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ダンボール戦機 (LBX「AX-00」プラモデル同梱) - PSP
- 出版社/メーカー: レベルファイブ
- 発売日: 2011/06/16
- メディア: Video Game
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ダンボール戦機 (LBX「AX-00」プラモデル同梱) - PSP
たまたま見たので初見、伝統的な、パーツカスタマイズ系手のひら玩具とのタイアップもの(原作はレベルファイブのゲーム)みたいなのですが、アバンタイトル、これまでの展開のダイジェストで、成り行きはわかりませんが主人公が主役ロボを渡された時の台詞が、
「この中に人類の希望と絶望が詰まっている」
……うん、なんか、わくわくしてきた(笑)
期待に違わず物語冒頭、劇中でLBXと呼称される手のひらロボット(実際、手のひらに収まるぐらいの大きさ)を、暗殺用に改造する組織、登場。
過去、多くの同系列作品で、玩具をバトル改造するというシチュエーションが繰り返されてはきましたが、いきなり要人暗殺用って、OKなんですか、一度そういうネタをすると引き返せなくなりますが、覚悟完了的な作品なのか。
そして、そんな狙撃型LBXによる総理暗殺計画(これは日本のお話です、2050年だけど)を事前に知った謎の喫茶店マスター(顎髭サングラス)と、その友達(金髪もみあげの二枚目)? なんか、秘密組織っぽいのですが、この人達の素性はよくわかりません。視聴後にも、あえて、調べない。
協力者?から送られてきた新型LBXと「白いLBXを持った少年を頼れ」というメッセージを真に受けて、その少年=主人公&友人ズと接触します。
玩具屋の前で待ち受けて、「一緒に来てくれないか」って、知らないおじさんについていったら駄目だろう君たち。
連れ込まれた喫茶店で、コーヒーを出される少年少女3人(主人公&ヒロイン&主人公友人)。
マスター「私のおごりだ」
駄目、飲んだらダメ、ゼッタイ!
おもむろに、主人公のLBXを手にとって誉めるマスター。そして、まずは送られてきた新型LBXを持ち出して、「作ってみるかい?」などと友人にうながす二枚目。
駄目、作ったらダメ、ゼッタイ!
それはエリア88への片道切符……!
ところでロボットがダンボール製なのかと思ったら、ロボットはプラスチックモデル?で、戦闘フィールドがダンボール(2046年に開発されたとても凄い強化ダンボールだとか)みたい。ロボットも携帯っぽいリモコンで物凄いスムーズに動くというお約束通りですが。
そして新型LBXを作り終わった所で、おもむろに切り出す二枚目。
「総理の命が狙われている」
以下、「警察に言えば?」などと常識的なやり取りもあるのですが、最終的に、暗殺にLBXが使われるとか、その新しいLBX欲しくない? など多くの甘言が弄された結果、本当に、小学生達に協力を求めてしまう二枚目&マスター。
「ああそうだ、危険が及ぶかもしれないから家族には内緒ね」
て、目の前の小学生?達の命の方が危険です。
駄目だこの大人達
ちなみに主人公とヒロインはノリノリで、友人Aはちょっと及び腰という、常識的な反応。しかし話を聞いてしまった以上、もう後には引けません。
その後は、新型LBX(当然、狙撃型)の調整などをしていてパレード当日(というか翌日なんですが)、「パレードの時間が早くなった?!」という所で、以下次回。
次回予告かと思ったら、物凄いシームレスにゲームのイベント画像に繋がって、次回予告とゲームのCMがドッキングした演出は凄かった。
そして次回、「狙撃手vs狙撃手」!
手の平サイズの狙撃ロボ同士によるスナイプ合戦(ただし下手すると総理がリアル死亡)て、熱いなぁ……。
「なぜ、不利とわかっていて、その銃にこだわる?」
「じゃあ、なぜお前は殺しをタブーにしている? 生き方ってのはそういうものだろう? 理屈じゃねえんだ」
(楯雁人&榊草平/『闇のイージス』より)
ぐらい、熱い展開だといいなぁ。
「若いスナイパーよ、お前の負けだ……。三発も撃って、俺を仕留め損なった……。狙撃手に必要なのは、何発も撃てる銃でも……防弾シールドでもねえ……。たった一発で一点を貫き通す、一瞬にかける意地だ……!!」
(榊草平/『闇のイージス』より)
名古屋・大阪でのライブを行う事を決定した坂本真綾(ツアー中)のメッセージ。
■〔坂本真綾から皆さんへ〕
出来れば全文お読みいただきたいところですが、この2節だけでも、是非。
音楽の力とは何でしょうか。私は今被災地へ行って歌を歌うことはできません。そんなものよりも義援金、物資、あたたかく寝られる場所、救助や治療が必要です。では音楽は、演劇や芸術は、今は無駄で、不謹慎なものでしょうか。私は、それは違うと思います。
被災地の人々が芸術や娯楽を必要としてくれる場面は、もうちょっと先の未来にやって来ると思います。今私たちにできることは、被災していないあるいは被害の少ない地域の人々に、活力を保ってもらうための何かです。
もともとファンなので好感度高いですが、その表現者としての姿勢に、一層の敬意を。
いつもなにごとにも必死で取り組んできたつもりですが、今回ほど人の前で歌うことが怖いと思ったこともなければ、今回ほど、どうしても歌いたいと思ったこともありません。