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大トミノ祭:『伝説巨神イデオン』1話詳解

何だかもやもやしたので遂、『伝説巨神イデオン』1話を見てしまいました。
今作における、「あ、戦争になっちゃった、てへっ」感は、アニメ史上の白眉。
お嬢様の我が儘と現場の保身が絡み合って、一発のミサイルのスイッチが、あっという間に星を呑み込む戦火となる。
自分の事と目の前の事しか見えない人達が引き金を引いて、その後で「こいつらが俺達の星に攻め込んでくるかもしれない」などと理論武装する所が怖い。そして恐怖は伝染し、疑心は拡大し、戦いは戦いを呼ぶ。
それが真っ正面から、どこにでもある人間性、として描かれているのが物凄い。
いい時の富野演出というのは(作画スタッフの力量の影響も出てくるので、必ずしも演出だけの問題ではないですが)、空間の使い方が広い。『イデオン』は凄く、空間が広い。一方、『ザブングル』や『エルガイム』は、空間が狭い。
ザブングル』や『エルガイム』の場合、他作品との対比もあるのでしょうが、地べたを意図的に描いている節はあるのですが、それにしても画面の中の情報が煩雑で全体像が掴みにくい。そこへ行くと『イデオン』は、演出されている空間が広くて、見ていて凄くスッキリします。
舞台空間とそこで行われる劇が凄く噛み合っている、とでもいえばいいか。
『ザンボット3』〜『イデオン』までの富野監督は、実にキレている。
まあしかし、『ガンダム』−『イデオン』でここまでやってしまうと、『イデオン』〜『Zガンダム』の間で、他の方法論を模索する中の迷走めいた部分が出てくるのも、仕方ないのかもしれない。
イデオン』と『Z』の1話は、改めて見ても、「ああやっぱりこれは凄いな」というのが、実に凄い。
以下、順を追って少し詳しく紐解いて見ます。長いので興味の無い方はスルー推奨。また『イデオン』1話の詳細な内容に触れますので、ご了承下さい。
−−−−−
最初のカットは、どこかの鬱蒼とした森。トカゲのような奇妙な生物が木から落ちる、少々コミカルなカット。BGMも明るい。
そこへ雨のように落ちてくるピンクのヒルを払いながら森の中を進む5台の戦車。先頭に立つ男の指揮のもと、どこかへ向かっているらしい。
それを車で追いかける少年&車内に隠れていた子供。
更にその後をバイクで追いかける少女。
テンポよく切り替えつつ、情報量が過剰にならない範囲で、順々にキャラクターが登場。台詞から、それぞれが知己である事は判明。明確な目的があるらしい軍の男(ベス)、彼に何かあるらしい少年(コスモ)、その二人の動向を気にする少女(カーシャ)、と思惑は違うが、共通の目的地、同じ方向へ向けて進む・物語も同様のベクトルを取る為、視聴者を引きずる力が働く。
その時、少女の頭上、木々の間から、宇宙船の姿が見える。
観客の視線が“上”へ誘導される。
この時の空間の広がり方というのが、実に秀逸。
そこから、カメラは宇宙港に着陸する宇宙船を追う形となり、薄暗い森の中から一気に世界が開ける。
宇宙港の男達の台詞で、宇宙船が移民船である事、主人公達が居るのが移民惑星である事の説明。
森の中を走っていた戦車部隊が、森を抜けた発掘現場に到着する。
ここまでが第一幕。
発掘現場のひらけた空間からカメラが上空にパンしていって(既にこの前段階で、移民惑星という背景説明と同時に空間が上に広がっているのが前振り)、宇宙。
惑星から少し離れた宇宙空間に一隻の宇宙船の姿があり、指揮官らしき二人の男が惑星から回収した調査機のデータを確認、何かの調査に来たらしいが知的生命体の存在に困惑している。
