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『逆シャア』感想のメモ

とりあえずメモ的に、昨日見た直後にTwitterで呟いた事プラスアルファ。後でちゃんと文章にまとめて起こす、かもしれない。

  • 久々に見た『逆襲のシャア』は、「抱き合いたい(抱きしめたい)」という映画だった。ごく一部だけ、「殴り合いたい」。
  • 今回気付いた事。序盤、ニューガンダムを受け取ったアムロが「月から戦場へ」向かう所と、レウルーラのシャアが「外交交渉の為にロンデニオンへ」向かう所が、シンクロ(対比)している。
  • 富野演出は、大枠とか目立つ所だけが取り上げられがちだけど、ちゃんと小技効かせているから、物語が成立する。
  • 改めて確認した事。『逆シャア』では、徹底的に「末期の台詞」が存在しない。
  • 歳を取ってから見ると、ギュネイは結構いい奴。クエスの“カルトにはまった人”っぷりの描き方は凄い。
  • ギュネイは、引っかかった女が悪すぎた。というか、何故クエス? となると、その理由を描くまでの時間は無かったので、なんとなく、強化人間の不安定さ、みたいな所を理由にして誤魔化しておく他なくなるかここは。
  • エスがもう少し年を取っていれば、ギュネイをうまく手の上で転がせた、のではあろう。
  • ギュネイみたいな男は、多分それで割と幸せ。
  • 以前見た時は、映画的に当座のヒロインをフィーチャーする演出だと思っていたのだけど、明らかにそれ以上の意図で『逆シャア』は男女のべたべたが多い。
  • コロニー内のエレベーターで、ハサウェイ同乗しているのに、手を繋ぎっぱなしのアムロとチェーン。
  • その他、この二人のオフィスラブは、場所を選べ、という感じ(笑)
  • まあ、なんだかんだでアムロは部隊でも特別視された存在で、チェーンの方は、微笑ましい、ぐらいの扱いか。
  • エスって物語的には居なくても成立しそうなんだけど(多分それで構成した方がすっきりする)、あの当時、富野が、クエス(的なキャラ)を書かなくてはいけない、と強烈に思ったんだろうなぁ。
  • id:toroneiさんより クエスについて「(富野) 本人も言ってたような。クェスはいらないし嫌いだけど、いま描かないといけないって」
  • 富野監督は、この辺り、自傷的な傾向が、やはりある。
  • 30男(アムロとシャア)が野外で組み合ってスマートでない殴り合いをせざるをえないやるせなさ、というのは今見ると印象深い。
  • ララァとは別に、『ガンダム』における“母性”の頂点であるミライさんが、シャアを「純粋」と評するのは、きっと重要。
  • それは同年代の同性には、「インテリの上から目線」になる。
  • 最後の最後で、アムロとシャアは、お互いの器の小ささをなじりあう!
  • id:Louisさんより、小説版『逆シャア』シャア最後の台詞 「……アルテイシア……わたしは、お前に情けない兄だと言われたくないばかりに、こうしたのかもしれん。アムロに運命を託すようなことをな……しかし、こうなるとはな……」「しかし、このほうが、アルテイシアに褒めて貰えるのかな……?」
  • 最終的にアムロとシャアに関しては、15〜20年ぐらい前に、夕陽の河原で殴り合っておけば良かったね、みたいな視点が富野の中に存在しているぽいのですが、同時に、しかし人間と人間の関係はそう都合良くも理想的にもいかない、という視点が存在している、というのが『ガンダム』の『ガンダム』たる所以なのであろう。
  • ハサウェイがクエスに語る、「顔を見れば苛々なんて無くなるよ」(うろ覚え、ちゃんと書くなら後で確認)が、一つの中心点。
  • エスが最後、ハサウェイをかばうような動きをするのも印象的。クエスは「危険」ではあるけれど「悪」では無くて、クエス的なパーソナリティを、誘導する存在の中に本当の「悪」がある。そういう点で、この映画ではかなり意識的にシャアの中に「悪」の部分が置かれている。
  • この辺りは突き詰めていくと長くなるので、とりあえずパス。