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『獣拳戦隊ゲキレンジャー』感想・第41−42話

◆修行その41「ズシズシ!もうやだ」◆ (監督:竹本昇 脚本:荒川稔久
「宿命を受け入れて、俺と戦え」
「宿命なんて知らねぇ……そんなのどうでもいい!」
幻想的な空間で、迫り来る幻獣王・理央から必死に逃げ惑うジャンだが、その退路を塞いで強引に立ち上がらせると、ジャンの拳を理央に向けさせる、キメラ拳士。
「私には見える……私の息子が、おまえを、倒す所が……」
これが大変気持ち悪くて素晴らしかったです。亡き父親の想い、という要素をジャン視点から批判的に描いた、というアプローチが今回の面白かった部分。
「……違う。なに言ってんだ。勝手に決めんな!」
「いつの日か……私の息子が……」
「うるさい……うるさい……うるさぁい!」
もがきながら絶叫したジャンは、一人、巨岩の上で目を覚まし、頭をかきむしる。
「……こんなウジャウジャ、俺、初めてだ…………ウジャンウジャンだぁ」
野生児であり自然児であったジャンの出自、それにまつわる過去の因縁が明かされるのと、劇中における「子供」の象徴であったジャンが、「大人」の仲間入りを要求される――己が正義の赴くままに「自由」に戦ってきたジャンが、それに「責任」を求められる――事が重ね合わされる、というのは面白い展開。
第41話にしてジャンは、「社会の成員」となるかならないか、の岐路の入り口に立たされ、野生児ジャンがヒーローとして戦った経験を通して社会とコミットしていく物語としては当然のイニシエーションといえる一方、果たしてこれまでジャンに、「選択」の余地は与えられていたのだろうか? という歪みがキメラ拳士と理央が象徴する一方通行の感情として描かれているのですが、猫師匠も美希も、ホント酷い事したよね、とは思うところです。
いっけん、ジャンを「社会」に暖かく迎え入れる道筋をつけたのはこの二人なのですが、同時に、「未成熟」なジャンを自分たちの都合の良いように利用して「選択」を示さなかったもこの二人なので。
前作の野菜の戦士風に言うと、
「もう少し頭を使った方がいいぜ。結局、この世は頭がいいヤツが勝つ事になってるんだ」
というやつです。
一方スクラッチでは、独りで激しく思い悩むジャンを、仲間達が心配していた。
「あんなに強くなった理央が……自分のお父さんの仇だったなんて……こんな宿命、辛すぎるよ」
「でも、ダンさんの思いを受け継ぐのは、ジャンしかいないんだ。やるしかないと思う。……ねえ、兄さん?」
ゴウは何やら考え込んで無言で、そこにタコ焼きを手に入ってくるケン。
「まあまあ、そう簡単に言いなさんなって。おまえの親父は実は、タコ焼きの名人だった。そしておまえも、タコ焼きの星になる宿命なんだ!」
「はぁ?」
「て、いきなり言われたら、おまえだって困るだろ?」
「なに言ってんだ?」
ランとレツが「宿命」を当然として問題を理央が「強い/弱い」に置くというズレを見せているのに対して、まさかのケンが凄く良い所を突いてきてビックリなのですが、レツがこれを“全く理解できない”というのが辛い。
工場を継ぐ気があるのかないのかわかりませんが、恐らくケンには、父親に対する敬意とないまぜの劣等感があるという事なのでしょうが、積み重ねとしてはこの要素をもう一押し欲しかったところですし、対するレツの家庭の事情は、本編でさらっと触れられていたかどうかという極めて断片的なレベルなので、お互いの背景から見えているものと見えていないものの歯車のズレに、物語としての説得力が足りていない、というのが残念。
「時を超えてダンが思わぬ波紋を投げかけてきたのう」
そして猫師匠は、すっかり碌でなしの地位を確立していた。
そこ、訳知り風にしみじみ慨嘆するところではないと思うのですが……!