自分たちと同一の文明レベルを持った異星人ならば接触を避けなければいけないとしながらも、本心ではそうは思っていない
「あの建物の型は、我々の旧世紀時代のものだぜ」
男の一人が、文明の一面を見て、その推測を補強する。
歴史上繰り返されてきた、慎重さにはかけるが人間としては普通の反応。
それでも今後の事を検討しようとした男達だったが、一台の円盤が宇宙船を飛び立ってしまう。
「またか……」
苦虫を噛み潰す指揮官。指揮官からも「様」付けで呼ばれたり、パイロットから「お嬢様」と呼ばれるなど、なにがしかの特権階級にあるとおぼしき女(カララ)は、指揮官の制止を無視して惑星へと向かう。仕方なく、二台の円盤に追跡を指示し、こうして3つの円盤が眼下の惑星へと向かっていく事になる。
ここまでが第二幕。
その頃、森を走り抜けるコスモとカーシャ。カーシャのお尻にヒルが吸い付くなど、ちょっとしたサービスシーンと女性らしさの演出。
発掘現場では、ベスが科学庁の学者達を詰問。発掘現場にある巨大なメカはどう見ても兵器であり、軍部の管轄に属するものというのだ。調査中で軍部に報告のしようもなかった、と女学者は説明するが、ベスは聞く耳を持たない。
「許可なく作ったんだ。軍で引き取らせてもらう」
「作ったんじゃありません、復元したんです」
「地球から持ってきて、ここで組み立てた?」
「ふん……まさか。信じないでしょうね。これはソロ星のこの場所から発掘された遺跡なの」
「遺跡?」
腹をかかえて大笑いするベス。
立場の違いで物の見方も変わり、「復元」という言葉の意味まで変わる、と短い中に非常に要素の詰まったやり取り。同時に流れで、移民惑星の背景を説明。
女学者はベスをひっぱたき、現場は剣呑な雰囲気に。そこへ現れたコスモ(学者の一人の息子だと判明)もベスに突っかかる。
ここまでが第三幕。
惑星の大気圏内に入ったカララの円盤は、微弱な電波をキャッチした事から、それなりの文明レベルを持った知的生命体の存在を確認する。
「どの程度の科学力と思うか?」
「わかりません。文明が発達している星なら、この星はもっと開発されている筈ですし」
建物の形・電波の利用・開発度、など細々と文明レベルに対する判断基準を積み上げている演出。
ただし彼等は、この惑星が移民の途上で、極めて限定的な開発しかされていない事を、知らない。
致命的な食い違いは、視聴者には提示されている。
この時のカララの「じゃあ、見てみましょうよ」と言う時の表情はまた非常に秀逸。
円盤を着陸させ、部下Aと共に二脚メカで外へ出るカララはパイロットに
「上手く行ったら、おまえをサビアの位に上げてあげます」
と告げ、なんらかの階級社会である事が示唆される。
また、カララ自体には、権力者の放蕩娘とでもいった具合の推測が可能となっていく。
二脚メカで大きくジャンプしたカララは、森の上から発掘現場のテントを発見。
ここで、最初のショックシーン的な音楽が使われるのは印象的。
そして続く低音の連なりが、着地後にも心理的な驚愕を引っ張っている演出を補強。
その驚愕の醒めやらぬ内に、部下に「いかがなさいます?」と聞かれて、思わず「……え?」と返しつつも(この時、顔が部下の方に向けられる事で隠れ、敢えて視聴者に見せないのも秀逸)、今更後戻りできないカララは身を隠しながら発掘現場へと近づいていく。
この時のカララは、本来は郊外の森から確認された都市に向けて隠密に行動しようとしていたのであり、発掘現場を発見した事自体はイレギュラーだったと思われる(それ故にショックが強い)。しかし、冒頭から主人公達の目的地として、発掘現場に物語の進行方向が向けられているので、観客にとっては必然性を持った劇の流れとして成立する。
カララが森の中から発掘現場を観察しようという頃、彼女を追跡してきた2台の円盤も惑星の大気圏内に侵入する。
