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六月の勝利の歌を懐かしむ〜トルシエ会見全文集より〜:10

〔スポーツナビ | サッカー|日本代表 | トルシエ会見全文アーカイヴ〕
また久々。とうとう、番号が二桁になってしまいました。企画始めた当初はワールドカップ開催の頃には終わるかなぁとか思っていたのですが、良い意味でも悪い意味でも面白く、予想を超えた読みごたえに、読む→理解する→抽出する、の作業に時間がかかっています。とりあえず、コンフェデ終了した辺りで、2回目のひとまとめを入れたいつもり。
さて今回は、前回から引き続き、マスコミへの不信と不満の募るトルシエが、変なテンションで登場し、スターシステムをぶったぎって大暴れです。


〔2001.5.30 コンフェデレーションズカップトルシエ監督カナダ戦直前会見全文 〕より
みなさんこんにちは。今朝は本当に、気分というか機嫌がいいですね、わたくし。実は、何か物足りないものがあるのではないかとずっと探していたんです。私には何か足りない。私の体の問題であるか、食事の問題、精神問題、文化の問題、国籍の問題かを、ずっと探していて、でも回答が見つからない。そして奇跡的に出てきました。今朝6時に起きて、私のベッドの横にあるかばんにやっと見つけた、黄色で魔法のようなもの。「え、これはなんだろう一体。あっ、キャプテンマークだ」。そしてすぐ腕につけると、完全に変わりました。顔つきも、首ももうちょっといい位置に。
わけわからないよ、トルシエ(笑)

「全員にキャプテンマークをつけないといけない」。それで、彼らは強くなって、彼らはおそらく今の私みたいに強くなるでしょう。

成熟したプレスであれば、私は全部の練習を見せますよ。随分、想像で記事を書いているから、もう想像で書いてくれ。本当の自分の目で見て解釈する私の練習のテーマよりは、自分で見ずに想像で作った記事のほうがいいというので、この3年間いろいろな努力をして、自分の戦術を合理的に説明しましょうということでやってきたが、あまりプレスの成熟が進まなかったから、じゃあ結果でいいと思って。

カナダに0−5で負けて、0−10でカメルーンで負けて、それでブラジルにわずか1−0で勝てばナショナルヒーローになるから。逆にカナダに5−0で勝って、カメルーンに10−0で勝って、それでわずか0−1でブラジルに負ければいろいろぼろくそに言われるし。

98年のワールドカップの優勝はフランス国内サッカーの優勝ではありません。海外のフランスの選手の優勝であります。日本も外国に出るしかありません。それは、不可欠なプロセスです。

確かに日本のクラブが自分の選手を出したくないというのは大きな問題です。なぜなら、日本の選手って国内リーグでもうすでに大スターなので……、じゃあ、そのスターシステムは何ですか。スターイコールビジネス。今の国内リーグでスター抜きでやっていれば、もちろん素晴らしい選手や若い選手もいるし、世代交代が国内の選手が外国に行けば(進む)と思いますが、日本ではまずビジネス(ありきで)、そのあとはスポーツです。

スターはこういう状況の中で、そんなに調子が良くなくても体調が悪くても、クラブがそのスターを出しますよね、自分の宣伝になりますので。だけれども、本当の厳しいところであれば、スターをたまに外すべきです。それで、私だったらこのスターの調子が悪ければ、試合中1分しかださない。でも、とにかく1分しか出なくてもプレスはその選手をスターにしますから、それはプレスの問題ですね。だから、そんなにサッカーを知らない人、普通にサッカーが好きだけれど内幕のことを知らない新潟の人*1は、スターばかりを見て「この人は本当にスターなんだね、神様なんだね」と信じる。それは大きな問題です。だから私はスターシステムを完全に否定しています。戦いたいです。だから日本でスターになった選手がすぐに海外にいかないと私は頭にきちゃいますね。

日本ではお金を稼いでゆっくり簡単な生活を送ってそれで終わりなんです。だけど、そのシステムを変えないと、もちろんワールドカップまではなかなか厳しいですけども、いくつかそういうシステムを変えないと。私はそういう改革、革命を期待しています。

代表以外のこともどんどん言わないと日本のサッカーは進歩していかない。私の期待は自分の代表、自分の大会だけではありません。

ゴルフをやって、リーグを半年だけやってという日本式のサッカーだったら、日本は強くなりません。日本では零下になるとサッカーも止まりますし、選手がちょっとした小指の捻挫ですぐにドクターが10人もやってくる。甘いんですよ。もちろん快適でやりやすい環境ではあるんですけど、これは現実的ではありません。
トルシエは、北国の方に行った事あるのかわかりませんが、とりあえずこの頃は冬でもサッカーやるべき派なんだよなぁ。まあ、夏とか冬とかいうよりは、厳しい環境でのサッカーの経験値を高めよう、という意図みたいですが。

――ワールドカップの本番まで1年になって、キャプテンが必要だという認識に立っておられて冒頭のような発言をされたのですか


グラウンドの上でのキャプテンはまじめな話、そんなに必要ではありません。しかし、行政的な役割を果たすキャプテンは必要です。キャプテンの意味は何でしょう? その定義をお願いします。グラウンドの上の監督ですか? ご自分なりの信念を通じてのキャプテンの定義をください。
キレ気味に質問返し。

――私が考えるのは、グラウンドの上で選手を自分の裁量で動かすというか、監督とのコミュニケーションが取れないときに……


本当にそんなキャプテンがいると信じますか? そういうイメージはもうなくなりましたよ。今の考え方では、まさにグラウンドの上でのコーチという意味ですよね。そうですよね? でも、じゃあ今の現状を見て、責任感があって、戦術の素晴らしい理解度があって、グラウンドの上の監督である選手って世界中にいますか?

(質問した記者のもとに歩み寄って)じゃあ一人の記者にキャプテンマークをあげますので、付けてください。はいどうぞ、付けてください。これで強くなりましたか? 何かもっと明確な判断ができますか? これで別人のようになる、またはチームがモチベーションが上がると思いますか? まじめな話、キャプテンマークをつけたことで、チーム全体、その選手自体が変わると思いますか? 必要ないです。
振り返ってこうやって読んでいると面白いですが、現場の記者達は大変だったろうなぁ(笑)

モダンサッカーではキャプテンマークを付けることでチームの雰囲気が変わることはないというのが私の信念です。

私のアプローチは極めてまじめで、より高いレベルでやらないといけません。けが人がどうのこうのではなく、ベストチームで戦うという意識を捨てないといけません。言い訳は作りません。「これは私のチームではない、この選手もいない、あの選手もいない」というような現実を語るつもりはありません。

*1:試合が新潟で行われる為、新潟、という言葉が出てきたと思われる