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『仮面ライダー THE FIRST』感想続き

なんか随分、間が空きましたが(^^;
前回書き忘れ、役者関係。
宮内洋は意識しすぎで、撮影時の監督の苦労が見て取れるようでした(笑)
すぐにヒーロー喋りをしてしまうから。
完全にファンサービスなんで、ここに突っ込むのはもはや野暮となってしまうのですが。
小峰麗奈(緑川あすか役)はアップにすると、やたらに吉本多香美@ハヤタの娘、に似ている気がする。
津田寛治さん、いい笑顔。
京本正樹がいつ出てきてしまうのだろうとドキドキしていたのですが、本当に出てきませんでした。
やはり関係者が全力で、電話を無視したのか?(おぃ)
あと前回、総評に書くべきで抜けていた所。
多分この映画の目指した所は、スタンダードスタイル、なのだと思います。
リメイクでなく(この点は、強調されていますが)、キャラクターだけ抜き出した映画でもなく、2005年のヒーロー映画
真っ正面から堂々と、2005年に撮ったヒーロー映画、をやりたかったのかなぁと。
歴史の蓄積を真摯に受け止めた上で、それを否定するのでも、その上にあぐらをかくのでもなく、魂を継承しようとする映画
故に、「継ぐのは、魂」。
……という話は、前回のアンチカルトの話と矛盾しないのか、という事になりますが、問題は「どうして特撮ヒーロー物はカルトになってしまったのか?」という所まで遡ったりするわけで。そもそも何故、特撮ヒーロー物はカルトになってしまったのか、ならざるを得なかったのか。カルトでなくてはいけないのか。
ここ10年(或いはそれ以上)の東映の一部プロデューサー、スタッフにおける隠れテーマは「特撮ヒーロー(物)とは何か?」だという風に理解しているのですが、カルトに安住しないでも存立しえる特撮ヒーロー物を取り戻そう、というのはその目的の一つだとも思っております。
アンチカルトは歴史の否定ではなく、安易である事への否定。
そういった点で、これは実は“もう一度、ヒーローをやりなおそう”という映画。多分。
だから、THE FIRST。
ここから何かが始まる……といいなぁとは思います。
以下、本編ネタばれありの感想。
豪快にするので、未見の方は御注意下さい。
久々に長いので、ご覚悟。
−−−−−
ここから先は、ネタばれあり空間ですよ。
さて、この映画に対する一つの大きなポイントは、
雪にうたれて自我を取り戻す本郷猛
というシーンを認められるか認められないか、ではないかな、と思います。このシーンを許容できれば多分楽しめるし、逆に許容できないと全体的に駄目ではないかと。
私はここで「あ、いいなぁ」と思えたので、楽しめましたけど。ちゃんと、伏線も機能してますしね。
頭打ったショックとかで治るとかより、よほどいいと思いますし。
何より、絵がいい。
あと、「罪」を犯した後で元に戻る、というのがこの映画の場合は良いのですよね、機能的に。その後、割とすちゃらか(?)に日常生活を送ってしまったりしている本郷猛ですが、改造人間としての原体験において罪の記憶があるというのがポイントなわけで(また、後に一文字隼人との対比に使われる)。
そうそう、すちゃらか本郷猛、というのが個人的には作中で一番引っかかった所であったりします。普通に大学に在籍した上に、研究発表のレセプションとかに出ている裏切り者ってどうなんですか、と。裏切った本人よりも、むしろ目撃者(緑川あすか)の方が危険な状況なのってなんだか不公平、とかは思ったりもするのですが、そこに限らず結局この世界観におけるショッカーって、世界征服なんですよね(笑) 終始、せせこましいというか一生懸命というか、作戦の展開が小規模。苦労して作った改造人間でやる事といえば、ビル荒らしや暗殺(まあこっちはそれなりですが)。しかも同時に作戦展開をする余裕も無いらしく、緑川あすかを狙っている間は、本郷猛は放置になっているとしか思えません(笑) 対本郷用に制作した刺客はおちゃらけですし。こちらの始末も大変です。そんな組織の状況を知ってか知らずか、周囲の人間が狙われる可能性とかはまるで考えずに、なんだか普通に大学に通いつつ、ストーキングだけは欠かさない本郷猛。
…………なんか、平成に入ってからのライダーって、ストーキング常習者が多いような?