シラクめ、相変わらず、いい腕してやがるぜ。とうとう我々を撒きやがった」
男達には、女パイロットに対するちょっとした意地がある。
また、大気圏突入前にカララを確保できなかった事、現在見失っている事、詳細不明の知的生命体との接触の可能性への脅え(と自分たちの方が上等だという根拠のない驕り)、など、重ねての説明はされないが、心理的なトリガーは積み重ねられている。その為、この時点から、顔に汗の浮いている円盤パイロットA。
カラルの姿を探し、遺跡上空へと到達する円盤。そこに見えた戦車の姿に、パイロットAは

ミサイルを発射してしまう

そして着弾するミサイル、という所でアイキャッチ。CMへ。
これ以上無い、という凄まじいタイミングのアイキャッチ
ここまでが第四幕で、第五幕はBパート通し。
物語冒頭に提示された目的地(発掘現場)に登場人物と全ての要素が集合した事で、物語は必然を持って劇的に展開、クライマックスとして集約される。
ここではこの発掘現場こそが世界の中心(或いは果て)である。
「迂闊な、異星人の力もわかっていないのに」
森の中から僚機の攻撃を見て、自分の事は棚にあげるカララ。

「なぜ撃った?!」
「あの近くにカララ様は降りたんだ。カララ様にもしもの事があってみろ。我々は奴隷になるか悪くすれば自爆させられるんだ。わかってるだろ、やるしかなかったんだ!」

自分の事と目の前の出来事しか見えてない者達(カララ含む)は簡単に引き金を引き、
「追いかけてきた2機 異星人に仕掛けられたのか?」
森の中に待機していた女パイロットは、僚機の動きを見て誤解して離陸する。
ここまでは勢い。
しかし戦車隊の反撃を受けてその文明レベルが自分たちと同等だと見て取った彼等は、
「もう叩くしかないだろう、俺達の星を、奴らに侵略されてもいいのか!」
と大上段の理屈を持ち出し、後付けで理論武装して、正当化する。
これは、個人的な理由ではない。もっと大きなものの為に、仕方がなかったのだ。
もののはずみと自己の保身を大義にすり替えて、歴史は動き出す。
この流れが物凄く怖い。
この15分あまりの中に、歴史観とか人間観とかが物凄く詰まっていて、非常に怖い。
感情のもつれや個人の迂闊さ、誤解・すれ違いから発生した間違いは確かに悲劇ではあるが、そこに理屈をつける人間性の一面にこそ、真の恐ろしさがある。劇的にする為に物凄く端的に濃縮されているが、ここを描ける事が、富野由悠季の真骨頂。
円盤部隊の攻撃を受け、次々と死んでいく発掘現場の人々。
遺跡メカのガレージに逃げ込んだコスモ達の目の前で、紙一重で死んでいく博士。
乱戦の描写はまた、富野監督の十八番。テンポとキレがいいのは、率直な所、演出としては殺してしまう方が楽だから、というのはある。例えるならこれは時代劇の殺陣のようなもので、切りつけた敵がいつまでも中途半端な状態でフラフラしていると、リズムが生まれないし、物語の導線が切れない。アクションと退場が一体化する事によってリズムが発生し、次のカットへとの切り替えがスムーズになる。そしてカットごとの時間配分で劇のテンポが発生する。
乱戦の中でアクションの標的が退場しない場合、導線を引きずったまま物語を進めるか、別の方法を持ち込んで導線を切らないと、観客の印象が散漫になってしまう。それをわかりやすくるのが、殺す(少なくとも行動不能にする)事の、効果。
例えば同監督の『オーバーマン・キングゲイナー』は、“殺さない事”を前提にしているので、主役メカの攻撃が敵メカの砲台などの部位狙いだったり、爆発した敵メカから敵兵士が逃げるカットを入れたり、コックピットから落ちた敵が地面に転がって無事なカットを入れたりなどする必要がある為(これをルーチンにしないために、笑いの要素を随時取り込んでいる)、カットの切り替えとテンポの調整には苦慮している部分が窺える。
