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脱衣と全裸とガンダムと

昨夜、日本TVでやっていた特番『スタジオジブリ物語』を何とはなしに見ていたのですが、中で流れた『アルプスの少女ハイジ』1話のダイジェストが面白かった。
実は高畑勲作品はあまり見た事がなかったのですが、最初、くすんだ服で着ぶくれしたハイジが、クライマックスでアルプスの山の自然に触れあって脱ぐ! という、文字にするとなんだか危ないですが、この演出は凄い。
着ぶくれしたハイジ、というのが、(今見ると)ある種のアンチアニメーション的なリアリティの出し方かと思わせておいて(その側面もあるとは思うのですけど)、全て最後に脱ぎ捨てる為の伏線として機能するという、爆発的な歓喜カタルシス。ただ脱ぐ、のではなく、重ね着しているものを全て脱ぎ捨てる、という所に凄みがある。もちろん逆算して作っているのでしょうが、あれは凄い。全裸になろうかどうか一瞬躊躇う、という素振りが描かれている所も含めて。
いいもの見ました。
これ見るとなるほど、『∀ガンダム』は当初、“世界名作劇場世界名作劇場”という揶揄がありましたが、少なくとも1話に関しては、富野由悠季から高畑勲への、時代を超えたアンサー、というか、ちょっとしたオマージュの意識はあったのかもしれない。
そこで躊躇なく脱がすのが、富野。
制作当時のカントクによると、


第一話からヒーローとヒロインの裸が登場したわけですけど、これは富野総監督が今回は身体性ということを強調していたせいですね。何でも肌色が見えると人は安心するんだということなんです。また、富野理論的に裸というのは視覚効果とか、お話の中での効果があるんだとも富野総監督は言われているわけです。まあ、裸は人知を越えた富野理論というか、富野定説ですね(笑)
(NEWTYPE100%コレクション『∀ガンダム』Vol.1/エピソードガイド:スタッフの視点から より)
だそうですが(笑)
ところで、「生の悦び」=「裸」*1的な思想というか概念というかなものって、いつ頃まで日の当たる所にあったのでしょうか。私などがそれなりに記憶に残る範囲では既に表面的には消えていたかと思うのですが、『ハイジ』は明らかにまだ、その思想下にあって、面白い。
そういえばふと思ったけど、『∀』の「成人式」*2に、ワイン的なものを見た記憶が無いのは、放送コード的なものだったのかなぁ……まあ、必ずしも必要なわけではありませんが、シンボライズとしては、わかりやすくなるとは思うわけですが、頭飾りの葉っぱあたりは燻されると(以下略)みたいなものだと思っていますが。共同体における割礼は必要なプロセスだから。

*1:特別にセクシャルな意味は持たない

*2:セクシャルな意味を持つ