(例:葦原涼とか明日夢くんとか)
そんなわけで割と本郷猛は脳天気というか何も考えていないかだと思うのですが、単なる研究バカ説もあり。
……この世界観の本郷って、IQいくつという設定なのかしら。
あと、ショッカーの改造人間被検体の選別基準も非常に謎ですが、これは多分、DNAが〜とか遺伝子が〜とか色々あって、肉体能力とか知能とかはあんまり関係ないに違いない(笑)
魔性の女・緑川あすかに関しては、基本的にノーコメント。
というか、映画的には、女優の説得力(極論すれば、演技よりも演出よりも見た目と雰囲気が重要)で誤魔化す所なわけで、そこまで要求するのは酷でしょうし、制限の中では頑張った方ではないかと。
キャラクター的には、本人の性格よりもむしろ、最初の方で本郷猛の水の結晶の話について嬉々として語っている所で婚約者がちょっと不満げな顔をする、みたいな演出の方が印象深かったりで。そういう所に考えの及ばない女、みたいな。その辺りの無頓着さに逆に外の男は弱い、みたいな信仰は、確かに男にはあると思う。
で、この映画の最も問題なシーンは、その緑川あすかを本郷猛(仮面ライダー)がバイクで家まで送っていくシーン、だと思うわけですが、あのシーンは何が恐ろしいかって、仮面ライダー本郷猛が
あの時点では単なるコスプレの兄ちゃん
なんですよね。
そもそも、バイクを止める本郷猛も、同様に立ち止まった上に後ろに乗ってしまう緑川あすかも、ちょっととんでもな性格しているわけですが、あの時点ではヒーローによる人助け、では無い。
あすかは朧気に自分を怪人から助けてくれた存在だという認識はあるみたいですが、それにしてもどこからどうみても街中を走っている姿は変な人、なわけで。
認識的には絶対、謎のコスプレお兄さん、の筈。或いはなんか、ちんどん屋みたいな商売をしているらしい人。
仮面ライダーというヒーロー” を→ “惚れた女を助けたいだけのコスプレのお兄さん”
にしてしまう、恐ろしいレトリック。
まあ実際にあの時点では本郷猛の認識的にもまだヒーロー未満の存在で、この映画は、ひとりの改造人間がヒーローとして立ち上がるまでの序章でもあるわけですが。
それにしても、これを正気でやってしまうから、今回の映画メンバーは恐ろしい。
恐ろしいと同時に、このシーンの是非はともかく、これをやれるスタッフが造った映画であるというのが非常に価値があったと思っています。
ノスタルジーやカルトに逃げ込まないという強い意志こそ、必要なものでしょう。
ただまあ、これをやってしまったせいで、どうもこの後、敵の怪人が全てコスプレ超人に見えてしまうわけですが(笑) 設定敵には、強化服と仮面はあくまで特殊能力の補助であるという事なので、それで構わないのでしょうけど。コブラとスネークなんかはバックストーリーをつけてしまったから余計に、変なコスプレしているウェインツとかに見えてしまって、生身すぎたのは個人的にはちょっと辛かった所です。
この、怪人とクリーチャーの分化というのは非常に諸刃の剣で、テーマ性とエンターテイメントとのバランスがギリギリ危ういなぁと。
やっぱり、中の人間が見えない方が、楽しい事は楽しいのですよね。
この辺りのドラマ性が、クライマックスをやや濁らせてしまったのは、この映画の欠点の一つかなと。
構成に関しては、なんだか無駄なシーンが挟まれるなぁと思っているとそれが全部伏線になっているという造りで、井上敏樹の意地というか、少しはトリッキーな事したかったのか、みたいな。
もの凄いベタベタな事をやって、もの凄いベタベタに持っていくのですが、嫌いでは無いです。
なぜ“名も無き医師”役に風間トオルなのかと思っていると、ある程度の知名度があってなおかつ印象的な顔の役者を使う事によって、シーンが繋がっていると錯覚させるという手法にはまんまとはまりましたし。今作のベストキャストといえば、ベストキャストな気が。
女の子に変な語尾で喋らせるあたりは、さすが井上敏樹というか。ああいうのはむしろ、恥ずかしさを追求していった方が違和感が無いというか。変にリアルで無い方が良いのですよね。浮き世離れさせてしまった方が、むしろしっくりとする。そういう意味では、病院の二人のシーンに関しては、最初から最後のお花畑まで、浮き世離れが追求されていて、実はそれがショックアブソーバーになっているのですけど、その辺りスタッフはちゃんと考えているのだろうなぁと安心できるのが、良い所。
いや、あの一連の流れは、冷静に考えてしまうともの凄いえぐいわけで。そのえぐい部分を考えてしまうと、スパイダーとバットについても(場合によっては戦闘員も)考えないといけなくなってくるわけで、別にそこまで考えてもいいのですけど、でも映画を一見した時にはそこまで考えなくてもいいようにする為に、非常にファンタジーにしているわけですよ。映像的にも、脚本的にも。その辺りをきちんと考えている所が、偉い。
これはもう、出来云々とは関係無いところで、そこまで考えて作っている人が現在どれぐらい居ますか、という話なのですけど。こういうのを正しく、“プロの仕事”というわけで。
最後に半ば唐突にボートに乗って孤島へ向かう所は、笑って許す所かなぁと(笑)
わざとらしく映画的というか。