混戦の中、ベスの指揮する戦車部隊の反撃で、女パイロットは円盤ごと墜落爆死。
もう連鎖反応は止められない。
円盤は二脚メカによる降下部隊を繰り出し、光線銃とライトセーバーでこれと戦うベス(ここは完全に『スター・ウォーズ』オマージュ)。特に低重力の描写はここまで無かったのにベスがやたらに身軽なのが少しおかしいが、靴に何か仕込んであるのか。また、メカから落下した敵兵を容赦なく撃ち殺す。
そんな戦いの様子を冷静に森の中から観察し、異星人の男(ベス)の声を、翻訳機で拾うカララ。
恐らく彼女は、本質的に兵士の命を何とも思っていない。或いは、そもそもそういう感性を持ち合わせないように育てられている、とおぼしい。
混乱の中、女学者、コスモと子供、カーシャがそれぞれ乗り込んだ遺跡メカが動き出す。次いでメカに乗り込んだベスは街まで退却をはかろうとするが、円盤から降り注ぐ激しい爆撃。爆撃をものともしない3台のメカだが、その時、内部のゲージが輝き、メカは勝手に動き出すと、地上を走りながら巨大な人型へと変形合体する。
盛り上げながらも、どことなく不安をかき立てるような、すぎやまこういちのBGMが絶妙。
異星人の新たなメカの登場に動揺する円盤パイロット達だが、もはや彼等も引くに引けない。
「本体に真っ直ぐ帰ってみろ! ギジェの若造に馬鹿にされるのが落ちだぞ!」
ここで再び、個人のエゴが動機として再提示される。
「これがイデオンの、サイン……」「伝説の巨人じゃないのか?」「イデの巨人……」など、キーワードが散発的に挿入されて視聴者の興味を次へと引くミステリーが提示される中、巨大ロボ(イデオン)の振り上げた拳が円盤の一つを撃墜。残された円盤は「やるぞぉ! あんな巨人にバッフクランが、侵略されてみろ。折角の平和が!」と果敢に突撃を仕掛けるが、コスモの操縦により繰り出された巨人のパンチの前に爆散する。
初回におけるイデオンのアクションは、“手を振り回す”と“立ち上がる”だけ。寝そべったままの一撃で円盤を一つ撃破。片膝からのパンチでもう一機を撃破。頑丈さと巨大さを強調しつつ、ただ腕を振り回しただけで敵を撃破するという、圧倒的な力が非常に印象的に描かれる。
そして立ち上がるイデオン
「あたし達、何をしたの……?」
呆然と呟く、カーシャの言葉が重い。
−−−−−
非常に内容の凝縮された『イデオン』1話ですが、基本の筋立てはいたってシンプルで、細かい要素を全て剥がしていくと、
“異星人が攻めてきたが、凄いロボットで撃破した”
というものになります。
勿論、この世の大抵の物語はシンプルな筋立てに帰着するので、そこにどういう肉付けをしていくのか、こそが創作者の腕の見せ所となりますが、ここで本作の特徴となるのは、
“異星人と成り行きで戦争になってしまった”
“よくわからないが凄いロボットが動いてしまった”
と二つの偶然性が物語の中枢を占めている事。
明確に戦争を始めるつもりだったわけではないのに弾みで戦端が開かれてしまい、用途不明だったものが巨大ロボットになって敵を撃破してしまう。
この二つの偶然性を補強する為に、細かい要素が丁寧に積み重ねられています。
基本的にバッフクランのファーストコンタクトのやり口は、迂闊、としか言いようが無いのですが、まずその前提として、自分たちと同水準の文明レベルを持った知的生物などあり得ない、という思い込みがあります。
これは、バッフクランもそれなりに移民活動を行っている事(台詞で示唆されている)から来る経験則、そして建物の形からの判断、という形で補強されています。同時に、大洋を越えてやってきた者達は、大洋を越えて移動しない者達に対する嘲りを心の奥底に持っている、という人間心理に準拠している。
