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『機動戦士Vガンダム プロジェクト・エクソダス』感想(かなりネタバレ)

かつて、『機動戦士Vガンダム外伝』として発行されていたコミックスの復刊版で、「機動戦士Vガンダム プロジェクト・エクソダス」と「機動戦士vs伝説巨神 逆襲のギガンティス」の2編を収録。
帯が「ウッソ ジュドー ミネバ アムロ シャア イデオンと、なんかもう頭オカシイ。

宇宙世紀0153年、地球圏統一をもくろむザンスカール帝国は、サイド6の外れで不思議なスペースコロニーを発見する。それは、二つのコロニーを連結した、極めて巨大なコロニーであった。同じ頃、リガ・ミリティアパイロットとして戦うウッソ・エヴィンは、金色のMAとの戦いに敗れて宇宙を漂っていた所を、木製輸送船に拾われる……。
巨大コロニーの正体はなんなのか? ウッソを拾った輸送船のリーダー“木星じいさん”の言う“計画”とは何なのか? そしてウッソは居場所を捉える事のできない金色のMAに勝つ事が出来るのか?
作者お得意の、本伝の隙間を利用した、“歴史の影にあったかもしれない”ifストーリー外伝。
物語はウッソが主人公を務める以外、『Vガンダム』本編にはほぼ一切関係なく、『ガンダム』〜『Vガンダム』の世界観を背景に、50年代SF的な発想に、思いっ切り翼を伸ばしてみた、という感じ。
作者の得意分野であると同時に、まさしく、TVシリーズでは描きようの無かった、有り得たかもしれない『ガンダム』世界の一側面、宇宙世紀も150年も経っていれば、技術的にも思想的にも、そういう発想をする人が出てきてもおかしくないかもしれない、という部分が活写されているのは、お見事。

「この“ダンディ・ライオン”は……コロニーではない! 宇宙船――なのだ!」
「だ、だけど? いったいどこへっ、どこへ行くんです?? こんな巨大なコロニーごと?」
「プロキシマ……ケンタウリだ!」
「にげ出すのよ。この“地球圏”からなっ!」
「コロニーを……つくるんだよ。おれ達ゃあ」
「もう――おれ達はどこへだっていける! どこにだって住むことが……できるんだから……」

木星船の名前が“ハインライン”でニヤリとさせる所も含めて、地球から切り離された人々が宇宙人へとなっていく過渡期を描き、SFの趣に溢れた一編。富野由悠季が今作を読んでいたかは知る由もありませんが、後のタッグ作品『クロスボーンガンダム』の確かな萌芽も感じさせる内容となっています。

  • 「機動戦士vs伝説巨神 逆襲のギガンティス」

宇宙世紀0091年、木星――この人類最果ての地で暮らすジュドー・アーシタの元を、アムロ・レイが秘密裏に訪れる。その目的は、木星圏で観測された、ジオンの残党によって開発されたものと思われる、推定全長100mを超える超巨大MSの破壊と発見! そしてそのMSは、コードネーム“伝説巨神”と呼ばれていた……!!
ガンダム』vs『イデオン』というバカネタ。
バカネタなのですが、ギャグでもパロディでもなく、『ZZ』〜『逆襲のシャア』の空白期にねじこんで、“あったかもしれない物語”として描いた、力業の大作。
なお本編では「イデオン」という名詞は使われていない(“伝説巨神”や“血まみれの巨神”と呼称)のですが、帯に「ガンダムvsイデオン」と書いてあって、色々と台無し(笑) いやまあ、隠すまでもなく完全にイデオンなんですけど(笑)
とにかくこれがまあ、凄い。
散りばめたネタが化学反応を起こしまくって、原子崩壊しそうな勢いで凄い。
コンセプトがバカネタなのに、シリーズの大きな謎の一つである、“なぜ木星帰りの人間だけが、例外的にいい年した男でもニュータイプとなるのか?”という部分にもアプローチ。初代・Z・ZZと踏まえた上でそこにイデオンをぶち込み、逆シャアまで繋げてしまうという、どう考えても有り得ないのに、“あったかもしれない物語”として成立させてしまった、恐るべき長谷川裕一の本気。
更に作者はこの世界の中の小説家として、ヨシユキ・トミノまでをも登場させ、彼が“伝説巨神”というフィクションや、アムロらの歴史小説を書いていると言及する。そして、
「奴が……巨神が警告として見せた夢を……“その男”が、物語として書き留めただけだったとしたら? 偶然じゃない……できすぎだものなっ。ヨシユキ・トミノは……木星帰りなんだ。最初の木星の……」
とか、もう無茶苦茶(誉め言葉)。
主人公がジュドーなのも、面白いところ。またそのジュドーが死者の魂を振り切る形で、此の世と彼の世を繋ぐ『Zガンダム』や、人の命を吸う『ZZガンダム』のエンディングに対する、正のベクトルのアンサーを一つ描いている所もお見事(またそれが、死者の魂に縛られているアムロとシャアとの対比になって、『逆シャア』前史として収まっている)。
あと、ベースは『ガンダム』vs『イデオン』なのですが、最後に『ダイターン3』も入ってきて、前二つだけというよりも、全体としては、富野サーガへのオマージュ、と言えるかもしれません。
原典への愛とSFマインドの織りなす、怪作にして快作。
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両作品に共通して言える事ですが、“あったかもしれない物語”として真剣に書きながらも“なくても困らない御伽噺”であるという、匙加減が絶妙。『機動戦士Zガンダム1/2』辺りが顕著ですが、ifストーリーとしてのタッチの柔らかさは、ベテランの味と余裕でもあるのでしょうが、あくまで“遊ばせてもらっている”という距離感が、長谷川裕一は巧い。
その上で真剣に遊んで、自分の土俵で味付けする事で、ただのパロディに終わらない作品として成立させる手腕は、さすがの一言。
そして例のごとく例のように誰でも脱がすのは本当に凄い(あれ?)
長谷川裕一ぐらい道を極めると、もはや「凄い」としか言いようが無いと思う今日この頃(残念ながら、嗜好が一致しないのですが)。
あと長谷川さんのガンダムif物は登場人物の多くが、戦争なんて本当はバカバカしい、というスタンスなのが辺りが柔らかい要素の一つかな、と。好きとか嫌いとか、正しいとか正しくないとかではなく、バカバカしい。この辺りが、面白い所だと思うわけであります。