ただ、この辺りのはったりの効かせ方というのが、日本人(まで広げてしまって良いのか?)は下手なんでしょうなぁ。
アメリカンは、そこが上手い。
上陸したらいきなり、「派手に花火を打ち上げてやるぜ!」「Ya−ha!!」みたいな感じでドンパチ始めてなし崩し的に盛り上げてしまいますし。
その辺りを、バイクと肉弾戦で何とかしようというのが意地であったり実験であったり目的であったのだろうと思うのですが、やはり少し足りない。スタッフ一同、もの凄い気合いを入れたらしいダブルサイクロンの登場シーンとかは凄い格好いいし(というかもう、あれがまさにクライマックス)、アクションも悪くはないのですけれど、盛り上げきったかというと、そこまでは行けなかったなぁと、不満が残りました。監督は本当はクライマックスをナイトシーンにしたかったらしく(プログラムのコメントより)、それは割と納得。
ちなみに、従来の日本的作劇においては、こういうシーンは時代劇方式で処理される場合が多かったりします。いきなり敵の懐に飛び込んでいる、というパターンですね。この映画になぞらえるなら、あわやドリルであすか頭蓋骨解放、の寸前にチョップなりキックなりで機械が止まり、見得を切りながらライダー登場。クライマックス戦闘は、そのまま基地内部で、みたいな。
正直このパターンも有りだったとは思いますが、その辺りは多分、サイクロンジャンプも含めて、突撃→戦闘、というのをやりたたかったのかな、と思います。あと、花畑。
あとクライマックスで不満なのは、結局コブラとスネークのドラマ性に引きずられすぎてしまった結果、最終戦闘にカタルシスが足りなかった所。ここがもっと良かったら、更に評価するんですけど。
個人的には、もう1戦闘あっても良かったと思うんですよね。連中を倒してアジト内部に入り込んで、あすかを助けた後、隠し玉的な強力怪人が登場し、そいつを倒して脱出、みたいな。
まあそれをやってしまうと、怪人側のドラマ、というのが薄れてしまいテーマ性に関わる問題になってしまうので、出来なかったのでしょうけど。
でも、やってほしかった。
いっそ、最後に緑川あすかと戦うというオチでも良かった(笑)
この辺りは、一つの映画として完成させつつ次回作の可能性なども匂わせたりいけないなど、バランスの取り方も難しかったとは思いますが。
それからせめて、コブラとスネークは最後、お花畑で爆発させてほしかった。
ついでに、ショッカーの基地も爆発させてほしかった。
……単に、爆発が好きなだけですか?
後やっぱり、緑川あすかのモノローグかぶせで、海岸を歩くライダーというオチは、いまいち。
マスクを置いてどこへともなく去っていく2号、の方が格好いいのですもの(笑)
というか、そちらが結局、30年の時間を経て熟成された公約数的ライダーのイメージに近い形であり、それに対して、「いや、貴方達は否定するかもしれないけど、こういうのも有りでいいんじゃないの?」というのが“海岸を歩く1号”の方なのでしょうけれど。そう考えると、わざとらしすぎるほどわざとらしい、何故か突然水辺で戯れる本郷とあすか、のシーンは嫌がらせ的な伏線だったのか、と(笑)
まあこの嫌がらせは、あまり感心しない嫌がらせだとは思いますが。
あと、シーンの思想的なものはともかくとして、絵、としてあんまり格好良くなかったのですよねぇラスト。その辺りがなんとなく、全員が最後の最後で息切れした、みたいなこの映画に対する最終的なイメージになってしまうのですけど。
コブラとスネークを倒した所で、なんかもう、ガソリンが尽きた、というか(笑)*1
ホント、もうちょっと最後が、がしっとしていたらなぁ。
と、そこは非常に惜しく感じるのであります。
この一連のクライマックスに関する不満はどうしても拭えないのですが、全体としてはやはり好き。
今回、脚本(井上敏樹)も監督(長石多可男)も、コアな意味での私の“好き”に対応するような特段目立った事はしていないですし、要するに全体としての造り方や空気が好き、というのが一番ですかね。
あと多分、目指そうとしている所に共感できるから。
まあこれはこの10年来ずっとの思い込みという可能性もあるのですけど(笑)
いやーでもホント、『シャンゼリオン』から10年経っているというのは驚きですよホント。プログラムの欄外解説でちょっとDだけ、『超光戦士シャンゼリオン』について触れていたのも驚きですが。ホント、何者かの陰謀を感じる(笑)
あと最後に一つ、さすがに見てからだいぶ経っているので確証は無いのですが、多分、この映画の劇中で“正義”というテーゼは持ち出されていない筈。
持ち出していないけれど、本郷猛に一つの決意表明をさせています。
これが実は凄い重要で、1996年から2005年を結ぶ一つの糸なのですが、やはりこの辺りはニューウェーブ特撮として一つの別枠で定義付けするべきだよなぁとか改めて思ったりする次第。
その内、時間があればちゃんとしたい。
とかまた話が最後にずれましたが、また思い出した事があったら追加する場合も有るかも無いかも。
DVDになったら買う事だけは、今回改めて確定。

*1:とはいえ、劇中の流れに沿って撮っていたわけでも無い筈なのですけどね(笑) まあ、たまたまそうなったという可能性もありますが。