一方、幻獣王に就任した理央様は、おまえちょっと口だけじゃない所見せてみろや、と王様ムーヴを発動して幻獣コンサルタントに命令し、鼻をひくひくさせたロンは自らの双幻士、稲田徹カプリコーンと津久井教生カーバンクルを出撃させる。稲田さんも津久井さんも、過去作品でインパクトの強い役柄を演じていますが、稲田さんの高音変人演技は珍しい印象(アニメなどでやっているかもですが)。
「俺やだ! もう戦いたくない……!」
我武者羅に拳を振るい続けるも迷いは晴れず、ワキワキ(好き)だけで戦えなくなったジャンは降り積もるウジャンウジャンから逃げ出そうとするが、ゴウはそのジャンを、甘ったれるなと殴り飛ばす。
「誰かが代わろうたって出来ねぇんだよ!」
「落ち着けって。自分が理央からご指名貰えなかったからって、みっともねぇ」
割って入るケンがまたも凄くいい所を突いてきて、鏡人間と入れ替わられていないか心配になってきますが、ゴウの言う「誰も代わりにはなれない」というのもまた重要なテーゼであり、望むと望まざるとに関わらず、人は世界の中で役柄に縛られ、そんな自分自身と向き合わざるを得ないというのは、ここに来て厳しい命題が浮上します。
そういう点で、ランが意外とジャンの心情に寄り添う事が出来ないのは、ランにとって「宇崎家の女」である事は自明の理であって、それを前提として世界に対して何が出来るのかを考えているのかがランなので、「宇崎家の女」である事を破壊する気も、そこから逃げる気もない、という事なのかも。
一方で恐らくはケンの持つ、一定の逃避願望がジャンを理解させるのでしょうが、ではジャンと同じくルーツに空白のある深見兄弟がどういう位置づけなのかというと、「俺流」にしろ「大輪の華」にしろ、世界に対する、「俺(僕)はここに居る」という力強い宣言であり、この二人が(無意識に)ジャンに求めているのは、「世界に対する自分の証明」であるのかな、と。
個人的にゴウに期待していたのはそこで、年長者としてジャンに対して世界と向き合う道しるべとなる事だったのですが、鉄拳制裁に走ってしまうのが獣拳というか、空白期間のある先輩にして同僚、というゴウのポジションの中途半端なところというか。
考えてみると、その身に降りかかった呪いゆえとはいえ、拳聖の約半数が世界に対して背を向けているわけで、こういう苦境に先達として存在そのものが教えにならないのが、実に拳聖クオリティ。……で、そこまで考えると、半ば隠遁生活を送るゾウ・コウモリ・サメ(ゾウは兵器開発部門担当という要素が付け加えられましたが)と、社会とコミットを続けるマスタートライアングル(まあゴリラは覆面作家かもですが)って、拳聖の中においても“明確に立ち位置が違う”のですが、その辺りが話の都合にしかならず特に掘り下げられなかったのは、ジャンを巡る物語が現状の展開となってみると、勿体なかったなと思うところです。
ペンギンがどこぞの支社長という設定とか、本編に全く活かされていませんが、覆面作家や自警団的に活動可能なゴリラやガゼルよりも社会への接続度が高い非常に独特の立ち位置で、そもそもどういう意図のある設定だったのか。というか、設定した時点ではそこまで思惑がなかったとしても、物語の流れに応じて命を与えて欲しかった要素であります。
ジャンを中心に、もつれあった感情がぶつかりあう激獣拳士達だが、その真っ最中に幻獣ネズミ拳士が出現。無理矢理引きずっていったジャンは敵前逃亡し、追いかけてきたランを振り切るとパワーグローブを捨てて何処ともなく逃走。残された青紫白の変則ゲキバズーカを受けたネズミは撤収するが、ネズミの目的は、故意にゲキレンジャーの攻撃を受けて、その身に激気を蓄える事にあった。
……まあ、ゲキレンジャーが調子良く勝つ時は、概ねこういう時です(笑)
臨獣殿ではヤギが、ネズミの集めてきた激気と紫激気に幻気を混ぜた細菌爆弾を作り出してネズミが再出撃。
「それにしてもむかつくわ、格下ーズレッドの奴! あのへたれっぷり、絶対に許さない」
一方、ラブ・ウォリアーは理央が執着するゲキレッドに、理央の執着に相当する存在になってもらわなくてはならない、と歪んだ愛のナイフを向けていた。
そんな事を知るはずもなく、皆が望む「期待される自分」に背を向け、無我夢中で街を離れたジャンは故郷の森のほど近くに辿り着くが、そこにはわざとらしくシャーフーが待ち構えていた!
