地で使われている「ファン」という言葉は、“普通”とか“みんな”という言葉と同じで実態が無いものだと思っているのですが、今後一つのキーになるのは、その実態の無いものをどう位置づけ把握して取り入れるかだと思うのです。特に選手会にとってはこれは重要な事で、その方向性を間違えると足下から全てが崩壊しかねない危険性がある。
では、ファンとはどう捉えるのが正しいのかといえば、多分、そんな正解は無いわけで。実態が無いというよりは混じり合って混沌として、一つの方向性など持ちようが無いというのが正しいのでしょう。
あえて定義づけるならば、
“野球が好きで、野球が存在し続けると思っている人達”
というのが破綻の無い線でしょうか。
その漠然としたものを、選手会がどう位置づけてるのか。これはかなり重要な事だと思っております。
後まあ、これは一つ根っこの話なのですが、
『日本プロ野球は本当に存在し続けるものなのか?』
という事は、問われているわけで。
これは選手やファンも含んでなのですが、今回のゴタゴタがここまでになった一つの原因には“誰も球団が減るとは思わなかった”という点があると思うのですよ。存在し続ける事を疑ってこなかった姿勢が今問われているわけで、それは実は、球団一つ二つという事ではなく、プロ野球全体に関する話なのかもしれないなぁと。
かつて日本人と野球の関係を「日本人には宗教がないというが、実はある。日本野球教である」と喝破した文章がありましたが、要するに野球は実はもはや信仰の対象なのではないか? というのが問われている気がします。問われている、というか、もっと早く、内側の人達が問わなくてはいけなかったのではないか? というか。
現在、日本野球機構オフィシャルサイトのTOPには、<ファンの皆様へ>と題して、こんな文章が掲載されています。

日本プロ野球選手会ストライキを計画しています。国民的な娯楽であるプロ野球が、ファン及び多くの国民の皆さまに多大の憂慮を与えていることに対して、心よりお詫びを申し上げます。(以下略)
……本当に、プロ野球国民的娯楽なのか? という事は考え直さないといけないと思うわけなんですけど、どうなのかなぁ。