こういう話を見聞きする度にいつも思い出すのが、冨樫義博の、『幽遊白書』のコミックス(何巻かは失念)折り返しの作者コメントで、正確な文言はさすがに忘れましたが、これがパクリと認定されてしまったら、一体世の中のミステリーがどれだけパクリ認定になるのか、本当に変な騒ぎにならないで欲しい。
コナンや金田一や古畑はどうなるんだよという話/『昨日の風はどんなのだっけ?』
という、痛烈な毒。
影響……
誰も知らない人から受ける。
そうすればオリジナルだと思われる
ま、色々と問題のある人ではありますが、こういうことを明言できるのは偉いと思うのですよ。
一度でも真剣に創作にたずさわった経験のある人間なら、「パクり」だの「パロディ」だの簡単に言わなくなるものではあるのですけどねー。この世に本当の意味でのオリジナルなどほとんど存在しないのだという事を、身をもって知るので(但しそれは免罪符ではない)。
とはいえ、経験則から来る価値観というものは人に伝達しにくいし、実際にタチの悪い模倣というのが無いわけではない、という現実があるが故に、騒ぐ側の一理が過剰に弁護されがちな話ではあるのですが。
そういえば、島本和彦が『炎の転校生』かなんかの文庫版のあとがきで、
みたいな事を書いていましたが、(どうこう言う側について)めいっぱい好意的に解釈すれば、それと似た意味での“受け手のうぶさ”というのはあるのかもしれない。
昔は、マンガに鞄を描く時は、実際の鞄を見ながら描いてはいけないのだと思っていた。 *1
*1:※強調はGMS