「よいよい。道を見失っておる時にはそういう事もあるじゃろう。家出の中にも修行ありじゃ」
近くに用事があって来たが足をくじいて困っていた、と主張する猫を背負ってジャンは山道を行き、この期に及んでころりと騙されるジャンの善良さは可愛げではあるのですが、成人のイニシエーションの真っ最中にこれだと、やはりもう少し、周囲の大人達がジャンの経験値を上げておかなければならなかったのでは、という気がしてなりません。
「なあ猫……トラピカって、どんなヤツだった?」
「ん? ダンか? ダンは立派な男じゃったよ」
「立派な男……でも俺が理央のこと倒すなんて勝手に決めて、どういうつもりなんだ。……お陰で俺、ズシズシだ」
「期待しておったんじゃろうなぁ息子に」
そしてピンポイントでジャンの抱える問題の中核を突いてくる猫師匠は、ここ数話の言行が言行だけに、鋭いのか、節穴なのか、激しく悩みます(笑)
「……だったら、なんで俺の事捨てたんだ!」
家族の欠落を痛みと感じるようになり、宿命だけを一方的に背負わされたと苦しむジャンは、不条理ながらも父に憤りをぶつける事しか出来ない。
「父ちゃんは、俺のこと大事じゃなかったんだ。そうだろ、猫」
「儂はそれに答えられるほどダンの家族の事を知らん」
……そ、そうですね。
猫の案内で二人がダンの暮らしていたという村へ向かう一方、街ではヤギの作り出した細菌爆弾をネズミがばらまくと、金色の粒子を浴びた人々が消滅するという幻獣拳戦慄のバイオテロが発生していた。
「なんて事しやがる!」
「人々を苦しめた挙げ句に、消してしまうなんて、絶対に許さない!」
くどくどしい台詞がかえって緊迫感を失わせた上で更に、
「残念ね。私たちは、日々精進して鍛えた体を、激気でコーティングしているようなものなのよ」
「そうさ。激気で作られた粉ならば、僕たちには効かない」
粒子を浴びても平気なゲキレンジャーが、大量の被害者が出た直後に自分達には無効な事を勝ち誇り、どうしてこんな事になったのか、感情の流れがちぐはぐで大変冴えないやり取り。
一方、ジャンと猫の前にはメレ様が立ちはだかり、
「仲間に戦わせておいて、一人だけピクニックとはいい気なものね、格下ーズレッド!」
「メレ……」
「宿命の相手として、今のあんたが理央様の渇きを癒やせる器かどうか、確かめさせてもらうわ」
「……知らねぇって言ってんだろ!! そんなの関係ない」
「あんたがどう思おうと、理央様はあんたしか見てないのよ!! ふさわしい相手じゃなきゃ、このあたしが許さない」
非常に珍しく声を荒げるジャンと、理央の宿命になれない悔しさを一方的な怒りとしてぶつけるメレの妄執の衝突は迫力たっぷりで、毎度の事ながら、メレ様が出てくると会話の切れ味が二段階ぐらい研ぎ澄まされるのは今作の長所であると同時に、今作を歪めてしまった所かも知れないな、とは思わされます。
街ではいきなり巨大ヤギも参戦し、チョッパーからサイブレードを借りたエースがファンタスティック過激斬でネズミを倒すが、ヤギとネズミが入れ替わる幻影に攪乱され、4人は大ピンチに。そしてグローブを捨てた事で変身できないジャンもまた、猫を背負ったままの火薬ダッシュなど、フェニックスメレによって追い詰められていた。
「ジャン、儂を下ろせ。お主一人なら、逃げられる」
「駄目だ!」
盛り上がる師弟愛ですが、いや、その猫、下ろしたら絶対、キャットスピンで逃げますよね……!