可能性としてはあり得ないとは言わないが、まずそんな事はないだろう、と本音と建て前が行き来する中、一人の女が先走る。カララは1話時点では背景説明などが無いので、好奇心旺盛なお転婆、ぐらいにしか読みとれないのですが。一方で、ただのじゃじゃ馬に見えないのは、どこか冷たさを感じるからであり、それが作画や演出で補強されている事で、どことなく奥行きを感じさせるキャラクターデザインとなっています。
行動そのものは極めて軽率なのですが、指揮官達の本音部分とシンクロさせる事でその軽率さに肉付けをし、キャラクターデザインでうまく誤魔化している(しかし勿論、時に軽率なのもまた、人間である)。
これがもっと典型的なお姫様キャラであればまた作品の雰囲気が全然変わってくるのですが、デザインを落ち着かせた事、前振りを丁寧に積み上げている事、着陸して以後のカララの行動と心理の動きを時間を取って描いている事、により物語の成り行きに説得力を持たせる機能が働いています。
そしてここで、物語冒頭からキャラクター達が向かっていた“発掘現場”にカララが到着。
“ここで何かが起きる筈”という劇的効果が成立し、ミサイルが発射される。
〔目的地の提示(第1グループの登場人物)→頭上の宇宙船から背景説明へ→更に頭上の宇宙空間の異邦人(第2グループの登場人物)→第1グループの登場人物の目的地でのやりとり→第2グループの登場人物がそこへ到着する→ファーストコンタクト→クライマックス〕
というこの流れが非常に良く出来ています。
乱戦の中で禍根は拡大し、主人公達の乗り込んだイデオンが起動する。
ここは勿論、ロボットアニメとしてのお約束に乗っ取っているのですが、やはり最大の特徴は、イデオン合体してから立ち上がるまでにクライマックスが集約されている事。
華麗に動き回るわけでも、凄いビームを放つわけでもなく、ただ、立ち上がる。
ここまでに、人間<二脚メカ<戦車<円盤<イデオン、というインフレーションがあったのを踏まえて、立ち上がるという単純な動作の過程にパンチを付け加え、そこで敵円盤を撃破する事により、立ち上がる、という動作が極めて強い意味を持った行為となり、最後の4人の台詞へと繋がっていく。
同時にここで、生存の為の自衛/怒りに燃えた反撃、という部分を含めつつ主人公を至極あっさりと負の連鎖/「やるしかなかったんだ!」の中に引きずり込む。
ロボットアニメの約束事を踏まえた上で、メタファーやシンボリックな演出を用いずに、アクションのダイナミズムによって“動作に意味を持たせる”事で物語と繋げるこのシーンの演出は圧巻。
また、ここに至る過程で、視聴者から見れば巨大なトレーラーのイデオンメカに、
・学者達には得体の知れない遺跡
・軍人から見れば明らかに兵器
という二つの視点を提供。伏線であると同時に、クライマックスにおけるバッフクラン側の「伝説の巨人?」という視点も重ねる構造になっています。
そしてクライマックスを飾った巨大ロボの不透明さは、そのまま物語そのものの謎の軸となり、視聴者の意識を次回以降に引いていく。
細かい要素を積み重ねながら爆心地へ向けて物語と登場人物を集約し、濃厚なドラマ性を保ったままで、ダイナミックにクライマックスを展開するという、凄まじい第1話。
また見逃せない点としては、すぎやまこういち氏による、劇中BGMが非常に絶妙。物語を彩ると共に、その天才性に対する監督の憎悪が、演出を研ぎ澄まさせている感あり。
ちょっとしたすれ違いが連鎖的な悲劇として凄絶に展開していき、同時に物語が畳みかける、前期富野演出の最高峰。