「思ったよりしぶといけど、白虎の拳士の力はそんなもんなの?」
「違う! 俺は白虎の拳士じゃない。ただの漢堂ジャンだ!」
「でも、その技と力を確実に受け継いでる」
「そんなの知らない! なのにみんなそんな事ばっか言って……俺どうしたらいいかわかんない!」
「情けない……! そんな奴が理央様が唯一認めた相手だなんて」
「そんなの理央が勝手に決めたことだ……父ちゃんも理央も俺のこと勝手に決めんな! ズシズシだ!」
家族の温もりを求める一方で、見知らぬ“ルーツ”を押しつけられる事を忌避する、という相克に揺れ惑うジャンに状況は時間を与えてくれず、怒りのメレ様の爆炎を浴びて背負った猫と一緒に崖下へ……で、つづく。
からの、キャラソン7番勝負でファンタスティック・テクニックのターンとなり、ここで「勇気はフェ○ックス」ばりの事故が発生したらそれはそれで歴史に残ったのですが、割とそれっぽい歌唱で残念(え)


◆修行その42「ワッシワッシで乗り越えろ!」◆ (監督:竹本昇 脚本:荒川稔久
嫉妬に狂うメレの猛攻を受けてジャンと猫が崖下に転落した頃、濃縮細菌を浴びた残り4人は消滅し、バイオテロの被害に遭った市民達ともども、小型のヒョウタンの中に閉じ込められていた。ヤギ拳士の狙いとは、単純に人々を消すのではなく幻術で閉じ込める事により、一種の悲鳴ファームを作り出す事にあったのだ。
「ジャンが絶対立ち直ってなんとかする」
「兄さん……」
「けど、ジャンは……」
「なんとかするったらするんだ! そういう奴じゃなきゃ……許さねぇ」
一方、川に落ちて九死に一生を得ていたジャンは、あるかないかの答を求めて生まれ故郷を目指す事を決意し、猫を背負ったまま険しい崖を乗り越え、遂に村へと到着。そこはダンの死からほどなく発生した崖崩れによって壊滅し、全てが土砂に埋もれていた……が、ジャンはそこで、土砂の下から地上へ向けた伸びた木の芽に引っかかっていたロケットを発見。
そのロケットの中には、ダンとその妻子の写真と、
我が子ジャンの行末に明るき道を ダン ナミ
という言葉が刻まれていた。
「ニコニコだ……家族のニコニコだ……俺にも……家族、あった……」
……恐らく演出的には、〔土砂崩れで全滅した村→土砂の下から伸びてきた新たな命の芽吹きに、地下に埋もれていたロケットが引っかかって地上に顔を出していた→闇の陰謀に、命の力と家族の絆が一条の光となって亀裂を生じさせる〕といったような意図だったのかなと思われるのですが、映像的には、わざとらしすぎる木の枝と、露骨すぎるロケットになってしまい、一瞬、準備したの誰?!となってしまったのが、残念(^^;
最有力容疑者であるシャーフーは「ダンの息子の存在を知らなかった」という別の惨事によって嫌疑から外れるのですが、危うく史上空前の大惨事が回避されて良かった、と胸をなで下ろすべきなのかどうなのか(笑) 残る容疑者はロンと理央ぐらいですが、ロンにはゲキレッドを立ち直らせる必要が無いので、結論としては、ダンの息子の事を気にしていた理央様が、全滅した村を懸命に捜索した結果、発見したロケットを目立つ所に置いて立ち去っていた……という蓋然性が最も高く、涙ぐましいな理央様……!
というわけで演出意図としては受け継がれ続ける生命の勝利という事なのでしょうが、ようやく父と母の顔を知り、残された写真に二人からの愛情を感じ取るジャン。その姿を見て、しれっと歩き出す猫。
「これで背中は軽くなったじゃろう」
「猫、おまえ……足!」


「もう少し頭を使った方がいいぜ。結局、この世は頭がいいヤツが勝つ事になってるんだ」
「今、ダンに対する想いはどうじゃ? 残された宿命は確かに重い。そして親子である以上、逃れる事はできん。じゃが、そもそも宿命を知るより前に、お主はダンと同じ道を歩んでおったではないか。ダンの想いはあくまで願いじゃ。お主に、押しつけられたものではない。後は、自分の気持ちで決めれば良い。今のお主に必要なのは、ダンをどう想い、それに、どう応えようとするかじゃ」
ジャンがどんな苦境でも猫を背負い続けてきたのは猫を大切に思っているから、と自分で言う所に多大な問題は感じますが、大切なのは背中に背負ったものの重さではなく、背負ったものとの関係であると諭し、ジャンが押しつけだと感じた「想いはあくまで願い」であると見方を変える事で、自分自身と向き合い消化する方法を教える猫が、久々に師匠らしい行動。
……もっとも、明確に激獣拳の都合に従っている猫の場合、結論ありきの誘導という印象が否定しきれないので、「お主はダンと同じ道を歩んでおったではないか」辺りにダウトの香りが漂いますが(笑)
この前後編は、ダンの存在と託された宿命をどう受け止めるかを通して、ジャンが社会と接続し、自らのルーツと向き合う事により子供から大人へと代わっていく通過儀礼を描いているのですが、いっそここで、激獣拳そのものを乗り越えてしまっても良かったのではないかとは思ったところ。
あくまでも今作の「正義」が激獣拳の枠内にあるが故に、激獣拳vs臨獣拳の構図に基づくシャーフーの言行に欺瞞がつきまとってしまうのですが、もとより自分の中の「正義」を持っていたジャンが、その構図を飛び越えた所でズシズシを受け入れ、真のヒーローへとビーストオンしても良かったかな、と。
もしかしたらこの先にそういう仕掛けが待っているのかもしれませんが、今回に関しては、両親に愛されていた事を確認する事で、自らのルーツを受け入れる、という今作らしいマイルドな形の着地に。
「……俺、やる!!」
ワキワキではなかったが、苦難の末に手に入れた答に迷いの晴れたジャンは、ズシズシを背負ってニコニコに至る為のワッシワッシの境地に辿り着くとスーパー・ビーストオンし、ヤギのアジトへ乗り込んで仲間と人々を解放。
逃げたヤギとネズミが合流したところに、5人がダッシュで揃い、主題歌インストで並んで変身から前回−前々回のもやもやをまとめて吹き飛ばす、フル名乗りで揃い踏み。
「「「「「燃え立つ激気は、正義のあかし! 獣拳戦隊ゲキレンジャー!!」」」」」
当然、バトルスタートに合わせて歌詞が入り、今作主題歌は安定の伝家の宝刀。
……葛藤を乗り越えて大暴れするスーパー赤が強すぎて、他の4人がほぼ要らなくなるのも、安定ですが(笑)
一応、残り4名も参加した後、段々と誰でも良くなってきた、というか、オレ流の紫はともかく、使えない黄色のセンス不足が可哀想な事になりつつあるレッドの過激気研鑽ダッシュ斬りでヤギとネズミを成敗。怒りも露わに現れたロンがゲキレッドにクレームを入れるとヤギとネズミを巨大化させ、ここで、レッドがロンの思惑を越えてみせる、という要素が入ったのは大変良かったです。
巨大ヤギとネズミは、ゲキビースト多数登場で入り乱れてからの、最後は変則合体サイダイゲキトージャのスピンアタックで倒すクリスマス商戦仕様で、CG多用ながらも竹本監督スペシャルであったのでしょうか。
「見ててくれ、父ちゃん、母ちゃん」
ロケットを手に大はしゃぎのジャンだが、それを笑顔で見つめつつも、何やら浮かない様子のゴウはいち早く立ち去っていき、猫は猫で、崖崩れの現場で拾った“龍の鱗”に何やら不穏な空気を感じるのであった……で、つづく。
理央とジャンの因縁が強化される中、理央の渇きを癒やしたいのに癒やせないメレは「あいつ……戻ってきた。やはり、理央様の認めた器だったって事」と羨望と嫉妬が入り交じった感情を向け、かつての理央の同期であるゴウはなにやら内に篭もり、と人間関係の綾が周囲に広がっているのは好材料で、それぞれの想いがどこに行き着くのか、楽しみにしたい所です。
一つ気になるのは、前回は色々とこじつけてみましたが、“ルーツの物語”として今作を見た時にやはり、深見兄弟のルーツが空白な事で、果たしてそれは今後の物語の中で影響を与える事はあるのかどうか。
それからルーツというと、ジャンは初登場の時から「漢堂ジャン」というフルネームに自己のアイデンティティを見出していたのですが、前回今回で「漢堂」という苗字の要素は全く拾われず、家を知らない野生児であるジャンが家名を名乗っていた事、がルーツに辿り着く旅と全く繋がらなかったのはパズルのピースとして宙ぶらりんとなり勿体なかった点。
後は、未だ明かされない、理央が強さに執着するルーツがどんな形で接続されるのか――次回、クリスマスだよ閑話休題